“ひとりでも平気そう”って言われた。
「つむぎさんって、ひとりでも平気そうですよね」
このセリフ、何回聞いたんだろう。
仕事の飲み会でも、友達との会話でも、
ちょっと仲良くなった男からも、よく言われる。
最初は、褒め言葉だと思ってた。
しっかりしてる。大人っぽい。自立してる。頼りになる。
でも、ある時から、なんだかそれが
「ひとりでいいでしょ?」って言われてる気がしてきた。
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たしかに、私は一人暮らし歴も長いし、
冷蔵庫の中身は自分で管理してるし、
家具も電球も自分で選んできた。
ひとりで外食もできるし、
ひとりで旅行も行く。
何かあっても、だいたい自分で解決してきた。
それが、悪かったんだろうか。
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誰かと一緒にいたいと思ってるのに、
“ひとりでも平気そう”って言われると、
なんかもう、説明する気すらなくなる。
「寂しくないの?」って言われると、
「寂しいに決まってんじゃん」って叫びたくなるし、
「誰かいたほうが良くない?」って聞かれると、
「こっちだって、いたいわ」ってツッコミたくなる。
でも、そんなこと言わない。言えない。
そういう“ちゃんとした女”として生きてきたから。
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ひとりでいることに慣れたからって、
ずっとひとりでいたいわけじゃない。
ちゃんと誰かに甘えたいし、
「どうしたの?」って心配されたり、
「今日疲れたね」って寄り添われたい。
それを“我慢してる”わけじゃなくて、
“できることは自分でやる”を繰り返してきたら、
いつの間にか、
「平気な女」みたいなレッテルが貼られてた。
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でも、その“平気そう”って、
けっこう孤独なんだよ。
だって、心配されない。
頼られはするけど、支えられることは少ない。
「つむぎなら大丈夫でしょ」って、
それ、どんな免罪符?
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以前付き合ってた人にも、同じことを言われた。
「おまえって、なんでもできるから、俺の出番ないよな」
その言葉のあとに続いたのは、「ごめん、他に好きな人できた」だった。
“ちゃんとしてる女”って、
“隙がない女”とも言い換えられるらしい。
でも、それって本当に悪いことなのかな。
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私は、がんばってきた。
仕事も、生活も、人間関係も。
崩れないように、周りに迷惑かけないように、
ちゃんと“自立した女”でいることを選んできた。
なのに、その結果がこれかよ、って
思わず笑ってしまう夜もある。
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“平気そう”って言葉の裏には、
「誰かと一緒にいる必要がないように見える」っていう、
勝手な解釈がついてくる。
本当は、誰かと一緒にいたいのにね。
平気そうに見えるのって、
悪いことじゃないはずなのに。
ほんとは、
強いわけじゃなくて、慣れてるだけ。
頼られたいんじゃなくて、たまには頼りたいだけ。
……それを説明するのも、
なんか疲れちゃうんですよね。