尾の者
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
へええ、類人猿て外見上、尻尾は失っちまってるんだってさ。これからオランウータンとか書く時、うっかり尻尾とか描かないようにしないと。
――ん? 素人のマンガだし、そこまで気にする人はいないんじゃないか?
甘ちゃんだなあ、つぶらや。いうのもなんだが、いざとなれば「オランウータン」の一言で説明がついちまう物書きと、絵を描かなきゃいけないマンガじゃ、気にするレベルがちゃうの。
もし尻尾を描いてから、「これはオランウータンでござい」なんて伝えてみろ。知っている人からさげすまれるわ。「〜っぽさ」を見せるには、細かいとこにも気をつかわんとだよ。
しかし、尻尾があるって実際にどんな感じなんだろうな。
現在でも、筋肉や神経が通った尻尾を持って生まれる人は何名かいるらしい。そのケースはで医者の手で切除することが認められていて、記録によると23センチほどまで生えているのが確かめられるとか。
ならば、それ以上の長さの尻尾を持つものは人間とは呼べないのだろうかね?
それに関して、ちょっと前の取材で、尻尾をめぐる奇妙な話を聞いたことがある。お前も耳に入れておかないか?
今から数百年ほど前の江戸時代。参勤交代により、とある藩の殿様が江戸へ着いてから、ほどなくしてのこと。
藩邸の下屋敷に、忍びが現れた。月が出ている夜、しかもわざわざその月を背にして、塀の上からみずからの黒い影を眼下へとさらしたんだ。
しゃがみ込み、両腕もだらりと前へ垂らして、築地のてっぺんの屋根を握るような姿勢を見せている。その姿は、講談で語られる忍びのごとくで、これまたわざとらしい黒一色の装束。
ただ常人と異なるのが、その腰のあたりから外へはみ出す、長い尾が見えたことだ。
まず初めに、それを目にした守衛のひとりが腰のほら貝へ手をやった。貝から急を知らせる音が響き渡るのに前後して、黒い影は跳躍。庭の一角へそびえる松の木の一本へ飛び移った。
足をかけた枝、寄りかかられた幹がいくらか揺れ、真下にある池へとがった葉が何本かこぼれていく。
ほら貝を聞きつけて飛び出してきた他の守衛たちは、木の上にまで届く、長柄の熊手やさすまたなどを持って駆け付ける。
しかし忍びは踏んでいる枝の上で、ぐっと踏ん張り、またも跳躍。今度は藩邸の屋根へ移り、そのまま手前側から見えない、屋根の向こう側へ隠れてしまったんだ。
ほどなく、瓦が一枚だけ屋根を滑り、庭の土へと落ちてくる。「中へ入られたぞ」と、外を見張る者を数名だけ残し、他の者は屋根を外された個所の真下へと急行した。
そこは藩邸内の蔵に相当する場所だった。
かの大名家は江戸から遠いところに領地を持っている。そのためこの下屋敷は、江戸滞在中の別邸であるとともに、中へ蓄えている米や特産物の売却や、担保とした金融を行える仕組みを整えていた。
たった一人の賊とはいえ、取引予定の品へ手を出されては一大事。守衛たちは地上の出入り口を固めたあと、盗人の影を探すも、手間はあっという間にはぶかれてしまう。
背の高い荷物の山のひとつ。月明かりが差し込む途中にある、そのいただきに、例の黒装束が姿を見せたんだ。
守衛たちが迫る間もなかった。そのてっぺんから屋根の穴へかけて、一足で飛びつくや、這い上がって隠れてしまったのさ。
ただ一点。入り込んで来たときと異なるものといえば、件の黒装束のどこからも
外で張っていた者も、その後を追えないすばしこさだった。曲者は堀から堀へ身軽に飛び移り、徒歩ではとても追いつけなかったらしい。
ただ逃げ去った方角は郊外ではなく、江戸の町中へ向かってとのこと。ただの盗人ではなく誰かの手の者かもしれないと感じつつ、守衛たちは蔵の中身の確認を行いながら、殿様への報告の準備を整え始めたんだ。
一晩かけて目録と照らし合わせたところ、蔵の中身に不足は見当たらなかった。いくらか報告に関して気が楽になったものの、いざ耳へ入れた殿様は直に蔵を検分したいと言い出したんだ。
下屋敷の蔵の中へ入った殿様は、懐から印籠を取り出す。たいていは薬を中へ入れて持ち歩くものだが、懐紙に包まれた中身の正体は、動物の尾だったらしい。
トカゲが切ったものによく似たその尾は、水気をほとんど失って干物となっていた。それを包んでいた紙をはさんだまま、殿様は手の上へ乗っける。
「昨夜の忍びは、尾が生えていたように見えたと申しておったな。それが利となるか否か、これで確かめる」
そっと蔵内を歩き出す殿様と、あとに続く守衛たち。
かの忍びが上った高い荷のふもとまでくると、尾はぴくりぴくりと、釣り上げたばかりの魚のように、手の中で跳ね始めた。
風向きをはかるかのように、殿様はその場でくるりと回りながら、四方へ手を向ける。やがて北寄りの西へかざしたところで、尾の跳ね方は一段と強くなったんだ。
「誰ぞ、この手の先にある床板をはがしてみよ」
守衛たちが板をはがしてみたところ、はめられていた内側から、沸き立つ湯気のような熱気が、顔へと当たってきた。そして、あらわになった黄土色の土台の上に、一本の尻尾が伸びきった状態で横たわっていたらしい。
これまで守衛たちが見てきた、イヌやネコ、リスなどという小動物のものとは違う。
毛などはほとんど生えておらず、ややだいだい色がかった白い尾は、二尺(約60センチメートル)ほどの長さがあった。
しかし、その色と形。もう少し細く、もっと短ければ人の指と呼んでも通じてしまいそうな……。
「ふむ、『尾の者』であったか。ならば、まずはよし……とも、一概にはいえぬか」
殿様の手元では、尻尾がくるくるとひとりでに回っている。まるでなついている人にじゃれつく、イヌを思わせる動きだった。
殿様は白い尾はそのまま、床板は戻すように指示を出す。尾の者については、殿様もすべてを知っているわけではない。
ただそれが、将軍家の御庭番衆の一派であるらしいとのこと。彼らは生まれながらに「尾」を持ち、主に江戸へ入ってくるものを見張っているらしい。
彼らの出自は明らかにされていない。忌むべき血の交わりや、試みの末に生まれたのではと、ささやく声もあったそうだ。
入鉄砲と出女。
関所が特に取り締まる、江戸へ入ってくる鉄砲と、出ていく女たちのことだが、それは表向きの周知。実際、様々な手で江戸の治安を乱そうとするもの、あるいは偶発的に乱してしまうものが紛れてくる可能性は、いつでもある。
それらをあらかじめ清めてしまうのも、尾の者の仕事。彼らはその兆しを察するのに敏く、たいてい手早く仕事を終えるも、今回は守衛が気づいてしまったゆえに、このようなことになったと。
その未熟な振る舞いを聞く限りでは、おそらく不慣れな新任によるものだと察せられた。
「ともかく、この尾があるということは清めが必要だということだ。
みな、しばらくはこの蔵のもの、厳重に守れ。ただ盗まれるのがまずいという意味にとどまらぬ。盗み出した者へ害が及ぶやもしれんのでな」
やがて参勤交代の期間が終わり、殿様が行列を組んで本国へ戻る途中。
供である数名が、大いに体調を崩し、看病もむなしく息を引き取ってしまった。夏場ということもあり、彼らが本国へ持ち帰ることができたのは髪の毛のみ。遺体は途上で埋葬される運びになった。
しかし、あとで調べられたところ、彼らはいずれも「尾の者」が蔵へ入った直後に、中を確かめて、一度「問題なし」を報告していた。
目録に関しては彼らの手で新しく作成されていたが、本国に残っていた控えと照らし合わせてみると、どうしても採算の合わない点が見受けられたという話だ。