同棲してた部屋の鍵、まだ持ってる。
鍵が出てきたのは、
バッグを整理していたときだった。
たまにしか使わないクラッチバッグの内ポケット。
レシートの間から、
シンプルなシルバーの鍵がぽろっと落ちた。
一瞬でわかった。
それは、3年前に同棲してた彼の家の鍵だった。
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もう使うこともないはずの鍵。
渡されたのは、付き合って1年経ったころ。
自然な流れだった。
合鍵をもらった日、
「これで俺んち、もう“お前んち”だから」って
照れながら言った彼の顔が、
鮮明によみがえる。
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でも、それから1年半後、
私たちは別れた。
原因は、ほんとうに些細なことだった。
生活リズムのズレとか、
気遣いがすれ違ったままとか、
喧嘩のあとに謝れなくなったこととか。
別れる少し前には、
同じ空間にいるのに、会話がほとんどなかった。
「このまま一緒にいても、お互いのためにならないと思う」
彼がそう言って、
私はうなずいた。
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引っ越しのとき、
荷物は全部運び出した。
最後に彼の家を出るとき、
鍵を返すタイミングがなんとなくなくて、
「後でポストに入れるね」とだけ言った。
……で、そのまま。
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3年経った今、その鍵は、
なぜかまだ私の手の中にある。
捨てるタイミングを逃して、
忘れたふりをして、
でも本当は――
どこかで“手放す勇気”がなかったのかもしれない。
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あの家に戻りたいわけじゃない。
彼と復縁したいわけでもない。
ただ、“あの頃の自分”とちゃんと別れられてなかった。
「もう大丈夫」って顔して、
仕事も生活も元に戻して、
恋愛の話も笑ってできるようになった。
でも、鍵ひとつで思い出が蘇る程度には、
まだ完全に“片づいた”とは言えなかったらしい。
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ベッドの上で、鍵を見つめる。
金属の冷たさが、
どうしようもなく現実的で、
そして、やけに懐かしい。
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本当の“別れ”って、
荷物をまとめることでも、連絡を断つことでもなくて、
その人との思い出に、
「ありがとう」と言えるようになることなのかもしれない。
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その夜、私はポーチの中に鍵を戻して、
明日、どこかで処分しようと決めた。
それができたら、
やっと次の恋に進める気がするから。
別れたあとって、
意外と“物”のほうが長く残ってたりしますよね。
そしてその“物”を通して、
思い出が、音や匂いや言葉ごと一気に蘇ってくる。
あの鍵は、思い出の最後のピリオドでした。
……たぶん、ようやくつけられた気がします。