“そろそろ結婚しないの?”が怖い。
「つむぎちゃん、そろそろ結婚しないの?」
親戚の集まりで、叔母に言われた。
おせちの具材をつつきながら、まるで天気の話みたいに。
「雨多いね〜」とか「今年は寒いね〜」みたいなテンションで、
“そろそろ結婚”が、さらっと差し込まれた。
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いや、こっちはそろそろどころか、
けっこう前から「そろそろ」だと思って生きてるんだけど?
むしろそっちが気づくより早く、
毎日“そろそろ”と戦ってるんですけど?って叫びそうになったけど、
そこは大人なので、
「うーん、良さそうな人いたらね〜」って
薄めの笑顔で返した。
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「そろそろ結婚しないの?」
この質問って、
“してない理由”を求められてる感じがして苦手。
言い訳っぽくなるのも嫌だし、
「いい人いなくて〜」って言うのも雑すぎて虚しくなる。
言いたいのはこっち。
そろそろ結婚したいよ。
でも、その“そろそろ”にぴったり当てはまる人が
目の前に現れないんだよ。
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職場でも言われたことがある。
「え、つむぎさんって、結婚してないんですね!意外〜」
「こんなちゃんとしてるのに、なんでだろ?」
“してない”のではなく、“できてない”。
“しない理由”をこっちに探されると、
なんだか、自分が“結婚から外れた人”みたいに見えてくる。
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「結婚って、相手ありきだしね」
何回もこのセリフ使ってきたけど、
最近は、それを言う自分にもちょっと疲れてきた。
それに、相手がいたって、結婚できないこともあるし。
相手はいても、進まない恋もあるし。
ただ“そろそろ”だからって、
今あるものを適当にまとめて“結婚”にはしたくない。
わがままなのかな。
でも、そういう気持ちを持ち続けたいとも思ってる。
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一番怖いのはね、
“そろそろ”って言葉に追い詰められて、
本当は好きでもない人と、
“そろそろだから”ってだけで付き合ってしまうこと。
そして、そういう恋が“結婚”にすり替わって、
気づいたら、自分の人生が自分の選択じゃなくなってること。
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私は、“そろそろ”の正体を知ってる。
それは、誰かの焦りじゃなくて、
自分の中にある、“ほんとはもう遅いかも”という
見えないタイマーの音。
チッ、チッ、チッ…って鳴ってるその音に、
耳をふさぎながら、それでも前を向こうとしてる。
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帰り道。
親戚の家から駅まで歩く道、
冬の夕暮れがやけに静かだった。
マフラーに顔をうずめながら、
私は心の中で、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
「うん、知ってる。そろそろ、だよね」
“そろそろ結婚しないの?”って、
なんであんなに無邪気なトーンで投げられるんでしょうね。
私は、毎日“そろそろ”と向き合ってます。
だから、
それを軽く聞かれるの、ほんと怖いです。
でも、言い返さないのは、
たぶん、自分でも一番気にしてるから、なんだと思います。