“今度飲みに行こう”って言う人に、誰ひとり連れて行かれた試しがない。
「今度さ、飲みに行こうよ」
「今度空いてる日あったら教えて」
「またごはんでも行こうか」
“今度”“また”“でも”――
そう言ってきた人に、
実際に連れて行かれたことが、一度もない。
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大学のころは、それが社交辞令だなんて思わなかった。
“あ、脈アリかも”って浮かれて、
その週の服とかネイルとか、こっそり気を使った。
社会人になってからは、だいぶ慣れた。
「うん、社交辞令ね」って、うまく受け流せるようになった。
でも本音を言えば――
ほんの少しは、期待してしまう。
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ある人とは、何度か会話が弾んでいた。
同じ業界で、話も合って、
何より笑いのツボが似ていて、居心地がよかった。
「紬さんって、お酒強いんですか?」
「じゃあ今度、一緒に飲みに行きましょうよ」
そう言われた夜、
私は帰り道のコンビニで、発泡酒を買った。
「行くなら、どこだろう」とか、
「最初の一杯、何頼もう」とか。
どうでもいい妄想をしながら、
ちょっと浮かれてた。
でも、
それっきりだった。
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返信は来る。
やりとりも普通に続く。
でも、“日程”の話には決して触れてこない。
「今度」「また」「機会があれば」
その言葉たちは、
“約束しないための便利なツール”なんだって、
ちゃんとわかってる。
でも、わかってても、
“言われた瞬間”には少しだけ、うれしいんだよね。
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「今度行こうね」っていう言葉、
言われる回数が増えるほど、
どこかで“誰にも連れて行かれなかった自分”を
突きつけられてる気がしてくる。
あの子は連れて行かれてるのに、
私は“今度ね”で止まってる。
じゃあ、何が違ったんだろう。
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無理してでもスケジュールを押さえるくらい、
「会いたい」と思われる女の子には、
私はなれなかったってこと?
予定を立ててもらえないって、
そんなに選ばれてないことなんだろうか?
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そして、少しずつ学んでいく。
“今度”を信じないこと。
“またね”を期待しないこと。
でもね。
たまには、
言葉通りに、ちゃんと誘ってくれる人に出会いたい。
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言葉と行動が一致する人って、
本当に少ない。
でもその希少な人とだけ、
ちゃんと関係を築いていきたいとも思う。
だから私は、
「またね」に甘えたくなる気持ちを飲み込んで、
今日も“その場の会話”で済ませている。
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ただ、
たまに。
ほんの少しだけ。
“今度行こう”って言葉を、
本気で叶えにきてくれる人が現れたら――
きっと私は、
すぐにでもスケジュール空けるんだけどな。
たった一言で、
こんなにも期待してしまう自分が、
ちょっと情けなくて、ちょっと愛おしい。
“今度”って、魔法みたいな言葉だよね。
でも私は、
「今度」じゃなくて、「○日空いてる?」って
聞いてくれる人に、連れて行かれたいです。




