“選ぶ”には入ってこないけど、“惜しい”にはされる。
「俺、独身だったら絶対紬さんに告白してたな〜」
「いや、年齢近かったら絶対付き合ってたって」
職場の飲み会とか、久しぶりに会った男友達とか、
酔ったタイミングで、たまに言われるセリフ。
失礼な物言いではあるが
たしかに褒め言葉なんだと思う。
好意はあるってことなんだろう。
でも、
そういう言葉を言ってくる人に、
“選ばれたこと”は、一度もない。
⸻
「奥さんいるから無理だけど」「もうちょい若かったらね」
そんな前置きや条件付きの“もしも話”は、
たしかに私の自尊心を一瞬だけくすぐる。
でもそのあと、
すぐに現実に戻される。
だってそれって、
“現実では選ばないけど、気にはしてます”っていう、
すごく都合のいい立ち位置。
⸻
まわりの男性に、
「モテそうだよね」って言われたことも何度もある。
“〇〇そう”って、なんだろう。
“いそう”“してそう”“モテそう”――
全部、“実際はそうじゃない”前提で語られる言葉。
そして私は、
ずっと“そう見える側”で、
でも“そうなったことのない側”だった。
⸻
「惜しい」って思われるのに、
「じゃあ付き合いたい」とは言ってもらえない。
それってつまり、
“決定打に欠ける女”ってことなんだと思う。
⸻
一緒にいたら楽しいし、居心地もいい。
でも、“この人を手放したくない”とは思われない。
きっと私は、
“誰かの本気”に触れられる場所にはいない。
⸻
それでも私は、
そのたびに笑って受け流してる。
「やだ〜、なにそれ(笑)」って笑って、
その場を盛り上げて、
ちょっといい気分になるふりをする。
でも帰り道は、
ちょっとだけ胸が苦しくなる。
⸻
たぶん私が欲しいのは、
“もし独身だったら”じゃなくて、
“今、あなたが選びたい人”になれること。
⸻
いつまで「惜しかったね」で終わる恋の対象に、
私はい続けるんだろう。
「独身だったら」「年齢が近ければ」
そういう“仮定の恋”に、
何回救われて、何回置いていかれたんだろう。
本当は、
惜しいって言われるより、
ちゃんと“今の私”を選んでくれる人が欲しいだけなのに。