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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

さまーはっぴーえんど

作者: 梅木しぐれ

 死のうと思った。

 人が溢れかえる駅のホームで——————なんとなく死のうと思った。

 電車が近づいてくる音に合わせて、足を動かす。周りの人たちはお手元のスマートフォンに夢中で、わたしの行動に気づいていない。

 不思議と怖くなんてなかった。

 ただ、信号が赤から青に変わったから歩き出す。お腹がすいたから、ご飯を食べる。眠たくなったから、眠りにつく。そんな普通の、あたりまえの行動のように、すんなりと足が動いていく。


——……あともう少し。


 吸い込まれるように線路に近づいていけば、左腕が掴まれ、体を後ろへと引っ張られた。力に逆らうことなく、引っ張られるまま後ろを振り返ればニコリと笑った男が立っていた。

 時間が止まってしまったような錯覚をしてしまうほど、男とわたしは見つめあう。見つめあうなんて言っても、実際は1秒もなかったかもしれない。その瞬きのような刹那の時間が、永劫のように長く体が、息が止まっていた。

最初に動いたのは男だった。気が付けば電車は停止しており、男はわたしの腕を引いて、二人で電車に乗り込んだ。


 電車はどんどん進んでいく、降りるはずである学校の最寄り駅を通り過ぎた。ぼんやりと窓の向こうの光景を見る。手前の建物はとてつもない速さで流れていくのに、奥に見える建物はゆったりと流れていく。通勤や、通学ラッシュで人が多かったが、今ではわたしと、わたしの左腕を掴んだままの男しかいない。もしかしたら、ここから見えないだけで、同じ車両に数人いるかもしれない。


「人いなくなったし、座ろっか」


 何か反応する前に、腕をひかれて隅っこの席に座らされる。男はわたしの隣に座るも、左腕は解放されなかった。


「……あの、」


 手を放してください。と続くはずの言葉は、男の「死にたかったの?」という質問に遮られた。伺うように男のほうに視線をやれば、こちらを見ていると思っていた瞳は、窓の向こうをまっすぐと見つめていた。それを真似するように、わたしも窓の向こうを見つめる。


「……なんとなく、ただ、なんとなく——————死にたくなっただけです」

「ま、天気もいいもんね」


 あっけらかんと返ってきた言葉に、喉が詰まった。

 だって、こんな言葉が返ってくるなんて思ってみなかったのだ。わたしの言葉にドン引きして腕を放してもらおうと思っただけの言葉だった。それだけの言葉に隠した気持ちも、行動も、肯定も、否定もしない。暗くなったから、明かりをつけるような気軽さが、心地よかった。


「? なんで、そんなに驚いた顔してるの?」


 こちらを見て不思議そうに首を傾げた男に、慌てて顔を伏せた。わたしの行動を不思議そうにしながらも「あ、まだ腕掴んだままだった。ごめんね」と手を放してくれた男に小さく頭を下げる。


「さあて、ここまで来ちゃったし。せっかくだから、学校サボっちゃおうか」

「え?」


 男の言葉に顔を上げれば、電車がちょうど止まり「ほら、行くよ!」と、再び腕を引かれて、聞いたことがない駅でわたしたちは下車した。



◇◇◇◇◇



「定期にお金は入ってる?」

「……一応」


 見慣れない改札を抜けて、外に出れば、当然のように知らない景色が広がっていた。

 じわじわと熱い光が降り注ぐ世界から、避難するようにわたしと男はコンビニへと逃げ込んだ。やる気のない店員に迎えられ、冷房が効いた室内で一息つけば、男は飲み物を買おうと奥へと進んでいく。買いたいものもないため、その後をのろのろとついていく。


「こんなに暑いと、炭酸が飲みたくなるよね」

「そういうものなんです?」

「そういうものなんです」


 男のよくわからない話に首を傾げる。


「なにも買わないの?」

「……必要性を感じないですから」

「そっか。じゃあ、俺はお金払ってくるから、先に外で待ってて」


 すぐ終わるため、男に言われたとおりにコンビニの外に出た。外に出れば空気が存在感を主張し、車の窓や、道の白線に太陽光が反射して、世界が眩しい。先ほどまで止まっていた汗が、再び頬を伝う。


「おまたせ~~~」

「言うほど待ってないです」

「あ、そう?」


 たくさん買ったのか、男は大きなビニール袋を引っ提げていた。

 男は買ったものが入っているビニール袋をガサガサと漁る。——炭酸以外にも買ったのか。なんて思いながら、その様子を眺めていれば目当てのものが見つかったのか、意気揚々と取り出した。

 ビニール袋から出てきたのはアイスだった。しかもそのアイスは、二つに分けられるタイプのものであり、男はさも当然のように二つに割ったアイスの片方をわたしに差し出した。


「ほら、早く受け取って。溶けちゃうから」

「あ、はい」


 アイスを受け取れば、大きな口を開けて男はアイスを食べた。シャリシャリと涼しい音を立てる男を見つめていれば、男はこちらを見て眉をひそめる。


「だから、溶けちゃうって」


 呆れたように言われた言葉に、手元のアイスを見れば男の言う通り溶けだして、持ち手の部分に垂れてきそうだった。慌てて口に入れれば、男も先ほどと同じように大きな口を開けて、アイスを食べ始めた。


 ——見知らぬ人と、コンビニの前でシャリシャリとアイスを食べる経験なんて今後の人生でもないだろうな。


 わたしと男の間にあるのは、アイスを咀嚼する音だけだった。


 誰かとの無言が、こんなに苦しくないのは初めだった。





 スマートフォンに初期装備で入っているマップによれば、この辺りに海があるらしい。男は「せっかくだし行こうか」と、アイスの棒をゴミ箱に捨てて歩き出す。わたしも慌ててアイスの棒を捨て、その後を追う。


「海は好き?」

「嫌いです」

「理由を聞いても?」

「………むかし、溺れたから」

「それは、嫌いにもなるな~」


 ケラケラと笑う男は楽しそうで、恥ずかしくなってきたわたしは下を向いた。


「まーでも、俺も海は嫌いだしな」

「え?」


 意外な言葉に、顔を上げれば少し先を歩く男は前を向いていて、表情を伺うことができなかった。友達がたくさんいて、街とか、山とか、それこそ海で、はしゃいで遊んでるんだと、勝手に思っていた。


「意外だった?」

「いや、あ、その………はい」


 正直に肯定すれば、男は声を上げて笑った。


「いやぁ、溺れたことはないんだけどさ。海ってたくさん生物いるでしょ? それで、小学生の時に気づいたことがあってさ」

「なにに気づいたんです?」

「トイレっていう概念がないでしょ? だから糞や尿が、そのまま海に出てるって思ったら綺麗とは思えなくなってさ。入っていられなくなったんだよね」


 潔癖症ってわけじゃないんだけどさ。なんて軽く言う男の後姿を——それを、潔癖症というのでは? なんて考えながら、ぼんやりと見る。


「あ、そういえば聞いてもいい?」


 なにかを思い出したのか、振り返りながら聞いてきた男に首を縦に動かして、続きを促した。


「蒸し返すようで悪いけどさ——————どうして死のうと思ったの?」


 小さく呟かれたはずの言葉は、嫌に耳元で聞こえた気がした。


「相談に乗りたいとかじゃないけど、んー。不謹慎だけど純粋な興味? かな」


 男の言葉には、わたしをおちょくるような感情は見えなかった。本当に、ただの興味で聞いているのだろう。その事実に安心して、言葉がするりと出た。


「—————なんだかいきるのがつらくなったから」

「そっか。答えてくれてありがとう」


 軽い口調で返ってきた言葉に足を止めれば、男も足を止めた。


「どうして? て思ってる?」

「……だって、たいていの人は、五体満足で生まれたんだからとか、今日を生きられない人がいるんだから、って言うから、」

「うん」

「、世界には、わたしなんかより不幸な人がたくさんいて、わたしはめぐまれてて、しにたくなるなんて、ぜいたくだ。って、わたしだってそうおもうのに、」


 握りしめた手のひらが痛くて、はりついた喉が苦しくて、目の奥が熱くて、鼻が痛くて、俯いた。いくら、おちょくるような感情が見えなくても、わたしは責められることを覚悟していたのだ。


「んー。そうだなぁ。例えば、道で転ぶとしよう。Aさんは、膝が擦り剝けて、血も出て痛い。Bさんは、転んだ時に下にあー、まぁ、何かが置いてあって、肉が抉れて、骨が見えて、もちろん血も止まらない。——————どっちの方が、痛いと思う?」


 それはもちろん、Bさんの方が痛くて、不幸だろう。と思う。

 転んで、肉が抉れて、骨まで見える怪我をしたんだ。それに比べてAさんの怪我は、血が出て痛いとしても軽傷だ。


「俺はBさんの方が痛いとは思う。でもさ——————比べたところで、どっちも痛いことは変わらないんだから、どっちも無い方がいいよね」


 そう言って笑った男は、「ほら、潮の香だ!」と楽しそうに叫んで、わたしの腕を掴んで、走り出した。





 肌色の砂浜が太陽の光によって、きらきらと光っている。ローファーを履いているが、裸足で歩こうものなら、火傷してしまうかもしれないほどの熱を感じる。


「こんなに熱いと、砂のお城とか作れないね」

「作るつもりでいたんですか?」

「え? 作るつもりなかった?」

「だって、バケツ無いですし」

「ガチのやつじゃん」


 青い……とは言えないが、とにかく大きな海をぼんやりと眺める。

 

「もう少し波打ち際まで行こう!」


 男は濡れない位置に、鞄とコンビニで買ったものを置いて、波打ち際まで走った。波しぶきが足にかかったのか「冷たっ!」と悲鳴を上げる。

 わたしはその背を追いかけることができず、鞄を持つ手に力を入れる。


「ほら! はやく、おいでよ!」


 手を振る男に、しかたなくを装って、同じ場所に鞄を置いてから波打ち際に近づいた。

 波で濡れた砂は鼠色に変わっている。


 ——そういえば、絵具も全部混ぜると鼠色になったな。


 バシャリ。


 突然濡れた髪の毛が、頬に張り付いた。


「あ、やべ」


 声がした方に首を動かせば、男は両手を合わせていた。


「ごめん、ごめん! 足にかけようとしたら、思った以上に力がね、うん……」

「……濡れるのも嫌だったのに」


 気まずいのか指をいじいじとさせる男に水をかけようと、体の向きを変えるため足を動かせば、砂に足を取られ転倒した。


「あちゃー……」


 転倒したわたしは、ずりずりと体を起こし、波打ち際に座り込んだ。

 絶え間なく押してくる冷たい液体が、靴を、パンツを、スカートを濡らしていく。


 ——……なんて、惨めだ。


 あまりの自身の惨めさに下を向く。


「わー!!! ほんとに、ごめん!!!」


 ばしゃばしゃと近づいて、自身のズボンが濡れるのも忘れているのか男はわたしの前に座り、顔を覗き込んだ。



 私はこの瞬間を待っていた。



 勝負は一瞬だった。


 バシャリ!


 何が起きたのか分かってない男は目を丸くした。


「……さっきのお返しですよ」


 わたしの言葉に、顔に水をかけられたことに気づいた男は無言で立ち上がり、少しだけ距離を開けた。


 ——あ。

 ——……怒らせた、のかも。


 心臓がきゅうと痛くなった。

 いつもそうだった、いつもこうだ。

 周りの空気を読めないから。


 バシャっ!!


「ぎゃう?!」


 突然、顔面にかかってきた水に目を瞑る。


「ぎゃうって! ぎゃうって、なんだよ、はは!」


 声を出して笑う男を見上げれば、こちらの視線に気づいてにやりと笑った。


「し・か・え・し」


 一言ずつ区切られた言葉の意味を理解すれば、なにかを思う前に、わたしの腕は動き、バシャリと男に水をかけていた。

 それから、わたしたちは叫びながらお互い濡れることも忘れて、「やったな!」「そっちこそ!」なんて小学生みたいにはしゃぎながら水を掛け合った。


「はぁ、はぁ、久しぶりにこんな動きました……」

「それは、運動しなさすぎじゃないか?」


 肩で息をするわたしを呆れたような顔で見ていた男は、不意に水平線のその先を見つめる。太陽は真上へと到達し、じりじり降り注ぐ熱はわたしと、男の間に見えない壁を作った。


「————ねぇ」


 こちらを見る男の顔は逆光で見えない。


「いこう」


 差し出された手と、見えない顔を交互に見れば暑いはずの世界が、どんどん冷たいものに変わっていく。


 海は怖い。

 海は冷たい。


 逃げるように、ぎゅうと目を瞑れば、


「二人なら怖くないさ」


 男のこの言葉に、気づいたらわたしは手を重ねていた。





 じゃぶじゃぶと音を立てて歩く。

 つないだ手は、もう海の中だ。

 踏ん張れない地面、こちらを陸に押し返すような波、先を歩く男の背中。

 後ろを振り返れば、置いてきた鞄がずいぶんと遠い。

 もう結構な深さまで来てしまった。

 押し寄せる波が顔にあたって、しょっぱい水が口の中に入る。

 あんなにも怖くなかったはずの行為が――――――違う!

 怖くなかったのは、人が大勢いたからだ! 誰かが気づいてくれると、助かる可能性が高かったから、どこかで安心感があったから、こわくなんて、こわくなんてなかったんだ——————なにより、自分が死んでしまうなんて、これぽっちも思っていなかった。


「わっぷ、あ、あ、うぇ、あの!」


 声をかけたいのに、波に邪魔されてできない。

 足は地面についていなくて、もう泳いでいる。



 肯定も、否定も、好きって言うのも、嫌いって言うのも、酷く難しい世界で、周りに流されるように生きてきた。普通なんてわかんなくて、みんなが何を考えてるのかわかんなくて、こわくて――――――世界に一人になってしまったような気がして、寂しかった。


 繋がっている手を、上から余っている手で掴んだ。

 水の中で、体重をかけられるかなんてわからない。わからないけど、後ろに重心を持っていけば、足が滑った。


「っ!?」


 頭も体も全部水の中に入った。入ってしまった。

 縋るように、離れないように、男の腕を抱きしめる。


 ごぽごぽと口から空気が出ていく。


 ——もう、むり……。


 ボコリ。


 大きな泡が水面を目指して上がっていく。


 ——あぁ、しにたくないなぁ。





 何かが聞こえた。

 億劫なのを我慢して、瞼を上げれば青い空がわたしを見下ろしている。


 ——……いきてる?


 全身がずぶ濡れで、海水特有のねちゃねちゃ感が気持ち悪い。


 ——あぁ、そういえば……離れないように、こわくないように何か一生懸命握ったような……?


 温かなそれに視線をやれば、力の入っていないわたしの手を誰かが力強く握っていた。誰かなんて一人しかしない。

 ガバリと起き上がれば、隣から「うおっ?!」なんて男は呑気に声を上げた。


「あ、気が付いた?」


 へらりと笑った男の顔を見たら――――ぽろりと何かがこぼれた。

 二人とも生きている。生きていた! その事実に、どうしようもない安心感と、一つまみのがっかり感で、頭から垂れてきた海水が目に入って痛い。すごく痛い。


 ちゃぷちゃぷと耳をくすぐる波が、とても温かい。


「歩ける?」


 首を縦に動かせば、男は先に「よいしょ、と」と立ち上がった。


「じゃあ、せーのでいこう。せーのっ!」

「ぅわっ?!」


 男に引っ張り上げられたと思えば、鞄を置いていた場所まで手を引かれる。ビニール袋をガサゴソと漁っている姿をぼんやり見ていれば、お目当てのものを見つけたのか「あった、あった」と声を出す。


「はい、これ」


 渡されたのは、真新しいタオルだった。


「いや~、最近のコンビニは本当に便利だよね」


 折りたたまれているタオルを広げて、わたしの頭に被せた。新しいタオルは、残念なことに水分を吸収しない。

 繋がれた手はするりと離れ、男は濡れたわたしの髪の毛を拭く。


「あ、そういえばさ」

「なんです?」

「自己紹介してなかったね」


 なんて今更な言葉なのだろう。


「俺は3年の立花治」

「……3年?」

「あれ? もしかして、気づいてなかった……?」


 動きを止めた男を上から下、下から上と見る。

 自身が履いている茶色のチェックのスカートと、同じ柄のズボン。学校指定の鞄が足元に二つ。なにより白いシャツの胸ポケットには、目立たないように刺繍された―――――見慣れた学校名。


「……うそ」

「いや、ほんと。てっきり、気づいたうえで来てくれてるんだと思ってた」

「……気づかなかった」


 呆然と男————立花治を見上げれば、困ったように笑った。


「気づかなかったって、どんだけ自暴自棄になってたんだよ……」

「それは……はぁ、ま、はい」


 立花治の視線から逃げるように、地面を見れば雫が髪の毛を伝い、重力に逆らうことなく下へ垂れていく。


「まぁ、いっか。それで—————あなたのこと教えてくれますか?」

「わたしは、わたしは2年の藤代、紅葉」



「藤代、これからよろしくな!」



 そう言って笑った立花治は、青色を背負ってニカリと笑った。





最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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