表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルラウネの憂鬱  作者: 優衣羽
17/43

ep.3.2



「横浜奪還作戦…、義父さんが…」


一枚一枚丁寧に手記をめくっていた手が止まる。二十年以上前の作戦だ。前に殲滅隊の作戦資料で見た事がある。


義父が奪還した横浜は、今日では人の集まる豊かな港として栄えている。多くの人が観光で訪れ、異形なんて過去の物、見た事すらない人間だって大勢いる。英雄と呼ばれる由縁はここにあったのか。


「章様、お客様です」


「あ、はい」


読みかけていた手記のページに指を挟んで、使用人に返事を返した。反射的に、呼ばれた声に振り向いたものの身体はそこから一歩も動けず、立つ事さえ出来なかった。


「章、いるの?」


微かに僕を呼ぶ声が聞こえた。床が軋む音がする。ゆっくりとその軋みは近づいてくる。


「…いるよ」


僕は視線をそちらに向けて、小さく返事をする。そうすれば軋みは止まり、その代わりに橙の鮮やかな着物を着た幼馴染の姿が現れた。ほっとした表情で僕を見る彼女に、隣に座るように促した。隣の空いたスペースに腰を下ろした彼女は、突然、僕の頭を叩いた。


「痛い!」


鈍い音が庭に響き渡る。容赦なく振り下ろされた鉄拳は、一応軍人である僕よりずっと強い気がする。今まで何度も叩かれた事はあったけれど、今回のは違う、いつもよりずっと強かった。頭をさすりながら彼女を見れば、なぜか涙をこらえていた。


「え…和葉…」


「この馬鹿!大馬鹿、本当に馬鹿!」


「えぇ…」


僕の腕を叩きながら泣きだした彼女に酷く困惑した。一体、僕は何をしでかしたのだろうか。何もした覚えは無いのだけれど。


「お葬式の後、連絡取れなかったから、電話かけても繋がらないし…。どうしようかと思って」


「え…お、お葬式ってさっき終わったばっかでしょ?」


「何言ってんの馬鹿!二日前に終わったでしょ」


二日前?そんなはずないと思い、腕時計を見れば本当に二日が経っていた。心なしか身体が冷え切っている。僕は手記に夢中で、気が付けば丸二日、寝る事もせずにここで手記を読み続けていたらしい。


和葉は泣きながら僕に縋りつく。僕は「ごめん」と言いながら彼女を抱きしめていた。そして感じる彼女の温もりに、僕の冷え切った身体が温まっていくのが分かった。


「ごめん和葉。僕読むのに夢中になって、知らぬ間に二日もここにいたみたいだ」


「心配した」


「ごめん」


「叔父様亡くなってから連絡つかなくなるなんて、悪い予感しかしないでしょ」


「だよね。僕も今凄い反省してる」


「女中さんに聞いたらずっと曖昧な返事しか返って来なかったって」


「うわぁ…後で謝っとこう」



身体を離して目と目が合う。和葉は鼻を啜りながら突然指を差した。


「え、なに」


「とりあえずお風呂入ってきなさい!食事の用意はしてるって女中さん言ってたから、まずは一回温まってその軍服脱いできなさい。それからご飯食べてちゃんと寝なさい!私、今日こっち泊まっていくから」


「え…え…」


「ほら行く!」


「はい!」


和葉に怒鳴られて、手記を片手に脱衣所に向かう。黒い軍服を脱いで温かい湯に浸かれば、自然と心が楽になった。

僕が落ち込んだり、うまくいかなかった時はいつも和葉が助けてくれる。義父さんは何も言わずに見守ってくれたっけ。ああ、また思い出して泣きそうだ。


僕は風呂場から出て置いてあった着替えに袖を通した。義父は着流しを着ていたが、僕はワイシャツの方が好きだった。黒いスラックスを穿いて肩にタオルをかけたまま脱衣所を出る。廊下ですれ違った使用人達に「迷惑をかけてごめん」と謝れば、優しい声で「良いんですよ」と微笑まれたから、また泣きそうになった。


「ごめん、お待たせ」


襖を開けて正座をしていた和葉に声をかけた。僕の私室の窓辺から景色を見ていた彼女のすぐ近くに座る。


「風邪引くわ」


「いつも迷惑かけてごめん。ありがとう」


僕の肩にかかっていたタオルをはぎ取って、和葉は僕の頭を拭き始める。いつもは「自分でやるから大丈夫」と言うけれど、今日はその優しさに甘えたかった。


「何を読んでたの」


髪を拭きながら、和葉は僕に問いかける。


「義父さんの遺品。浩二叔父さんが持って来てくれた」


「お父様が?」


「うん」


自分の父の名前が出てくるとは思わなかったのだろう。和葉の手は一度止まり、そして再び動き始めた。


「義父さんに言われた通り、言いたい事は言える時に言ってきたつもりだった。だけど、義父さんがいなくなってから、初めてこんなに聞きたい事がある事に気が付いてさ」


「例えば?」


「…あの縁側で義父さんが見ていた風景が知りたかった。この手記を読んだら、理由が分かるかなって。でもまだ十分の一も読めてないんだけどね」


僕は笑う。和葉は優しい手つきでタオルを取った。


「はい、終わり」


「ありがとう」


「どういたしまして」


僕等の間に静寂が流れた。不意に和葉が口を開く。


「読んでいいよ」


「え…」


「読みたいんでしょ、読んでいいよ。その代わり、私も隣で見てもいい?」


「良いけど、何か気になる事でもあった?」


「お父様とお母様のことも、書いてあるかなと思ったから。それと生前叔父様に言われたの。『お前は両親にも似てるけど、言動はあいつに似てる』って。そのあいつって誰なんだろうと思って」


あいつ。義父が言ったその人物に、心当たりがないわけでもなかった。しかし、確証がないから、和葉と共に読み進めていく事にした。きっと、義父が言っていたあいつは、この手記の半分以上を占める人の事だと思いながら。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ