幸せの定義、勝手に決めないで。
「え〜でも紬ちゃん、十分幸せそうじゃん」
「彼氏いなくても自由そうでうらやましい!」
「好きなことして生きてるって感じするよね」
…それ、褒めてるつもり?
笑って聞き流したけど、
内心はずっとザラついてた。
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“幸せそうに見える”のと、
“幸せでいる”のは、違う。
私がいま、自分なりに心地いい生き方をしてるのはたしか。
仕事も、友達も、趣味もあって、
ひとり暮らしも嫌いじゃない。
でもそれって、
“結婚しない生き方”を選んだわけじゃないし、
“ひとりを極めたい”わけでもない。
“ちゃんと誰かと並びたい気持ち”を、
見えないところで、ちゃんと持っている。
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それなのに、
「ひとりでも幸せそうだよね」っていう言葉は、
まるで“お前はそのままでいいだろ”って、
どこか決めつけてるように聞こえる。
私の“選んでない選択肢”を、
無理やり肯定されてるようで、モヤモヤする。
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ある日、学生時代の友達とランチに行った。
彼女は子どもが2人いて、
食事中もスマホには保育園からの通知が何件か届いていた。
「毎日バタバタすぎて、逆に紬がうらやましいよ」って笑われた。
こっちだって、
「そっちの暮らしも幸せそうだな」って思ってるのに。
私の“静かな日常”を、
ただの“気楽な生活”として軽く扱われるの、なんかちがう。
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幸せの定義って、
誰かの隣に立ってはじめて成立するものじゃない。
誰かの子を産んだから、
籍を入れたから、
家を建てたから、
そういう“枠”の中だけで決まるもんじゃない。
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私は、私の人生をちゃんと考えてる。
ちゃんと悩んで、ちゃんと迷って、
そのうえで“今”を選んでる。
誰かのとなりで、
「私も、これでいいんだよね?」って
確認しながら生きてるわけじゃない。
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幸せって、
“なにがあるか”じゃなくて、
“どう思えてるか”で決まると思う。
だから私は、
自分の感情にだけは、嘘をつかないでいたい。
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たとえ今、隣に誰もいなくても。
そのことを、「寂しそう」と決めつけられる筋合いはない。
逆に、「幸せそう」と決められる筋合いもない。
私の幸せは、
私だけが知っている。
「彼氏いなくても幸せそう」って言葉、
たまに、すごく雑に聞こえる。
私は、誰かと並びたくないわけじゃない。
でも、誰かの隣に立つために、
自分の幸せを見失うような生き方はしたくない。
幸せって、比べるものじゃないんだよ。