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とっぴんぱらりぃぷぅ

作者: 雉白書屋

「とっぴんぱらりぃぷぅ!」


「ははははは!」

「あはははは!」

「いひひひひ!」


「こらこら、そこ。仕事中はダメだぞ。禁止だ」


「あ、課長。禁止ってなんのことですか?」


「それはその、あれだよ……」


「あれってぇ?」


「だから……とっぴんぱらりぃぷぅ!」


「ははは!」

「課長、狙ってたでしょ! あははは!」

「はははははは!」


「なあ、なあ! 最高だよな! とっぴんぱらりぃぷぅ!」


「あ、ああ。ははは……」 


 ……はあ?


 おれは嫌いだ。この「とっぴんぱらりぃぷぅ」という言葉が大嫌いだ。いや、もう憎くて仕方がない。

 ふざけた顔をしてあの言葉を口にする課長も、大笑いしておれの肩をバンバンと叩く同僚も、全員殴り倒したくなる。

 この耳障りな、まるで耳元を飛び回るハエのような、と、と、とっぴん、ああぁぁぁ……思い浮かべたくもないこのくだらない言葉を聞くたびに、体の芯からムカついて仕方がないのだ。

 流行し始めたのはつい最近だが、どこから湧いて出たのか、そしてどこまで広がるのか、まったく見当がつかない。正直ゾッとしている。まるでウイルスだ。テレビ、ラジオ、SNS、あらゆるメディアで老若男女がこの言葉を連呼している。「流行語大賞確定」だなんて言われて、どのバラエティ番組でも誰かが必ず一回は口にするので、もうテレビなんて落ち着いて見られない。

 最悪なのは、周りの連中がこの忌々しい言葉をおれに強要してくることだ。

 おれだって大人だ。自分の意に反する言葉を口にしてきたことは何度もあったし、これからもあるだろう。それを受け入れてもいる。だが、あのブス言葉だけはどうにも体が受け付けない。吐き気すら覚えるし、代わりに思いっきりゲロを浴びせてやりたいほどだ。そうすれば、連中も少しはおれの気持ちがわかるだろう。でも、一会社員としてそれは許されない。仕方なく場の空気を読んで口にするが、頭を掻きむしりたくなるほどの嫌悪感に襲われる。


「ねえ、気にしすぎじゃない? ちょっと流行ってるだけじゃない。とっぴんぱ――」


「言うな!」


「怖いわよ……」


「ああ、すまん……」


「まったくもう。お風呂入ってくるから、食べ終わったらお皿は水に浸けておいてよね」


 妻はそう言い残してリビングを出ていった。テレビが見られないせいで、最近は無音の中で晩酌をするのが当たり前になっている。

 妻にもあの言葉を口にしないよう頼んでいるが、風呂やトイレに入っているときには、こっそり口にしているのを知っている。ほら、今もだ。鼻歌に乗せて……聞こえる、聞こえるぞお……。あのクソ女が……っと、いかんいかん、冷静になれ。

 それにしても、おれがあの言葉を聞くのが堪えられないように、普通の人間は言わずにはいられないのだろうか。……いや、普通の人だなんて、まるでおれが異常みたいじゃないか。あんな馬鹿げた言葉を恥ずかしげもなく喜んで口にする連中のほうがおかしいんだ。

 どうせ、連中は数か月もすれば飽きて、「どうしてあんなのが流行っていたのかわかんない」「何が面白いの?」なんてしれっと手のひらを返すに決まっている。流行語大賞だのなんだので表彰される頃には、すっかり忘れ去られているだろう。表彰式は引退式だ。


 そう思っていたのに、あの悪魔がケツから糞をひり出すような不快な音の集合体の勢いは衰えるどころか、むしろ増していた。ネット上では飛び交い、コラムニストが真面目な振りして考察を述べ、関連書籍がこぞって出版され、果てには政治家までもが演説の締めに使う始末だ。そして街中では、脳みそまで糞が詰まった馬鹿どもが飽きもせず連呼している。


 ――とっぴんぱらりぃぷぅ!

 ――とっぴんぱらりぃ……ぷぅ!

 ――とぴぱらぷぅ!

 ――とっぴんぱらりぃぷぅっぷっぷぅ!


 少しずつアレンジが加えられていたが、飽きる気配はまるでない。

 おれは一際鬱陶しいアレンジをしやがった通りすがりのクソガキの足を掴んで振り回し、何度も地面に叩きつけたあと、頭蓋骨を踏み砕き、流れ出た血に小便を混ぜて……そうしてやりたい衝動を堪え、なんとか妄想に留めたものの、危うく実行しそうになった。

 最近は寝ても覚めてもイライラが収まらない。そんなおれに周りは「ほら、言えばスッキリするから、お前も言ってみろよ」と、まるで違法ドラッグでも勧めるみたいに、あのクソクソクソ言葉を口にするように促してきやがる。この間、あまりのしつこさに相手の胸を突いてしまった。幸い喧嘩にはならなかったが、イライラは増す一方だ。

 妻との関係も悪化し、子供を作るどころか、最近では一緒に寝ることすらなくなった。

 もっとも、おれに子供がいたとして、その子があの言葉を口にしていたらと思うと、自分が何をしでかすかわからない。

 だが、仮にそうしていたとしても、おれは悪くない。悪いのは……そうだ、あんな言葉を流行させた奴だ。それは誰だ? 芸人か? ギャルか? ネット民か? それとも広告会社か? 元を断てば、この悪夢も終わるのではないか。


 そう考えたおれは、あの忌まわしき言葉の起源を探し始めた。だが、見つかったのは、「自分が作った」「おれが流行らせた」などとのたまう目立ちたがり屋のつまらない人間ばかりで、信憑性のあるものは一つもなかった。

 しかし……。



「ここか……」


 ネットの情報を頼りに、おれはとある研究所を訪ねた。蔦のせいで看板の文字は【幸――】としか読めない。門は古く、完全には閉まらないようだ。見るからに寂れているが、本当に頼りになるのか。そう思いつつ、おれはインターホンを押した。


「――というわけで、来たぞ。あんただよな? ネットのサイトに『この言葉にイライラして耐えられない方はこちらの住所までお越しください』って書いたのは」


「ええ、間違いありません。よくお越しくださいました」


 研究所の中は古びていて、出迎えた老人――どうやら博士らしい――に案内されるまま、おれはボロボロのソファに腰を下ろした。

 何を研究しているかは知らないが、隠居老人という言葉がぴったりだ。おれは出されたコーヒーをすすりながら博士に訊ねた。


「で、このイライラを抑える方法を教えてくれるのか? そんなのがあるとは思えないけどな」


「ええ、まずは確認ですが、イライラするんですね? あの言葉を聞くと、とっぴんぱら――」


「言うな! 殺すぞ!」


「これは相当ですねえ……」


 博士は笑みを浮かべておれをじっと見つめた。気味の悪い糞野郎だ……そのガタガタの歯をぶち抜いて、口に手を突っ込んで喉チンコを引き千切って鼻の穴に……と、いかんいかん。おれは深呼吸をし、落ち着こうと努めた。


「気をつけてくれ。危うくあんたを絞め殺すところだったぞ」


「なるほど。あの言葉を耳にすると殺人衝動、いや破壊衝動が込み上げてくるわけですね?」


「そうだ。特に最近はひどい。あの言葉が広まれば広まるほど、悪化していく気がする」


「ええ、そうでしょうとも。そういう方が出ることは計算のうちです」


「計算……? 何の話だ?」


「実は、あの言葉を世に送り出したのは私なんですよ」


「な! おま! おまんこ野郎! 殺してやる!」


「落ち着いてください。あなたは本来、そんな暴言を吐く人ではないでしょう?」


「あ、ああ、当然だ。おれは普通だ、普通の会社員だ。なのに……クソッ、世の中がおかしいんだ!」


「ええ、ええ、そのとおりです」


「そう、そうだよな。ははは……」


 おれは博士の言葉に少しだけ救われた気がした。……いや違う。あの言葉を生み出した糞の神はこいつなんだ。バラバラにしてトイレに流してやるべきだ。


「まあ、そう怖い顔せずお聞きください。私は長年、言霊について研究してきました」


「言霊?」


「そうです。聞いたことがあるでしょう。言葉に宿るエネルギーのことです。私は人々を幸せにする言葉を作り出そうとしていたんです」


「それが例のあれか。じゃあ、次は遺言を考えるんだな」


「どうどう、落ち着いてください。話はまだ続くのです。脳内のストレスホルモンを低減し、幸福感をもたらす音の組み合わせを探り、完成した言葉をその都度、世に送り出していたのです」


「やっぱりてめえじゃねえか、この汚物野郎が。屁コキのゲップゴミクソ製造機め……ん? その都度?」


「ええ、そうです。これまで流行語の多くは私が作ったものです」


「は!? あんたが!?」


「そうです。お笑い芸人やインフルエンサーに提供してきました。それで、世間の反応を見ながら改良を加えてきたんです」


「あのゲロ言葉がその集大成ということか、やはり貴様は死ぬべきだ」


「ええ、ですが、まだ未完成です。幸福感には個人差があり、あなたのように副作用を起こす人もいるのです」


「未完成だと? 世の中をトイレットペーパーが浮かぶドブ川にしておいて、まだ満足しないのか?」


「それはあなたが副作用により、そう感じているだけですが、まあ、確かに世の中はまだドブ川のようなものです。私はすべての人が幸せになれる言葉を完成させたいのです。そうすれば世界平和が実現する」


「知ってるか? ろくでもない奴ほど世界平和を謳うってことをな。いや、そんなことはどうでもいい。とにかく、あの言葉を廃れさせる方法を、このイライラを抑える方法を教えろ!」


「ほっておいても、あの言葉は自然に廃れていきますよ」


「え? そうなのか?」


「はい。さっきも言いましたが、まだ未完成ですからね。これまでの流行語と同じく、年の変わり目には効力を失い、世間から消えていくでしょうね」


「……はは、ははは! なんだ、そうなのか。まあ、そうだよな。ははは! はは、ははは……あれ……」


 安心したせいか、急に眠気がやってきた。おれはテーブルに手をついて、ゆっくりと頭を下ろした。


「完成させるためにはサンプルが必要なのです。あなたのように、一般の反応とは異なる人たちがね。実はそういった人は、これまでも何人かいました。それで――に呼び寄せ――」


 博士の声が遠のいていく。眠りかけているせいか、それとも、実際にそうなのか。博士が立ち上がったのが視界の隅に映った。


 ――とっぴんぱらりぃぷぅ!


「この言葉は――彼の――」


 ――とっぴんぱらりぃぷぅ!


「ほら見てくださ――幸せ――顔――」


 ――とっぴんぱらりぃぷぅ!


「あなたの脳からは、どんな幸せな言葉が生まれるのでしょうか」


 博士がおれの頭をそっと掴んで傾け、耳元でそう囁いた。おれの目の前では、車椅子に座った男が笑顔で涙を流しながら、あの言葉を繰り返していた。

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