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*この投稿はフィクションです。
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アメリカ航空宇宙局長官が、ホワイトハウスを訪れていた。
執務室で、大統領と握手をして、勧められるままに、着席する。
「ここ、何日間のあいだの、太陽の磁場の異常発生と、その影響を受けての、地球の磁場の乱れによって、地上生物に今までには、あり得ない現象が起きています」
座るなり、長官は、話し始めた。
「太陽の磁場の、N極とS極は11年周期で、逆転することが、わかっています。地球も、360万年の間に、11回、N極とS極が変わっています。諸説あるでしょうが、この説を、土台にして今回の、『時間の逆回転』を考えますと、およそ、五日間、二月十四日を繰り返しています」
そこで、長官は、用意された、アメリカンコーヒーを飲んだ。
「そんなことがあり得るのか?」大統領からの質問だった。
「地球は、出来上がったときの、惰性のまま、自転を続けています。宇宙空間では、回転を遮る摩擦がないため、ほぼ、永久的に回転します。ですから、自転の逆回転は、あり得ません。あり得るとすれば、人間自身の、脳内の、時間の逆回転です」
「何回も、二月十四日を繰り返していながら、何故、人びとは、気づかないんだ?」
「それは、我々の職分外のことではありますが、たぶん、磁場による、記憶喪失かと思われます」
大統領は、突拍子のない話を聞かされた時の、信じられないという思いと、そんなことがあったら面白いな、という思いの混ざった、笑顔とも泣き顔ともつかぬ表情を浮かべていた。
さらに、長官は、続けた。
「地球が、金星にも火星にもない、または失われた、磁場を現在でも持ち続けているのは、実は、かなりの確率でいうと、奇跡なのです。地球内で流体核を持ち、電気伝導をし、ダイナモ作用を起こします。それによって、磁場が発生します。今回、この、磁場が太陽の磁場と、交わって、何らかの、人の脳へ影響を与えているようです」
大統領は、わかったようなわからぬような、顔で聞いていた。
「つまりは、宇宙の惑星間の、公転と、地球の自転には、異常はないものの、磁場が、人間の脳に、二月十四日の幻をみさせているというわけか?」大統領は、言葉を選びながら、この質問は的を得ているかという表情で、聞いた。
「まぁ、そんなところです」長官は、自分でも、よくわからないんだ、という顔で答えた。
「それは、いつ頃、元に戻るんだ?」
「太陽の黒点の観測では、そろそろ、終わるんじゃ、ないかなぁと・・・」
そんな長官に、大統領は、
「じゃあ、彼女の誕生日は、明日には、祝えるんだな?」
「そうだと、いいんですが」
彼女とは、大統領と長官の幼馴染みで、余命わずかの、二人のマドンナだった。
「ディナーの食事は、何度も同じ日を繰り返しても大丈夫なのか?」わかっていて、大統領は、笑いながら質問した。彼女の誕生日を祝えることが、嬉しいのだ。
「大丈夫ですよ、大統領。作られたディナーは、時間が戻ると同時に、原材料に戻りますから」長官も、したり顔で答えた。
二人にとって、彼女の誕生日も、地球の危機も、重さに変わりは、なかった。
時間が進まなければ、彼女の病も、命も、そのままなのだが、本当にそれが、人としての、幸せなのか。
「ただ、地球に、特異点というものがありまして」
「それは、重力が、その場だけおかしいとか、下り坂を、思いっきり、ボールが転げ上がる場所であるとか、そういうところか?」大統領は、それ、知ってるよっと、自慢顔だった。
「そうです。そこが、エベレストの上か、太平洋のど真ん中か、わかりませんが、特異点では、今までの研究から、大統領の言われる、幻は発生しないのではないかと思われます。もし、その特異点に人間がいたとしたら」
「いたとしたら?」
「今ごろは、パニックに陥ってるのではないかと思われます」
矢沢葵と大久保憲一は、5回目の砕けたチョコのパズルを作り終え、それまでの四回と、変わらぬ会話で、食べていた。
盛り上がるはずもなく、でも、大久保憲一に対しては、最高の笑顔で接していた。矢沢葵は、チラチラと黒板の右横の、時計をみる。
そろそろ、大久保憲一が、肩を抱き、キスの態勢に入る。
はてさて、どうしたものか?矢沢葵は、考えを巡らしたが、何も、浮かんでは来なかった。
何かしたら、未来が壊れる、なにもしなければ、安寧だ。でも、なにかが違う。このままでいいはずがない。
矢沢葵の頭のなかで、ぐるぐると葛藤が渦巻く。
食べ終わった大久保憲一が、向き直った。いよいよ、来る。
その時だった。魚屋の一人娘の、立花真知子の声が、頭のなかに、聞こえたんだ。
「やっちゃえっ!ヤザワっ!」
矢沢葵は、前ならえで両手を出すと、大久保憲一の顔を、むんずと挟み掴むと、グイッと引き寄せた。
思わぬことで、大久保憲一が、椅子から腰を浮かし加減になる。そんなことはおかまいなしだ、矢沢葵の顔の手前で、鼻が当たらぬように、右に、大久保憲一の頭をひねる。矢沢葵は、目を閉じて、あとは間々よと、勢いのまま。
キスを、した。
歯が、ガチッとなった気がした。それから、なんだか、矢沢葵の体が、揺れた、気がした。
時計の針は、何事もなく、回り続けていた。
「今日、なんか、ロックだな」唇が離れて、大久保憲一の第一声。
「うん。ロックンロールだよ」鼻から息を吸い込んで、半分吐き出すと、もう一度、キスした。
あと、三回。矢沢葵の頭のなかで、取り戻すんだと、もうひとりの、矢沢が、シャウトする。
アメリカの大統領と航空宇宙局長官と、愛しのマドンナも、ディナーを楽しむことだろう。たとえ、命が尽きるとも、人は前に進むしかないんだから。
5回目のバレンタインデーの分の、キスをする。大久保憲一が、矢沢葵の背中に手を回す。
こんなに、男の人の、腕や胸板が、大きいんだと、知った。暖かくて、包まれる、安らぎ。
矢沢葵は、その時、思ったんだ。
「時間よ、とまれ」
おわり