ep.3.3
雪が舞った。
大地を切り裂くような声が響き、地鳴りは歩く地面を揺らしている。人間の声と異形の声が混ざり合う。人間の血と異形の血が、白き地面に混ざり合い溶けていく。
遠くからは砲台の音。耳元からは指揮を伝える上司の声と、絶望した兵士達の断末魔。やがて、それはノイズ交じりになり聞こえなくなる。
砲台から放たれた弾丸に命を奪われる味方、足を止め、命を乞う者。瓦礫の下、か細い息をしていた者。上から踏まれ、跡形も無くなる。
絶望だ。絶望の足音が聞こえる。死への誘いだ。一歩先で誰かが手を伸ばしている。数か月前に奪還したはずの土地が、何て優しい戦場だったのかと思うくらいに、この地は絶望で溢れかえっている。
振り返る事なく走った。ここで足を止めれば、自分も彼らと同じになる。前方に立ち塞がるのは、三メートルは越すであろう、薄汚れた白い敵。
全身の皮膚はひび割れていて、身体の骨は浮き出ている。長い腕の先には黒ずんだ長い爪。まるで火傷で形を失くしたような顔には、呼吸をするためだけの小さな穴が二つ。大きく歪な口からは唾液が垂れ流しで、やけに歯並びの良い歯を覗かせている。長い舌は蛇のように先端が裂け、赤い血の色で染まっている。顔の端と端、瞼すらない目元に光るのは、自分と同じ青。
ああ、憂鬱だ。
まるで、同族を殺しているような気分になる。
骨と皮だけのこの生物は、一体どこに筋肉を隠しているのか分からないが、一度飛べば三十メートルは先に足を着けるし、歩く速度は遅いものの、走り出せば止まる事はない。大きな足で人間を踏み潰し、長い爪を器用に使って人間を刺して食べる。裂けた舌はそれを吟味しているようだった。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。だから戦場では千歳を思い出したくは無いのだ。私の中で尊い存在が穢れていくような気に陥るから。
異形は仲間以外何でも食べる。建物も植物も人間も、その例外ではない。彼らにとって、この地上はまさにテーブルの上の食卓なのだ。だからこそ、その方法を応用して異形の身体を使い作られた壁は破壊されない。もし、触れる事があれば高圧電気を流す有刺鉄線がそれを邪魔する。つまりこの領地からこいつらを根絶やしにすれば、中は一生安全なのだ。
地面を踏み込んで高く飛ぶ。伸ばされた手に着地して器用に駆けあがる。舌を刀で切り、口の端に当て、そのまま腰を使って振り抜く。そうすれば頭は綺麗に半分に切られ滑り落ちる。地面に下り左手で拳銃を構え、すぐ後ろにいた異形の頭を撃ち抜いた。悲鳴を上げながら倒れていく姿を見て、辺りを見回す。
一度、向こうの空が光った気がしたが、半径一キロに先に異形の姿は見当たらなかった。
私は地面に跪き、上半身しか残っていない同胞の顔を見る。彼は何かを言っているが、もう声にはなっていない。抜ける息の音だけが聞こえる。微かに聞こえた声で、私は胸元にあった銃を取り出した。
「頼む…」
そして、人差し指でその引き金を引いた。
横浜奪還作戦が始まって、早三ヶ月が経とうとしていた。領地は次第に増え、残すところは中心部と港のみとなっている。先に周りを固めた方が、異形の出入りを制限できる。という事なので、端から中心に攻め込んできた。
駐屯地に戻り、十番隊のテントに戻る。そこはいつの間にか人が少なくなっていた。それは、この戦場で消えていった兵士達がどれほどいるかを、一番簡単に、残酷に知らせる方法だった。
「隊長、お疲れ様です」
兵士の一人が声をかけてくる。彼は腕を折ったのか、左手は包帯で巻かれ、首に三角巾をかけ腕を吊っている。
「木場か、お疲れ」
木場と呼んだこの男は、私の所の兵士であった。もっとも、地位は高いわけでもなくただの兵士なわけだが、私は彼の名を覚えている。いや、この部隊の全員を覚えている。全一万人はいたであろう隊の中で、全員の名を覚えるような上司なんていないだろうな。そう思い、もう半分に近いであろう犠牲に苦しみを覚える。話しかけてくる木場に集中する事で、その気持ちが少し安らいだ気がした。