はじまり
その朝、目覚めて初めて分かった。
自分に前世というものが確かにあって、今の私はその前世でプレイしていた乙女ゲームなる物のヒロインとして生を受けているのだと言う事が。
それは本当に唐突に頭に浮かんで広がって、そして脳ミソをぐちゃぐちゃに引っ掻き回して私の記憶に陣取った。お蔭で朝から頭が痛い、痛い、痛い、痛い!! 割れちゃうよ。今日はこんな事してる場合じゃないのに。
私、アリサ・ターナー(15才)は僅かながらも光属性の魔力を持っている。この世界、大抵魔力持ちは王族貴族様で、たまに平民にも魔力が発現するが、私みたいな光属性は珍しい。
そして魔力持ちと分かると平民でも貴族様方の通う王立学院に国の支援で無償で入学する事が出来る。
何故なら国は、卒業後はその魔力を国に貢献する為に使って欲しいからだ。
ま、前世で言う処の青田買いだね。
よって卒業後は国又は有利な条件で引き抜きにきた有力貴族家が就職先として用意されている。
もちろん入学するにはある程度の下準備(マナーや常識 )や学力が必要だ。だかそれは地域の教会で面倒見てくれる。
かくいう私も魔力があると分かった小さい頃から教会で字を習い、長ずるにつれて計算や地理・歴史などを少しずつ学んできた。そのおかげで今では下っ端貴族の子弟並には学力がある、と自負している。
そして遂に今日、かの有名な王立学院に入学する日を迎えた!
…って、えぇぇーー! しまった、こんな呑気に語ってる場合じゃない!
ここがあの乙女ゲームの世界なら、既にもう始まってる!? でも…王子様ルートの最初のイベント…王子様とヒロインとの出会いは入学式当日の筈。
今からでも間に合うかな? 私がヒロインならチャレンジしてみてもいいよね?
どうせ思い出すなら、どうしてもっと早く思い出さなかったんだろう、私って馬鹿! 神様のいじわる〜!
「お母さ〜ん!」
私は慌てて学院の制服に着替えると、階下へ駆け降りて行った。
水場で顔を洗い、自慢の髪を梳く。時間がないから結ぶのは後でいいや。
勢い良く扉を開けて食堂兼居間兼諸々を兼ねた部屋に入ると、頭の低い位置にお団子に結った髪を整えながら今正に家を出ようとしていた母と目が合った。
「起きたのね、おはよう、アリサ」
「おはよう」とりあえず、挨拶を返す。
「じゃ、母さん行ってくるから。あの子達お願いね。学院に連絡はしてあるから大丈夫なはずだけど、あなたもなるべく早く行きなさいね」
行ってきまーす、
私が何も話さぬうちに、母は玄関ドアをパタンと閉めて出ていった。
「行ってらっしゃい…」
はっ、こうしちゃいられない。
私は踵を返し、二階へ駆け上がると妹弟の部屋へと入った。
「ルシエラ、カイル、起きて! ほらほら!」
寝ぼける二人を無理矢理着替えさせて一階に連れて下りる。顔を洗ってやって、二人がミルクを飲んでる間に自分の鞄の用意と妹弟の荷物(母の用意した昼食と着替え)をまとめる。
「飲み終わった? 行くよー!」
左手で鞄を掴むとそのままカイル(4才)を抱き抱え、右手に荷物とルシエラ(6才)の手を握る。
目指すは二軒隣の家。
「おばさん、おはようございまーす」
「おはよう。よく眠れたかい? カイル、ルシエラ、こっちおいで。今日からおばさん家でお留守番だよ」
そうなのだ。今までは私がいたから両親が働きに出ている間は三人で留守番してたけど、これからは私が学院に行ってる間、二人はおばさん家でお留守番なんだ。
おばさんは母の従姉にあたる。幸いおじさんと大きくなった息子達が全員職に就いていて、今はおばさんは頼まれた手仕事を家でする位しか仕事はしていない。だから今回私が入学するにあたって暫く二人を預かって欲しいとお願いしたのだ。
母と仲良しのおばさんは勿論快く了承してくれた。
二年くらいしたら二人も大きくなってその内家で留守番くらい出来るようになるだろう。
「おばさん、ありがとう。これ、二人の昼ごはんと汚した時の着替えです。 よろしくお願いします」
「昼ごはんなんてうちで用意するのに。 忘れ物ないかい? 行ってらっしゃい」
妹弟にハグを済ませておばさんにピョコリとお辞儀をし、扉を閉めると私は学院に向けてダッシュした。
はっ、はっ、はっ、はっ、
遅れちゃう〜〜!!
入学式は朝早い。お貴族様相手なのになんでこんな朝早いんだと思ったよ。貴族って朝はもっと優雅にしてるんじゃないの?
だけどこれにはどうやら理由があって、学院の入学式の後は王城で他の式典が目白押しらしい。
大人はそっちがメインなんだね。
だから私ら子供達(前座)はその前に式を終わらせなければいけない。子供の式に出席した親達おエライさんはそのまま王城に移動して自分達の式典に臨むと。ふむふむ。
これなら一日で終わるし、遠方から来てる貴族に配慮した結果だね。
で、私は家庭の事情とやらで、式には欠席、その後のオリエンテーションから参加との届けは出してあるんだけど。
でもでも… 私は思い出したんだ。
ここが本当に私の知るあの乙女ゲームの世界なら、王子様ルートでは今日は絶対にハズせないよ。私はもう完全なる遅刻だが、ひょっとしたらまだ間に合うかもしれない。だって私、ヒロインだよ? 私がやらなくて誰がやる? え? 誰かやっちゃうの!?
タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、
待ってて、私の王子様〜〜!
学院の門が見えてきた。大門は既に閉まっているので、脇にある通用門に向かう。
あ、マズい。 髪の毛結ぶ時間なかった。 ま、仕方ないか。
「すみませーん、新入生なんですけど、遅れました。 中に入れて貰えますか?」
訝しむ門衛さんに入学許可証をみせてなんとか入れて貰う。
ふーっ、やれやれ。
さて、確かゲームの二人の出会いは式場を間違えたヒロインが学院の余りの広さに迷子になりかけ、半泣きで慌てて走っていた所で王子様とぶつかりそうになる。
見るからに困った様子のヒロインに王子様が優しく大ホールまでエスコートしてくれるんだよね。因みにヒロインが間違えて最初に向かったのは敷地奥にある大講堂。式が行われるのは大講堂からは対角線上に真反対にある、敷地手前の普段は学院内舞踏会などが開かれる大ホール。大人達の移動の手間を考えた結果、こうなってるらしい。馬車寄せ、近いもんね。
でもお式みたいな格式張ったものは講堂で行うものだと思い込んでたヒロイン=私は学院内の案内図見てそっちに行っちゃうんだ。もう少し落ち着け、私。
新入生全員が既に入場済みの中、ヒロインは王子様のお蔭で目立たずに後ろからちょこんと入る。
王子? 王子様は2コ上の生徒会長さまだから、重役出勤だよ。出番さえ間に合えば充分なんじゃない?
えーっとそれで、私はこれからどうしよう?
私はそこいらに王子様が通っていないか、キョロキョロして探してみた。けれどそんな都合よくはいかないらしい。
今から大講堂に行ってももう遅い。とりあえず大ホールに向かってみよう、うん。途中で会えるかも。
私は必死で大ホール近辺の通り道を彼方此方探してみた。もし、この姿を誰かに見られていたら、不審者として通報されていただろう。
お願い、どうか間に合って〜〜
ところが私が王子様に出会う事はなく、仕方無しに大ホールに向かうと、着いた途端に入り口から新入生がぞろぞろと出て来るではないか。しまった、遅かったか。 あぁ、王子様との出会いが…。
出てきた新入生を見てアワアワしていた私に話しかけてくる男の人がいた。
「君、新入生のアリサ・ターナーさん? 遅刻の届けのあった…」
「はい、そうです。えっと…」
「君は3組だ。あの列に入るといい。だがその前に。なぜ髪を結んでない? 規則にあっただろう、長い髪は結ぶようにと。今すぐ結びなさい。」
そう言うと先生らしきその人は髪を結ぶ紐まで差し出してくれた。
私は素直に謝って紐を受け取り、その場で簡単な一つ結びにした。
そして漸く3組の列に並ぶと教室へと案内されたのだった。
建物から少し離れた植込み奥の木立ちの陰。
大ホールの前に並ぶ生徒の列が移動して行くのをじーっと見つめる一対の円らな瞳に気が付く者は、誰もいなかった。
お読みいただきありがとうございました。