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*この投稿はフィクションです。
「5回目のバレンタインデー」
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スマートフォンから、ONE OK ROCKの、曲が流れ出した。
矢沢葵は、布団から右手だけ出して、スマートフォンの画面を左から右に、ハラった。
三度めで、アラームが止まる。
矢沢葵は、半身を起こしながら、
「はい。今日も、自分を信じてますよ」そうゴニョゴニョと呟きながら、ベッドから降りた。
今日は、決戦の、二月十四日。その名も、「バレンタインデー」だった。
「行ってきます」矢沢葵が、朝食もそこそこに、玄関の小さな丸い鏡で、顔と前髪の最終調整を行いながら、出ていく。
「えっ、早いな。お父さんを待っててくれよ」父の言葉は、団地の重い鉄扉の閉まる音に、かき消された。
四階建ての集合団地の三階から、階段を足早に駆け下りる。すぐ下の二階の、保育園から幼馴染みの、大久保憲一は、まだ家にいるはずだ。ひょっとしたら、まだ寝ているかも知れない。
「よしよし」矢沢葵は、呟いた。
今ごろ、母から、昨日からのチョコ作りの話を、父は聞かされて、やきもきしてる頃かもしれない。
矢沢家では、中学生の恋愛は、禁止されていた。
矢沢葵は、団体アイドル歌手じゃあるまいし、と思っていたけれど、ひとりっこを心配する、両親の気持ちはわからないわけではない。
友達の、魚屋の立花真知子が、
「あんたもあたしも、大事にされてんだから、期待を裏切らないように、慎ましやかに、過ごしましょう」そう言っていた、立花真知子には、中学のときからの彼氏がいて、なにかあるごとに定時連絡をいれてくる。
初めてのデートの感想、初めてのキスの感想。高校生になって、つい最近は、
「重富海岸の、新年花火大会に行ったらさ、ヒデと押しくらまんじゅうして、暖めあって、そしたら、肩に手ぇ回してきてさぁ」と、とても嬉しそうに話していた。
「帰りに、あたしらの後ろのカップルの、彼女さんが彼氏さんの肩で、寝てたんよ。なんか、微笑ましくってさ」そんな、余計な情報まで教えてくれた。
隣に、今まで通ってきた小学校の、瓦の載った塀を横目に見ながら、高校の門をくぐる。まだ、朝の挨拶運動の生徒も立っていなかった。
下駄箱で靴をはきかえる。この下駄箱が、蓋付きなら、この中に入れるのにな。そんなことを思いながら、貧乏県鹿児島の公立高校では、無理だな、とチラッと思った。
一年A組は、三階。二段飛ばしで、駆け上がると、スライドドアを開ける。
「イッチバーン!」思わず、声をあげて、ひとりで笑った。
矢沢葵の席は、二月の席替えで、窓際の一番後ろ。思わず、ガッツポーズで、みんなからも、いいないいなの大合唱だった。
「小学生かっ」先生のツッコミもあって、盛り上がった。
それだけでも、ラッキーだったのに、右隣に、大久保憲一が、鞄を抱えながら来たものだから、矢沢葵の、ニヤケ顔は隠しようがなくて、ずっと、窓の外を見ていた。
補助バックから、チョコレートを出す。
昨日、悪戦苦闘しながら作った、チョコレート。まっ平らな、板状の盤面に、
〈 小学校の時から、ずっと気になってました。好きです。テヘペロ〉と、描くつもりが、面積が少なくて、結局、
〈ケン、LOVE〉とだけ、描いた。なんだか、英語だと軽薄だなと思いながらも、搾り出しで、「愛」と書くには、経験不足だった。
付け足しの手紙も書いた。
それを、銀紙に包み、もとの、板チョコの包みに戻して、巻いた。
こうしておけば、市販のチョコと思って包みを開けたら、手作りチョコあらわる、って、戦法だった。手作りは重いよってのを、回避しつつ、やっぱり、手作りってイイよね、と思わせるのだ。
矢沢葵は、大久保憲一の机の右奥に、チョコレートを、入れた。小学校の時には、カチカチの給食のパンとか、マーガリンが入っていたのに、今は、空っぽだった。成長したね、と母性本能がうづいた。
みんなが、登校してくるまで、緊張からか、二回もトイレに行き、寒い教室なのに、手のひらには、汗をかいていた。
「おはよう。矢沢、今朝、早くね?」 大久保憲一が、教室に入るなり、挨拶をくれた。
ウレシイ。
男子は、なぜだか、「矢沢」と、呼ぶ。そう呼ぶと、呼んでる自分が、なんだかカッコよく思えるんだ、と聞いた。
矢沢永吉シンパは、高校生にもいるのだ。
「うん。たまにはね」
「地球が、逆回転すんじゃね」笑いながら鞄を机の上に置く。
大久保憲一は、優しい。でも、それは、矢沢葵にだけではなくて、みんなに、だった。
しかし、それを聞いて、立花真知子は、言った。
「みんなに優しいけど、優しいだけでしょ。あんたには、ツッコミも、カラカイもあるじゃない。それが、ト、ク、ベ、ツ、なんでしょ」八割がた、信じた。
机に教科書を入れ始めた。
嫌な予感がしていた、矢沢葵だったが、ほどなく、それは、現実になった。
「あれっ?おらよっと」大久保憲一は、引っ掛かって、入らなかった、教科書を、無理に押し込んだ。
「うっ!」矢沢葵は思わず、チョコの代弁をした。まるで、自分自身が、机の奥に押し込まれたみたいに。
透視能力はなかったけれど、〈LOVE〉が、粉々になる、映像が見えた。鉄の箱詰めにしとけば良かったと、心のなかで、悔やんだ。
思わず、じっと、手を見た。擦り傷、切り傷、火傷に巻かれた、絆創膏の、指、指、指。
幼馴染みなんだから、チョクに渡して、コクればイイじゃん、と立花真知子は、事も無げに言うけれど、友達から、恋人に変わるって、どう、境界線を引くのか、わからなかった。
今、思えば、立花真知子の言うとおりにしておけば良かったと思う、矢沢葵だった。
夕方、下校時刻前の、一年A組の教室に、矢沢葵は来ていた。
砕けた〈LOVE〉と、手紙の回収に来たのだ。
椅子を引いて、大久保憲一の机のなかに、右手を突っ込む。
「あれっ?」右に左に手を振るも、触れるものなし。ついには、覗きこんでみる。
「ない」その時、矢沢葵のつむじを、たぶん、二本指でコツコツするやつがいる。
ドキッとして、思わず、気を付けの姿勢を取ると、そこには、大久保憲一がいた。
大久保憲一の手には、さんざん苦労して作った、チョコがあった。
「探し物はなんですか~」父から、これは、元々、井上陽水の歌なんだよと、聞いた歌を、歌っていた。
「それです」少しうつむき加減に、矢沢葵は、答えた。
「ありがとね。一緒に、食べるベ」いつもの優しい、大久保憲一だった。
「手紙、読んだよ。俺も、ずっと好きだったんだ」超剛速球だった。
包みを開けると、砕け散った、手作りチョコが、広がった。
「あちゃー、俺のせいだね。でもさ、これって、パズルっぽくね?」
二人で、割れたパズルを、作り始めた。
初めての、共同作業。
見たいんだけど、近すぎて見れない、大久保憲一の顔を、十センチの距離におきながらの、熱の上がる作業に、掴むチョコが溶けていた。
やがて、チョコを元通りにして、二人で笑いながら、また、それを食べ出して、笑った。「美味しいよ」「もとは、明治の板チョコなんだ」「明治に感謝だね」また、笑った。
窓の外は、オレンジ色から、深い藍色に変わっていた。
それまでとは、なにかが、確実に違っていた。「恋人関係」という、大きなコブを、乗り越えつつあったのかもしれない。
「お礼、しなきゃね」はにかむような、笑顔で、大久保憲一が言う。
「そんな、いいよ。三月十四日は、いつも通り、『おはよう』から『おっつー』で、さ」
大久保憲一の両手が、矢沢葵の両肩に、かかった。見つめあった二人。やがて、大久保憲一の顔が、少しずつ、前進を始めた。
見つめあったままで、どのタイミングで目を閉じるか、立花真知子に聞いときゃ良かったと、思ったけれど、
「目を閉じてたら、いつのまにか終わってた」という、立花真知子の言葉を思い出した。麻酔を掛けられた、患者みたいだ。
矢沢葵は、目を閉じた。
1、2、3。数えるとはなしに数えたが、なかなか、やっては来ない。
薄目を開けてみた。
そこには、いつもの見慣れた、矢沢葵の部屋の天井が、あった。
つづく