1-3
午後の検査は澪の予想をはるかに超えるものだった。
「これが波紋共鳴装置です」イリアが説明した。「通常は感情波紋のバランスを整えるための機器なのですが、今日はあなたの波紋を検出できるか調べます」
澪は半透明のドーム状の装置の中に座っていた。周囲には様々な結晶が配置され、それらが淡く光っている。
ハルモン医師が操作パネルに向かい、何かを調整していた。彼の周りの波紋は青みがかった緑色で、集中している様子がうかがえた。
「始めます」医師が言った。
装置が低いハミング音を発し始め、周囲の結晶がより明るく輝いた。澪は何かを感じるべきなのか分からず、ただ指示通りに深呼吸を繰り返した。
数分後、医師は困惑した表情でパネルを見つめていた。
「反応がない」彼は言った。「波紋が全く検出されません」
イリアが近づいてきた。彼女の波紋には青い線が混ざっていた。心配しているのだろうか。
「これは珍しいことなの?」澪は尋ねた。
「珍しい?」医師が眉を上げた。「前例がありません。すべての人間は波紋を持っています。それが検出されないというのは...」
「他の可能性もあるはずです」イリアが割り込んだ。「例えば、装置の周波数が合っていないとか」
医師は納得していないようだったが、頷いた。「他の検査も進めましょう」
その後、澪は様々な検査を受けた。血液検査、脳波検査、そして「感情刺激テスト」と呼ばれる、様々な画像や音を見せられて反応を測定するものまであった。
すべての検査が終わった後、三人は医師のオフィスに集まった。
「風間さん」医師が言った。「あなたの身体に異常はありません。健康状態は良好です」
「でも?」澪は医師の表情から、何か問題があることを感じ取った。
「でも、感情波紋がまったく検出されない」医師は深刻な表情で続けた。「これはハモニアでは非常に...特殊な状態です」
「特殊というと?」
医師とイリアが視線を交わした。イリアの波紋に淡い紫色が混ざり始めた。
「風間さん」イリアが優しく言った。「ハモニアでは、感情波紋は社会生活の基本です。波紋を通じて互いの感情を理解し合うことで、調和が保たれているの」
「波紋がない人は」医師が続けた。「『濁り人』と呼ばれることがあります。感情が濁っている、あるいは...隠しているとみなされるのです」
澪は自分の手を見つめた。心理カウンセラーとして、他人の感情を読み取ることを仕事としてきた彼女が、ここでは「感情がない」とみなされるのは皮肉だった。
「ですが」イリアが急いで付け加えた。「あなたは外見上まったく正常で、会話も理性的です。波紋がないだけなのです」
「選択肢は二つあります」医師が言った。「あなたを『感情表現障害』の患者として療養所に留め、治療を試みるか。あるいは...」
「あるいは?」
「『波紋調査員』の面接を受けるか」イリアが答えた。「彼らは政府機関で、異常な波紋パターンや、あなたのような特殊ケースを調査します」
澪は考えた。この状況を理解するには、社会に出て学ぶ必要がある。それに、この世界がどのようなものか知る必要もある。
「調査員の面接を受けます」澪は決断した。
医師は少し驚いた様子だったが、頷いた。「では手配しましょう。明日の午前中に」
イリアは澪に微笑みかけた。彼女の波紋が明るい緑色に戻った。
「それまで私があなたの世話をします。ハモニアのことをもっと説明するわ」
医師のオフィスを出た後、イリアは澪を療養所の庭へと案内した。そこには様々な色の結晶でできた噴水があり、水が七色に輝いていた。
「ハモニアでの生活について、基本的なことを教えるわね」イリアは澪の隣に座った。
「ハモニアは感情の調和を最も重視する社会よ。すべての市民は自分の感情波紋を管理する訓練を受け、『朝の調和』と呼ばれる儀式で一日を始めるの」
「感情を管理する?」澪は疑問を感じた。
「そう。極端な感情は波紋の乱れを引き起こし、周囲に悪影響を与えると考えられているわ」イリアの波紋が少し褪せた。「特に否定的な感情は抑制するよう教育されるの」
「そんなことが可能なんですか?」
「完全には無理よ」イリアが小さく笑った。「だから『調和師』という職業があって、波紋の乱れを整える手助けをするの。私もその一種よ」
「では、私のように波紋がない人は...」
「とても珍しいわ」イリアは真剣な表情になった。「歴史的には『暗闇の民』という伝説があって...感情を隠す能力を持つ人々のことなの。でも、それは三百年以上前の話」
「暗闇の民?」
イリアは周囲を見回し、声を低くした。「ほとんど神話のような話だけど、『大感情災害』の原因になったと言われているわ。感情を隠し、偽り、混乱を広げたと...」
「本当なんですか?」
「わからないわ」イリアは肩をすくめた。「歴史書にはそう書かれているけど、詳細は語られていない。ずっと昔の出来事だから」
澪は考え込んだ。この世界では自分のような存在は危険視されているのかもしれない。そう考えると、明日の面接がより重要に思えた。
「明日の面接では」イリアが続けた。「正直であることが大切よ。ただし...すべてを話す必要はない」
「どういう意味ですか?」
イリアは噴水の水面を見つめた。「私には...あなたが感情を持っていることがわかるわ。表情や声の調子から感じるの。だから、波紋がないのは何か別の理由があるはずよ」
澪は黙って頷いた。イリアは彼女の本質を見抜いているようだった。彼女は感情がないのではなく、それを表に出すことが苦手なだけなのだから。
「そろそろ戻りましょう」イリアが立ち上がった。「明日に備えて休息が必要よ」
部屋に戻る途中、澪は窓から見える街並みを観察した。夕暮れ時、都市全体が金色と橙色の波紋で輝いていた。美しいと同時に、どこか不安を感じさせる光景だった。
「明日から、私もあの世界の一部になるのね」
澪はつぶやいた。イリアの波紋が優しく揺れたが、澪の言葉に対する返答はなかった。