誰にも言ってないけど、“占い”信じてる。
「つむぎ、また占い?好きだね〜!」
そう笑いながら、友達がワイングラスを傾ける。
「でもさ、去年の夏じゃなかった?運命の出会い」
「そうなの、しかもその前の年は“秋に運命変わる”だったのに、
いまだに変わってないっていうね」
女子会のテーブルで、笑いながら話す“占いネタ”。
ネタとして話してる。……ように見せてる。
でも、ほんとはちょっとだけ、本気で信じてる。
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毎年、年始には占いをチェックする。
雑誌、アプリ、YouTube、いろんなところで、
「恋愛運」「出会いの時期」「運命の相手の特徴」なんかを探してる。
ラッキーカラーも、ラッキースポットも、
一応メモして、買い物ついでに取り入れてみたりして。
「さすがに信じすぎでしょ〜」って自分にツッコみながらも、
“今年こそは”ってどこかで思ってる。
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“去年の夏”、
海辺で出会うような、爽やかな恋があるって言われた。
実際に海にも行ったし、フェスにも行ったし、
「今日か?今日来るか?」と期待して、
新しい服も買ったし、香水も変えた。
でも、何も起きなかった。
それどころか、フェスで蚊に5箇所刺されたくらいだった。
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“今年の秋”は、まだ終わっていない。
10月後半にチャンスがあるって書いてあったから、
なぜかその日だけ予定空けてる自分がいる。
“秋の出会い”、
それが誰かはわからないけど、
予定のない日が、ちょっとだけ“期待の日”に変わる。
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飲み会で話すと、みんな爆笑してくれる。
「つむぎって、そういうとこかわいいよね〜」
「来年は春かな?それとも、逆に“冬の奇跡”とか?」
「そもそも運命っていつ来るんだよー!」
それで場が盛り上がるのが嬉しくて、
私は自分でも、ちょっとふざけ気味に話す。
「まぁ占い信じてる女は、恋できないって言うしね〜!」って笑ってみせるけど、
ほんとはその裏で、
誰かに「いや、信じてていいと思うよ」って言ってほしい気持ちもある。
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だって、
「自分でどうにもできないこと」が多すぎるから。
仕事だって、恋愛だって、人生の流れだって、
努力だけじゃうまくいかないこと、たくさんあった。
だから、
せめて“タイミング”だけでも信じていたい。
「今はまだじゃない。もうすぐだから」って、
占いに背中を押されるたび、
ちょっとだけ救われてる。
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“出会いの時期”なんて、
当たるも八卦当たらぬも八卦。
でも、“今年の秋”って言われたら、
やっぱり秋の空を見上げながら、
「そろそろかも」って思ってしまう私は――
やっぱりちょっとだけ、本気で信じてる。
占いって、当たる当たらないよりも、
“希望の種”を撒いてくれてる気がしてます。
今年こそ、って何年も言ってるけど、
それでも“今年の秋”って言われたら、
やっぱり信じたくなるんですよね。
……だって、信じるだけなら、無料じゃん?