理想が高いって、自覚はある。
「理想高いんじゃない?」
これまでの人生で、
何度この言葉を言われてきただろう。
自分でも、それは薄々わかってる。
でも、「理想が高い」って、
そんなに悪いことなんだろうか?
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求めてるのは、
イケメンで高収入で高学歴――とかじゃない。
会話がちゃんとできて、
空気が読めて、
思いやりがあって、
たまに笑わせてくれるような人。
これって、
“普通の理想”だと思ってた。
でもそれすらも、「贅沢だよ」って言われると、
なんだか自分の感覚がおかしいのかと思ってくる。
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「年齢的にさ、そろそろ妥協も必要だよ」
「選んでる場合じゃないって、気づいた方がいい」
周りの声も、世間の空気も、
だんだん“希望”より“現実”を見ろって圧をかけてくる。
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でも、
“好きになれない相手”を選んでまで、
結婚ってするものなの?
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好きって、
そんなに贅沢な感情なんだろうか。
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何回か、“理想を下げて”会ってみた人もいる。
条件は合ってる。
友達に紹介しても恥ずかしくない。
真面目で、優しくて、ちゃんと将来を考えてる。
でも――
心が動かなかった。
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“選ばれる側”にまわろうとした結果、
自分が何を好きだったのか、
何を大事にしたかったのか、
どんどんわからなくなっていった。
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私はたぶん、
「誰かと一緒にいたい」っていう気持ちより、
「この人となら一緒にいたい」って思える人じゃないと、
恋ができない。
それはわがままかもしれないけど、
それだけは、どうしても譲れない。
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理想が高いって、自覚はある。
でも、理想を手放した自分に、
幸せが待ってるとも思えない。
だったら私は、
“理想を持ったまま孤独でいる”ほうが、
まだましだと思ってる。
理想が高いって言われるたびに、
「じゃあ私に何を求めてるの?」って思います。
選ばれるために理想を捨てるなんて、
私には無理だし、したくもない。
わがままでも、夢見がちでも、
“好きになれる人”を待っていたい。
……まだ、そう思ってる。