「1人で平気そう」は、もう褒め言葉じゃない。
「紬さんって、ひとりでも全然平気そうですよね」
その言葉を、何度目かの飲み会で、
後輩の男の子に言われた。
笑って返したけど、心の中ではまたか…と思ってた。
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ひとりで焼肉に行ける。
映画も旅行も、誰かを誘わなくても平気。
部屋の電球も、洗濯機のホースも、ひとりで交換できる。
そういうエピソードが増えるたび、
「すごいですね」って言われてきた。
でもその“すごい”の中に、ちょっとだけ“引かれてる”空気を感じるようになったのは、
30代になってからだった。
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誰かと一緒にいなくてもご機嫌でいられることが、
“自立してる”って意味だけならまだ良い。
でも、気づいたら“ひとりでいい人”って
勝手にカテゴリー分けされてる気がしてくる。
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たとえば誰かが「彼氏ほしい」って言えば、
「そういうとこ、かわいい〜!」ってなるのに、
私が同じことを言うと、
「えっ、意外」って返される。
なんで?
“ほしい”と思っちゃいけないキャラなの?
恋愛に飢えたら崩れるバランスの女に、
私はなっちゃいけないの?
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昔、ほんとに心を許してた彼から、
別れ際にこんなことを言われたことがある。
「お前って、誰かに必要とされなくても平気そうだよな」
あのとき、言い返せなかった。
というより、その時点で私はもう、
「自分の気持ちをうまく見せる方法」を忘れてた。
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自分の感情を、出すタイミングを逃し続けて、
そのうち「出さない方が楽だな」ってなって、
“平気そう”がデフォルトになっていった。
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だけどほんとは、
ただ誰かに、
「今日なにしてた?」とか
「なんか疲れてない?」って、
何気なく気にかけられたいだけだったりする。
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「ひとりで平気そう」って、
言われるたびに、“誰にも選ばれない理由”を
突きつけられてる気がしてしまう。
笑って返せるけど、
その言葉のあと、
ちょっとだけ心の中に風が吹く。
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私が“平気そうに見える”のは、
たぶん、そうしないと崩れそうな自分を
ずっと隠してきたからだ。
でも、できればそろそろ、
ちゃんと「平気じゃない日もあるよ」って
言える誰かに出会いたい。
「1人で平気そうですね」って、
昔は褒め言葉だと思ってたけど、
今はちょっと違う。
それってつまり、
「誰かと一緒にいる必要なさそうですね」って
言われてるようにも聞こえるから。
平気そうでも、平気じゃない日くらい、あるんですよ。