ep.2.3
「で、周は何で遅れてきたわけ、女か」
浩二が笑いながら肘でつついてくる。
「え、周くん彼女おるん、こんなんなのに」
「こんなんとはどのようなですか五条さん」
「お前ら喧嘩はやめろよ」
相変わらず懲りない喧嘩を聞きながら、部屋を出、二列になり足を揃え廊下を歩く。肩に手を回してきた浩二を振り払うが、懲りずに何度も手を回してくるから諦めて溜息を吐いた。彼がこれしきでやめるような人間でないのはもうとっくの昔に理解していたからだ。
「…だったら何だ」
「流石九条家の跡取りやなー」
「五条さん違いますって。こいつそんなモテモテじゃないですよ。とんでも片想いって感じっすもん」
「おい余計な事言うな」
「にしても可愛いよな千歳ちゃん。俺の婚約相手だったら良かったのに」
「お前があいつの名前を口にするな、汚らわしい」
「失礼じゃね」
数刻前に別れた彼女の背を思い出した。相変わらず凛としていて美しかったのを覚えている。大きく宝石のような紅の目が、私と同じ病で変わってしまった色だと思うと、共通点を見つけたようで心が躍る。
しかし、この感情を彼女に言った事は一度もない。彼女といる時は、元々話さないこの口が、さらに動かなくなるのだ。歩けば皆が振り向き、立ち止まればそこが一枚の写真のように時が止まる。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。それが世間から見た彼女、中院千歳の印象だった。
私より三つ下の彼女は、女学校に通う良家の子女。そして私の許嫁であった。強かで美しい、そして病気がち。まさに令嬢の鏡のようなプロフィールだが、正直、そんな優しいものではない。
私の前での彼女は、頑固で意見を絶対曲げない、子供のような娘であったから。
「べた惚れだねえ。梅園どうよ」
「何がですか」
「士官学校時代の周の恋愛歴を知ってるのは俺とお前だけだろ」
「恋愛歴も何も、周は誰とも付き合ってなかったじゃないですか。付き合っては」
「そう、付き合っては無かったな」
「おいお前ら何が言いたい」
二人が含みのある言い方をしてくるから思わず睨む。しかし、この二人は気にも留めてないらしい。
「いやぁ、千歳ちゃんにばれないと良いな」
「まあ仕方ありませんよ浩二。あの頃の周はかなりぐれてましたから。女遊びだってしたくなるはずです」
「女遊びというか何というか、大層おモテになっていましたね。やっぱり九条の家柄かなー」
「顔じゃないですか」
「ああ、確かにな。士官学校の生徒は近寄らなかったけど、隣の女学校の子達はこぞって群がってたからやっぱり見た目だな」
「お前らいい加減にしろよ」
「金の髪は染めれば皆なれますから。女学校の子達なんて良家の子女ですからね。見た事ない色の髪のイケメンがいればまあ群がる事群がる事」
「異形が青い目だってのも、一般市民は基本知らないからな」
これはもう止まらないだろう。梅園と入江がこの件に触れ始めたらしばらくは静かにならない。私はもう諦めて本日何度目になるかも分からない溜息を吐いた。
二人とは幼馴染であり腐れ縁でもある。九条の家は代々殲滅隊に入らねばならないしきたりで、入江と梅園はその九条に仕える家だった。
病弱だった兄が幼い頃に死んだ浩二と、花の梅園と呼ばれた、女系貴族である梅園で、姉が駆け落ちした事により跡取りとなった羽衣、そして戦死した兄の代わりに当主となった私達はよく似ていた。皆、元は当主になどならなかったはずの人間だ。
いつだって二番手で、責務などほとんど感じた事のなかった私達だったが、図らずしてなってしまった当主という重荷は、十も満たぬ子どもが背負うのには重すぎた。
まるで身を寄せ合うように、私達は幼い頃からいつも一緒だった。
従者だからではなく、一人の人間として妙に気が合った。
明るく話し上手で適当な浩二に、しっかり者で真面目であるが短気な羽衣、そして話さない私。産まれてからずっと一緒にいるからお互いの事なんて知り尽くしていた。だからこそ触れられない事もあるのだが。
「面白い話していいですか」
「するな」
いきなり手を挙げた浩二の言葉を一蹴する。しかし、それしきで止まる事など無いのが彼だった。
二人に挟まれるといつもこれだ。彼らはこちらの意見などお構いなしに話し続ける。
「話しまーす。中院のご令嬢ってさ何で九条のお見合い受けたわけ。だってそれまでも九条より位の高い家からお見合い何度もあったって聞いてるし。ほら上司の西園寺家とか」
「それ聞いた事あるな」
「堤さんですら知ってるくらい有名じゃん、中院の絶世の美女。それが何でよりによって周なんだろうなと思うんだよ。世の中理不尽だなって」
「俺が知るかよ」
相変わらず繰り返される彼女の話にいい加減疲労が溜まる。
確かに、この界隈で彼女は有名だ。領家の子女、殲滅隊の幹部に嫁ぐのが決められていた中院家の千歳は、絶世の美女であるが婚約話は端から切り捨てている、と。
それが半年前自分の婚約相手になるのだから、人生何が起こるか分かったものではない。
多分、容姿だろうなと思った。確かに九条の家は名家で有名であるが、別段高い立場でもなかった。それなのに私を選んだ理由、それはこの変わった容姿しか考えられなかった。実際私自身、それ以外、人と違う所がないと思っている。
彼女の目は赤いから、自分の異形の目とは正反対の色を持っている。だからこそ、赤い目は逆に女神のシンボル、勝利の色とも言われていた。
けれど、彼女はあの目が好きでないと話していた。だからこそ、私のこの変わり果てた容姿で選んだのだと思う。だって同じ、世界から浮いた色だから。
それに文句はないし、私が逆の立場だったら同じ事をしただろう。初めて見つけた仲間のように、とても安心したのだろう。