涙の行方・前編
本編・おしまい中の王子様の婚約者に待ち伏せされたお話。番外編では王太子辺りのお話です。
その日私はいつものようにるるを連れて学院から家に向かって街中を歩いていた。私が普通に歩くとるるは小走りになるが気にしない。大きく膨らんでしまった体を左右によたよた揺らしながらもるるは楽しそうに小走っているし、途中の噴水でお水を飲んで休憩が取れるしね。まだ日も高いしお散歩気分で帰宅していると、私の行く手を阻む人影が現れた。
「失礼いたします。ちょっとよろしいでしょうか」
何このデジャブ…
シンプルできちんとした服装のその女性は私に向かって礼儀正しく一礼をし、しっかりとした口調で話し始めた。どうやら彼女のご主人さまが私に話があるらしい。
うーん、こーゆーの、困るんだよねぇ。
私が口元を引き結び、困り顔で思案していると私の胸中を察したのか女性はご主人さまは近くの馬車で待っているので、何処か二人で話せる場所を指定してくれれば其処に移動するし、時間もそれ程とらないと言ってくれた。
こちらの都合に配慮してくれたやり方に、私は途端に気を良くして、ならばこの先のエルベ川の川縁にあるソルシュという大きな木の側を指定し、一旦別れた。
そこなら通りから程々に人目があるし、でも距離があるから会話は聞こえない。念の為るるにメモを包んだハンカチをくくり付け先に帰らせる。これでおばさんか自警団の誰かに連絡つく筈。
川縁に着いてみれば木の陰からひらひら白いスカートの裾が翻っているのが見えた。
私はゆっくり土手の階段を降りた。
「はじめまして、アリサ・ターナーと申します」
いくら急に呼び出されたとはいえ、相手は高位貴族。きちんと挨拶はした方がいいだろう。最初の印象は大事だからね。うん。
そこで私を待っていたのは王太子の婚約者である公爵令嬢プリムローザ・ヴェル・デラシアさまだった。
学院を卒業されて一年以上になるが、ずっとお見かけしなかったな。相変わらず艶やかでお綺麗に巻かれた髪にレースやらフリルやらで手の込んでいるのがよく分かるドレス、メイドさん達に日々磨かれた玉のような肌は滑らかで輝か……あれ? 輝かん……輝いて…ないよね? なんだか、萎れたお花か、雨季の曇天、お母さんに叱られた時のお父さん……いやいや、最後の、ナシ。
私が言葉も続かず固まっていると、彼女は私の挨拶にゆっくり頷き意を決したように厳しい表情で話し出した。
「ご機嫌よう、アリサ・ターナーさん。私の事はご存知かしら?」
私はコクンと頷いた。なんだか嫌な予感がする。
「ならば自己紹介は宜しいわね。余計なお話はせずにはっきりと申し上げましょう」
な、なんだ、この緊迫した感じは。
「ラインハルト殿下にこれ以上近づかないで頂きたいの。あの方には私という歴とした婚約者がいるのです。それでも私の注告を聞き入れられないというのであれば、私にも考えがあります。宜しくて?」
ヒョーーーーーッ!!
私は目をまん丸に見開き、頭をこれでもかとブンブン横に振り、一歩後退りながら両掌を前に突き出して振り振りしてみせた。
いやいや、どうして、そうなった?
「ご、誤解です! 私、殿下に近づいたりしてません! そもそもご卒業されてからお姿をお見かけした事もありません! 本当です!」
私が渾身の力を瞳と表情筋に込めて言い切ると、公爵令嬢は険しい表情を一層険しくさせて私に問うてきた。
「本当に?」
「本当です!!」
私はここぞとばかりにコックンと深く頷く。つい力が入っちゃって両手は脇を締め軽く握り拳を作っていた。これではまるで側から見たらご令嬢相手に、「やんのかぁ?こらぁ」の構えじゃない?
「な、ならどうして……あんな……」
あらら? 最初の威勢はどこへやら、言葉が途中で消えて続かないみたい。
というか、大丈夫なんだろうか、このご令嬢。さっきから手とか肩とか微かにプルプル震えてるよね。顔色悪いし、具合が悪いのでは…? 「う、っうー」ってほら、苦しげな唸り声まで……って、え?唸り声?
そこで私は今まで指先の震えに向けていた視線を令嬢の顔まで戻す。
げっ。
あろう事か令嬢の目は堪えきれずに流れ出た涙で溢れ返っていた。先ほどの唸り声は令嬢の押し殺した泣き声だった。
途端、令嬢は顔を覆って激しく泣き出すと共に膝から崩折れた。
「大丈夫ですか!?」
わあ〜〜〜! こんな時どうしたらいいの〜?
思いつつ私は駆け寄って肩を抱き、背中をよしよしと摩り宥め賺した。
泣き止むかな? 泣き止みそうにないな。
どうしよう。お付きの人〜!
私が先程の女性に助けを求めるべくきょろきょろして辺りを見回すと、土手の上に私を呼び止めた女性が両手を胸の前で組み合わせて切なげな表情でこちらのお嬢様を見つめていた。私と目が合うや、ぎゅっと目を瞑り、深く頷く。
なんだ、その"お嬢様を頼みます"的な表情は!
お祈りポーズのまま微動だにしない女性に私は悟った。あれはあのままこっちに押し付ける気だな。
業を煮やした私はポケットから手巾を取り出すと令嬢に渡した。私の手巾はお貴族さまの絹やレースで出来た物と違って木綿100%の実用仕様だからね。涙もしっかりグングン吸水するよ!
とりあえず側のベンチに腰掛けるように誘導し、幼い弟妹によくする様にそのまま肩や背中をトントンと軽く叩いたり摩ったりしてみる。どうかな、お貴族さまにも効くかな? 弟妹には効くんだけどなー。
う、う、うえっ、…んぐっ。う、っひく、ひっ、
困った、大泣きだよね、しゃくり上げてるし。
お願い、泣き止んで〜〜!
私が泣き止まないご令嬢の横で一人でアワアワしていると、ふっと頭上に影が差した。
「アリサ、どうしたの? そちらのお嬢様の具合でも悪いのかしら?」
上から降ってきた声に驚いて顔を上げると、そこには何故か母がいた。
救世主〜〜!
母はそう言うと少し屈んで心配そうに令嬢を覗き込んだ。
「お母さん…。あの、学院の先輩だったデラシア公爵令嬢のプリムローザ様とちょっとお話をしていたのだけど…」
これ以上、後が続かない。一体何て言えばいいの?
それでも下校途中の件から順に話をした私。令嬢を挟む様にして母と二人がかりでその背を摩る。ちょっと摩擦で熱くなってきたかも。
その内母が手を止め、落ち着いた声でゆっくりと話し出した。
「お嬢様、私は何があったのか存じませんが、お辛いんですね。その気持ちを一人で溜め込んでしまったのなら、ここで心行く迄お泣きになるといいですよ。泣くというのは気持ちを落ち着かせてくれるんです。精神的にいい事なんですよ」
私は背中に手を添えゆっくり摩ってあげていた。なんともか細い背中と肩だった。
一頻り泣いたからか母の言葉通りの作用があったのか知らないけれど、令嬢はなんとか泣き止んでくれた。
「こんなに泣いてしまってごめんなさい。迷惑をかけてしまったわ」
母が応える。
「いいえ、これも何かのご縁です。お悩み事があるのでしたら話されてみませんか? 私どもでは大してお力にはなれないでしょうが、第三者の立場からみると意外と物事をはっきりと捉えるものですよ」
普通なら会ったばかりの、ましてや平民の女性に心の内を話すなんて事は貴族の令嬢はしないだろう。けれど母独特の、落ち着いた安心感と信頼感漂う空気のせいか、将又余程切羽詰まっていたのかプリムローザ様は少し躊躇った後、ポツリポツリと話し出した。
その内容は王太子との卒業後からこれまでの一年以上に渡るすれ違いと王太子妃修行の辛さ、宮廷貴族という一筋縄ではいかない大人社会での苦悩など多岐に渡った。
そして止めが最近の殿下との会話。
彼女の話を聞いている間、私は何度頭の中で王太子に蹴りを入れていただろう。あんのキラキラ王子め〜。ゲームの中ではあんなに完璧王子だったのに、実際はポンコツだったとか、これ如何に。
母は相槌を打ったり、話の内容をまとめたりポイントを確認したりしながら支離滅裂になりがちなプリムローザ様の話をゆっくりと聞いた。話の終わる頃にはプリムローザ様も涙も止まり随分と落ち着きを取り戻され、話したお陰で発散されたのか気分も幾分持ち直された様に見えた。
「本当ね、なぜだか頭の中がすっきりしたわ。私ったら、こんな事でいちいち動揺しているなんて、情けない所を見せてしまってお恥ずかしい。ましてや涙など…」
先程までとは違う意味で頬を染め上目遣いに此方を見るプリムローザ様。何このウルカワイイ生き物。ワシャワシャしたい!!
「そんなこと…。 気になさらないで下さい。そりゃあ、泣き過ぎは良くないかも知れませんね。特に男の人の前ではあまり安易に泣かない方がいいかも知れません。男の人の前ではここぞという時に泣くんですって。女の涙は武器とも言いますし、女の一滴の涙に男は敵わないと聞きます。でも今は他に誰も見てませんし、私は男じゃないからセーフですよ」
きっとねと言って私が悪戯っぽく肩を竦めて笑うと令嬢も赤くなった鼻を啜りながら少しだけ表情を緩めた。
令嬢は母に向き直って続けた。
「話を聞いてくれてありがとう。本当に、なんだか胸の支えが取れたような気がするわ」
「どういたしまして。私共はただお話を聞いていただけです。お一人でずい分頑張っていらっしゃったんですね。ここ迄溜め込む前にどなたか相談出来る方はいらっしゃらなかったんですか?」
「いない事はないのだけれど」
「なら次からはその方にもう少し早く相談された方がいいのでは? 何もかも一人で背負い込むのは良くありません。人間誰しもそれ程強くはありませんから」
母は誰に対しても母だった。家で私の話や悩みを聞いてくれる時の様に穏やかに、相手の心に沁み入るように話す。
その後、母と私に宥められたプリムローザ先輩は、お付きの人に無事に引き渡され帰って行った。
遠ざかる馬車を見送りながら、私は母にぽつりと溢した。
「お母さん、プリムローザ様みたいな完璧な令嬢でも、王子様の婚約者って大変なんだね…」
私は、乙女ゲームのヒロインさえ邪魔しなければ、王子様と仲良しのまま物語は終わると思ってた。
「悩みの無い人なんていないわ。誰もが皆、何かしら抱えているものよ。ましてや王太子の婚約者ともなればね」
そこで母は私の肩に手を回し、顔を覗き込んで付け足した。
「母さん、アリサ達には人の気持ちを汲み取る事の出来る人になって欲しい。それが出来れば自ずと道が開ける筈よ」
すまぬ、母よ。修行が足りず、今はまだ"そんなもんか"としか思えない。
数日後
「あれ、お母さん。早かったんだね」
私が帰宅すると、母が家にいた。今日は用事があるとかで、仕事を休んで出掛けたはずなのに、予想に反してもう帰っている。
「用事が早く終わったの。お陰で溜まってた台所仕事が片付いたわ」
心なしか、いつもより明るく朗らかな母の様子に私もつられて気分が浮き立ち、母の腰に抱き付いた。
う〜ん、あったかい。いい匂い……?
「お母さん、なんだかいつもと違ういい匂いがする?」
「え!? そ、そお? 何かしら。いやだ、きっと外で着いてきちゃったのねー」
そうだ、あれ、あれは…?などと呟きながら、あたふたと奥の部屋に消えていった母がその日の昼間、何処で何をしていたかなんて、私は知る由も無かった。
お読みいただきありがとうございました。




