ep.1.2
ああ、義父さんはあの時なんて言ったんだっけ。
もし聞き返す事が出来るのなら、もう一度、その言葉を聞きたかった。
僕は義父の言いつけ通り、言いたい事はその場で言ってきたつもりだ。
そのせいで友人や恋人と喧嘩になってしまう事もあったけれど、不思議と後悔はしなかった。言いたい事を言う。それは言わなかったときよりもスッキリした気持ちになるからだ。
「今日、こんな事があったけれど、義父さんの言う通りに言いたい事を言ったんだ。喧嘩になっちゃったけれど、僕はとてもスッキリしたんだ。そしたら向こうも本音で話してくれて、スッキリしたって言って仲直り出来た。義父さんの言う通りだった」って。
そしたら義父さんはいつもこう言うんだ。
『そうか、良かったな』
そう言って小さく笑う。僕はそんな義父さんが好きだった。
不器用で寡黙で、人を誤解させがち。口数は少ないから、必要な事しか言わない。思ってない事は絶対言わない。義父さんの親友は、「お前にはよく話す方だ」と言っていたけれど、その僕が思うのだから、きっと職場ではもっと話さなかったのだと思う。
何度だって言おう。僕は義父さんが好きだった。
僕を拾ってくれた日から、今日までずっと、義父さんが大好きだ。親として、一人の人間として、尊敬する人だった。だからこそ、もう二十を越して情けないと言われるかもしれないけれど、涙が止まらないんだと思う。
棺桶の中の義父さんはやっぱり格好良くて、髪は陽に当たって輝いていた。
良く晴れた、秋晴れの日だった。
金木犀の匂いが世界を支配している。参列した黒は、式場を埋め尽くしていた。かくいう僕も、その黒に身を包んでいる。
棺の中の義父は、あのお気に入りの着流しを纏っていた。
葬式を家で挙げたいと言ったのは自分だった。義父が大好きだったこの庭で挙げてあげたかった。本来なら、死体が傷んでしまうから室内でやるものだけれど、僕は頑なに意見を曲げなかった。
だってここでやれば、天国からもこの景色が見えるかもしれないと思ったからだ。
僕には分からない、あの庭を見つめる優しい視線が、酷く印象に残っていたから。
棺桶にはあの紫の花が敷き詰められている。どうしてこの花なのだろう。生前、義父が棺に詰めるならこの花にしてくれと頼んでいたらしい。けれど、どうして雑草なのか理解出来なかった。
僕は花に詳しくないけれど、この小さな花が雑草なのは見て分かる。
親指の第一関節半分にも満たない花が、棺桶の中シャワーのように散っている。式場の人はきっと大変だったはずだ。まさか、こんな雑草を棺桶に敷き詰めたいなんて言う人間がいると思わなかっただろう。
この雑草の名は何だろう。でも、義父から教えてもらったあの花の名前は、雑草では無かったはずだ。もっと、聞き覚えのない名前だった。耳に馴染みのない、聞いた事も無いような名前。
いくら考えても答えは出てこなくて、僕は鼻を啜って縁側に腰掛けた。葬儀はとっくに終わってしまっていて、父の骨は灰となって空へ消えた。遺骨は残さずに砕いて地へ、空へ撒いてくれと言ったのも父だった。
結局、僕の手に義父は何一つ残らなかった。
寂しくなって彼が座っていたあの場所に腰掛け、庭を見ても、特段、何かが変わるわけでもない。鯉がいる池が見やすくなっただけだ。
あの人は一体、ここで何を見ていたのだろう。何を思っていたのだろう。時折見せる寂しそうな横顔の理由が、優しい視線が、眉を下げて笑い、左袖口を触る理由が、ここにあったのだろうか。
僕は僕が出会うまでの義父の事を知らない。
軍人で、エリートで、有り得ないくらい強い。そして世界を救ったヒーロー。それくらいしか知らなかった。
自分から過去を話すような人ではなかったし、僕も僕で今が全てだったから聞く気もなかった。しかしどうだろう。四十半ばで寿命だと言われ、眠るようにこの世を去った義父に、僕はいなくなって初めて、聞きたい事があったのだと気が付いた。