強く見せてるだけ。
「紬って、ブレないよね」
「ひとりでも平気そう」
「なんか、芯があるって感じする」
昔から、よくそう言われてきた。
強く見えるのは、悪いことじゃない。
むしろ、誇れることだと思ってた。
でも――本当は、ただの“カモフラージュ”だ。
⸻
誰にも頼らないようにしてきた。
困っても「大丈夫」って言うクセがついた。
泣いてるところを見せるなんて、
もう何年もしてない。
「平気そうだね」って言われるたびに、
“ああ、また強がってるのが伝わっちゃった”って
少しだけ、自分を笑うようになった。
⸻
彼と別れた夜も、私は泣かなかった。
正確に言えば、
泣いても誰にも見せなかった。
会社には普段通り行ったし、
飲みの誘いも断らなかった。
SNSでは、普通の週末を装った。
でも心のなかでは、
「また一人になった」って実感が、
静かに響いていた。
⸻
“強く見える人”って、
弱音を吐かないだけで、
感じてないわけじゃない。
むしろ、繊細すぎるから、
守るために“強く見せる”しかなくなったんだ。
⸻
昔、好きだった人に
「紬はなんでも自分でできちゃうから、俺の出番ないなって思った」
って言われたことがある。
それを聞いて、「あー…やっちゃったな」と思った。
“弱さ”を見せることが、
相手への“隙”になるって、頭ではわかってた。
でも、その“隙”を見せる勇気が、
どうしても持てなかった。
⸻
ほんとは、甘えたい。
“どうした?”って聞かれたい。
何かを抱えたままでも、「それでいいよ」って言われたい。
でも、
そういう弱さを出したときに、
“幻滅されるのが怖い”って気持ちの方が勝ってしまう。
⸻
だから私は、今日も“強いふり”を続けてる。
仕事もきちんとこなして、
ひとり時間を楽しんで、
余裕がある女として生きている。
でも――
もし、誰かが本気で「大丈夫?」って聞いてきたら、
たぶんその瞬間、泣いちゃう気がする。
強いって言われるの、
もう嬉しくないときがある。
私は、強く見せてるだけで、
本当は、ちゃんと誰かに甘えたい。
でもそれを見せるには、
まだちょっとだけ、勇気が足りないんだ。




