“自分の時間が大事”って言ったけど、誰かと過ごす時間のあたたかさも、やっぱり好き。
「紬ってひとり時間好きだよね」
友達にそう言われたのは、たしか去年の春だった。
たしかに、私はひとりが好きだ。
映画館も焼肉も旅行も、ひとりで行けるタイプ。
休日はゆっくり部屋を掃除して、お気に入りのカフェにノートと本を持っていく。
Netflixで海外ドラマを一気見して、夜はスキンケアしながら長風呂。
そんな時間がなによりの癒しだった。
「ひとりが楽すぎて、もう人と暮らすとか無理かも〜」
なんて冗談ぽく言ったりもしていた。
でも、
それが“全部の気持ち”ってわけじゃなかった。
⸻
ある日の夕方、急に「ごはんいかない?」と連絡をくれたのは、
同い年の女友達だった。
仕事が終わってから待ち合わせて、駅近のちょっとにぎやかな居酒屋へ。
久しぶりの対面に、最初は近況報告をし合っていたけれど、
ふたりとも気づいたら自然に笑っていて、
気をつかわない会話が心地よかった。
「こういう時間、やっぱ落ち着くわ」
と、彼女が言ったとき、思った。
――あれ、私、ひとり時間が好きだって言ってたけど、
こういう“誰かと過ごす時間”も、
すごく好きなんだなって。
⸻
店を出て、夜風に当たりながら歩く。
賑やかな通りを避けて、少し遠回りして帰る道。
歩きながら、彼女が「前に付き合ってた人の話」をぽろっとこぼす。
「なんであんな人に尽くしてたんだろうって今になって思うけど、
あのときは“誰かと一緒にいる時間”が、あたたかかったんだよね」
うなずきながら、それは私にもわかる気がした。
⸻
私が過ごしてきた“ひとり時間”は、たしかに大切だった。
心を整えたり、無理せずにいられる空間。
誰にも気をつかわず、好きなように暮らせる毎日。
でもそのぶん、
「誰かといられる時間」に慣れなくなっていた。
誰かがそばにいると、
部屋がちょっと賑やかになる。
笑い声が反響して、
ごはんを一緒に食べる時間に“余韻”が残る。
それを、
もう一度味わいたいと思った夜だった。
⸻
私は、自分の時間を犠牲にしてまで誰かと過ごしたいとは思わない。
でも、
“誰かと過ごすことで得られる温度”を忘れたくはない。
⸻
部屋に帰ってからも、
さっきの会話を思い出していた。
賑やかな笑い声、店の照明のあたたかさ、帰り道の夜風。
カップに紅茶を淹れて、
湯気のたつグラスを手に窓際へ。
ひとりで過ごす夜も、
悪くない。
でも今日は――
「誰かがそこにいた」っていう事実が、
それだけで少し、私を軽くしてくれた。
自分の時間を大切にできるようになった今、
誰かと過ごす時間のありがたさも、
よくわかるようになった。
“ひとりでも幸せ”と“誰かといる幸せ”、
両方持てる自分でいたい。
今日の夜は、
そんな気持ちを思い出させてくれる夜でした。