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Hamon 〜感情が視える世界〜  作者: Ray
波紋の追跡者
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2-2

翌朝、澪はアリエルのオフィスへと向かった。昨日のやり取りが頭から離れなかった。「特別調査プログラム」とは何を意味するのか。そして、なぜ自分が選ばれたのか。


アリエルのオフィスはシンプルながらも厳格な雰囲気が漂っていた。壁には複雑な波紋パターンの図表が掲げられ、窓からは都市の西側が見渡せた。


「入りなさい」


澪がノックすると、アリエルの声が中から聞こえた。彼女は机に向かって何かを書いていた。今日の波紋は濃い青色で、集中していることを示していた。


「座りなさい」アリエルは視線を上げることなく言った。


澪は指示された椅子に座り、アリエルが作業を終えるのを待った。


「最初の任務よ」アリエルはようやく顔を上げ、透明なフォルダを澪に手渡した。「西区での異常波紋報告について調査して」


澪はフォルダを開き、内容に目を通した。複数の市民から報告された「濁った波紋」に関する資料だった。地図上には数カ所の発生地点が印されていた。


「これは...感情の偽装が疑われるケースですか?」


「そう」アリエルは鋭い視線を澪に向けた。「もしくは『濁り人』の活動かもしれない。調和省は最近、異常波紋の報告が増加していることを懸念しているわ」


「私一人で調査するのですか?」


「いいえ」アリエルの波紋がわずかに形を変えた。「私が同行する。あなたの...特殊能力が、どのように役立つか見極めるためにも」


澪は無言で頷いた。アリエルの意図を完全には読み取れなかった。彼女は敵なのか、それとも...


「準備はいい?」アリエルが立ち上がった。「すぐに出発するわ」


二人は調査局を出て、西区へと向かった。移動中、アリエルは波紋分析の基本についてさらに詳しく説明した。


「波紋には七つの基本色があり、それぞれが基本感情を表すわ。赤は怒り、黄色は喜び、青は悲しみ、緑は平安、紫は恐れ、橙は興奮、そして白は驚きを表すの」


アリエルは自らの水晶の杖を軽く掲げた。「波紋の濃さは感情の強さを、形は複雑さを表す。そして、感情が純粋であるほど、波紋は透明度が高くなるわ」


「純粋な感情とは?」澪は尋ねた。


「隠し事のない、素直な感情のこと」アリエルの声には誇りが混じっていた。「私たちフェンウェイブ家は代々、波紋の純度を分析する能力に優れているの。偽りの波紋を見抜く目を持っているのよ」


路面電車は西区の駅に到着した。二人は車を降り、報告のあった最初の地点へと向かった。


西区は調査局のある中央区とは雰囲気が異なっていた。建物は古く、結晶の輝きも少し鈍い。人々の服装もカジュアルで、波紋の色も多様だった。


「ここよ」アリエルは古い集合住宅の前で立ち止まった。「昨日、濁った赤と黒の波紋が目撃されたわ」


澪は建物を観察した。特に異常は見られない。


「どのように調査するのですか?」


「まずは目撃者に話を聞くわ」アリエルは建物の入口へと歩を進めた。「それから周囲を調査する。あなたは...何か感じることがあるか注意して」


二人は建物に入り、目撃者の女性に会った。彼女の波紋は淡い青色で、まだ昨日の出来事に不安を感じているようだった。


「昨日見たのは、誰の波紋だったのですか?」アリエルが尋ねた。


「よくわからないんです」女性は首を振った。「窓から外を見ていたら、通りを歩く人の周りに濁った赤黒い波紋が見えて...そんな波紋、見たことがなかったんです」


「その人の特徴は?」


「若い男性だったと思います。長い黒いコートを着ていました」


アリエルはメモを取り、澪に視線を向けた。「何か質問は?」


澪は少し考えてから口を開いた。「その波紋を見たとき、あなた自身はどんな感情を抱きましたか?」


女性は少し驚いたように澪を見た。「私の感情ですか?...恐れ、それと...なぜか悲しみも感じました。まるであの波紋自体が感情を伝えてくるようでした」


アリエルは眉を上げた。澪の質問の意図を理解したようだった。


「ありがとうございます」澪は微笑んで言った。


二人が建物を出ると、アリエルが澪に向き直った。


「なかなか良い質問だったわ」彼女は認めた。「波紋が周囲に与える影響を考えるのは重要ね」


「心理カウンセラーとしての習慣です」澪は答えた。「感情は伝染することがあります」


二人は通りを歩きながら調査を続けた。数カ所の目撃地点を回ったが、決定的な手がかりは見つからなかった。


「これだけの報告があるということは...」アリエルが考え込むように言った。


「組織的な活動かもしれませんね」澪が言葉を継いだ。


アリエルは澪をじっと見た。「あなたはどう思う? もし『暗闇の民』の末裔が存在するとしたら」


澪は慎重に言葉を選んだ。「歴史的記録だけでは判断できません。ただ、どんな集団でも、一方的に悪とみなすのは危険だと思います」


アリエルの波紋がちらついた。彼女の表情からは何を考えているのか読み取れなかった。


「面白い考え方ね」彼女はついに言った。「でも調和省の立場は明確よ。感情を隠す能力は社会の調和を乱すものと見なされている」


そのとき、彼らの会話は予期せぬ声によって中断された。


「お姉さん! その腕輪、すごくきれいだね!」


振り返ると、12歳ほどの少年が立っていた。乱れた茶色の髪と好奇心に満ちた大きな茶色の瞳。頭には奇妙な自作のゴーグルを乗せていた。彼の周りの波紋は明るいオレンジ色で、好奇心と興奮を示していた。


「この子は?」アリエルが眉をひそめた。


「初めまして!」少年は元気よく言った。「僕、ニコ・リップルチェイサー! 波紋ハンターだよ!」


「波紋ハンター?」澪は思わず微笑んだ。


「珍しい波紋を見つけて記録するんだ!」ニコは誇らしげに胸を張った。「君の周りの波紋、変だよ。見えるんだけど、見えないっていうか...普通じゃない」


アリエルの波紋が急に濃くなった。「あなた、どんな波紋が見えるの?」


「いろんな波紋!」ニコは澪の周りをぐるぐると回った。「でも彼女の波紋は...うーん、説明しにくいなぁ。水面に映る月みたいな感じ? そこにあるけど、つかめない」


澪は驚いた。この少年には、何か見えているのだろうか。


「ニコ、私たちは調査中なの」アリエルが厳しい口調で言った。「邪魔しないで」


「調査? 面白そう!」ニコの波紋がより明るくなった。「手伝うよ! 僕、この辺のことなら何でも知ってるから!」


アリエルは断ろうとしたが、澪が先に口を開いた。


「実は、濁った赤黒い波紋を持つ人を探しているんだ。昨日この辺りで目撃されたんだけど」


ニコの瞳が輝いた。「ああ、知ってる! 長いコートの男でしょ? 僕も見たよ!」


アリエルは澪に鋭い視線を向けたが、すぐにニコの方を向いた。


「どこで見たの?」


「下町マーケットの近くだよ。この時間なら、まだ開いてるはず」ニコは南の方向を指さした。「案内するよ! ついてきて!」


アリエルは躊躇したが、澪が小さく頷いた。「手がかりになるかもしれません」


「わかったわ」アリエルは渋々同意した。「案内してもらおう」


ニコは嬉しそうに二人の前を歩き始めた。


「ところでお姉さん、名前は?」彼は振り返って澪に尋ねた。


「風間澪よ」


「澪...いい名前だね!」ニコは笑顔を見せた。「君、どこから来たの? 僕、この街で生まれたけど、君みたいな人見たことないよ」


「それが...よくわからないの」澪は正直に答えた。


「謎の旅人! かっこいいじゃん!」ニコは興奮した様子で言った。「僕、謎が大好きなんだ。特に波紋の謎!」


アリエルは不満げに唇を引き結んでいたが、ニコの無邪気な熱意には何も言わなかった。


彼らが歩くにつれ、街の様子が変わっていった。建物はより古く、狭い路地が増え、人々の服装も多様になった。そして何よりも、波紋の色が鮮やかで多彩になっていた。


「ここは下町」ニコが説明した。「調和省の監視が薄い場所だから、みんな少し自由に波紋を出してる」


「調和師はいないの?」澪は尋ねた。


「たまに来るけど」ニコはニヤリと笑った。「僕たちは彼らの巡回スケジュールを知ってるから、上手く避けるんだ」


アリエルがニコを鋭く見つめた。「あなた、『リップルキッズ』の一員?」


「知ってるんだ!」ニコは驚いたように言った。「そうだよ! 僕たちは波紋の秘密を探る子供集団さ!」


澪には二人の会話の背景が完全には理解できなかったが、アリエルの緊張が高まったことは感じ取れた。


「ほら、ここだよ!」


彼らは雑多な露店が並ぶ広場に到着した。様々な商品が売られ、多くの人で賑わっていた。そして何より印象的だったのは、人々の波紋の多様さだった。中央区の均一な波紋とは違い、ここでは様々な色と形が混ざり合っていた。


「下町マーケット」ニコが誇らしげに言った。「ハモニアの本当の顔だよ」


アリエルは警戒的に周囲を見回した。「この場所は波紋規制が緩いわね」


「それがいいんじゃない?」ニコが無邪気に言った。「みんな本当の自分でいられるから」


澪はこの場所に不思議な親しみを覚えた。多様性が受け入れられるこの空間は、彼女の心をどこか安らかにさせた。


「あの男だ!」ニコが突然、声をあげた。「長いコートの!」


澪とアリエルが指された方向を見ると、黒いコートを着た男が露店の間を歩いているのが見えた。その周りには確かに、濁った赤黒い波紋が漂っていた。


「追いましょう」アリエルが素早く言った。


三人は男を追いかけたが、男は彼らに気づくと、急に速度を上げ、雑踏の中に消えていった。


「こっちだ!」ニコが路地を指した。「近道があるよ!」


迷路のような路地を抜けると、彼らは男が入ったと思われる建物の前に出た。古い倉庫のような建物で、入口は半開きだった。


「ここは...」アリエルが眉をひそめた。


「『濁りの市場』」ニコが小声で言った。「普通の人は入れない場所だよ」


「何の市場?」澪が尋ねた。


「感情瓶とか、波紋調整器とか...普通は手に入らないものが売ってる」ニコは少し興奮した様子で説明した。「僕も一度だけ、先輩に連れてきてもらったことがあるんだ」


アリエルの波紋が乱れた。「それは違法よ」


「でも、私たちの調査には重要かもしれません」澪が言った。「中を見てみましょう」


アリエルは躊躇したが、最終的に同意した。「いいわ。でも、波紋分析官という身分は隠すわ。警戒されるだけだから」


「僕も一緒に行く!」ニコが言った。


「だめよ」アリエルはきっぱり断った。「危険かもしれない」


「でも、僕がいないと中には入れないよ」ニコが自信満々に言った。「入口には『波紋認証』があって、初めての人は通れない」


アリエルは苛立ちながらも、ニコの言うことが正しいと認めざるを得なかった。


「わかったわ。でも危険を感じたら、すぐに引き返すのよ」


三人は慎重に建物に入った。暗い廊下を抜けると、そこには想像もしていなかった光景が広がっていた。

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