ep.1.3
「そこに座ってるとそっくりだな、章」
僕の名を呼ぶ声に鼻を啜りながら振り向く。そこには義父さんの親友が立っていた。
「振り返るとそんなに似てねえや、あいつの泣いている所なんてほとんど見た事無いし」
笑う彼は僕の隣に座った。右眉尻にある二本の傷が、もう十年は見ているというのに、いつまでも痛々しく見える。
「…義父さんが」
「おう」
「義父さんがここに座っていた理由が分からなかったんです。ずっと、どうしてだろうと思っていたけれど聞かなかった。いざ、ここに座ってみても何も分からなかった。あれだけ言いたい事は言える時に言えって言われてきたのに、義父さんがいなくなってから初めて聞きたい事がある事に気が付きました」
彼は僕の背を軽く叩く。心地よく続く一定のリズムに、涙が止まっていくのが分かった。
「そりゃそうだろ。あいつが見てたものはここにはもう無いんだから」
「え、どういう事ですか」
「あいつは思い出を見てたんだよ。お前が分かるわけもないよ。二十年以上前の話なんだから」
そう言う彼も、どこか遠くを見ていた。
「それって義父さんが結婚しなかった事と関係ありますか」
「おお、鋭さだけはそっくりだな。そうだよ」
彼はポケットに手を突っ込んで何かを探している。そして、分厚い小さな紙束を出してきた。
それを本と呼ぶにはバラバラで、背表紙だってない。紐綴じされただけの汚い紙の束。でもその紙束は不思議と、温かい気がした。
「これ、お前に渡しとこうと思って」
「何ですかこれ」
所々、鉄褐色の染みが付いたこのボロボロの紙束。それが何を示すのかは分からなかった。
「遺品。あいつの手記」
僕は驚いてそれを落としそうになる。数度、手の中で跳ねたそれを何とかキャッチして安堵の溜息を吐いた。彼は「おいおい」と笑いながら立ち上がる。
「じゃあ俺もう帰るわ。嫁さん待ってるし」
「あ、はい、すみません付き合わせてしまって」
「いいよ。あ、和葉が心配してたぞ。俺の娘泣かせんなよー」
「ええー…。泣かされてるのはどっちかって言うと僕の方なんですけど」
「知ってる。じゃあな」
玄関口まで見送って、去って行った彼を見てから、僕は再びあの場所に戻った。縁側に腰掛けて、手記の紐を解く。すると、そこから一枚の写真が落ちてきた。
「危ないっ…地面に着くところだった。…何だろうこれ」
再び安堵の溜息を吐いてキャッチした写真を裏返す。そこには二人の男女が写っていた。
「誰だろう、これ」
若い軍服を纏った男性の方は義父である事がすぐに分かった。怪訝そうな顔をしながら目線を外している。しかし、隣の女の人といる事が嫌そうなわけではなく、どちらかというと、写真を撮る事に対しての嫌そうな顔だった。
義父より頭一つ分小さなその女性はとても美しかった。
長い黒髪は艶やかで、目の色は義父と正反対の色で輝いている。整った顔立ちは、誰をも魅了する笑顔で笑っていた。
純粋にお似合いだと思った。まさに美男美女。この人はいったい誰なのだろう。
めくった写真の裏、小さな文字に僕は気が付いてしまった。
もしかしたら気が付かなかった方が良かったのかもしれない。だってそれは、義父が隠し通したかったはずの言葉だっただろうから。
でも、真実に辿り着くためには、一番重要な想いだっただろう。
そこには年月と何かが書いてある。目を凝らさなければ分からないほどの小さな文字だったけれど、僕はそれを読めてしまった。
読んでしまったんだ。
「我ガ最愛ノ人ヘ…」
その文字をなぞり、僕は手記を開いた。そこには、義父さんの若かりし頃に駆けた人生が綴られていた。
彼は世界にとっての英雄で、たった一人にとって、愛を言えなかった、ただの人間だった。




