ep.3 世界はまだ遠い
空は鈍色だった。
曇天。
真っ白な雪が降り積もっている。支給されたマフラーは地面と正反対で、灰と白の空間にコントラストを生んでいた。やけに長いマフラーの、出来た隙間に顔をうずめた。巻いても巻いても先が残ってしまうから、諦めて外套とともに風にはためかせた。地面にずってしまうけれど、もう考えない事にする。
黒に白の斑点が鮮やかに彩られる。帽子のつばを持ち深く被り直す仕草は、もう癖になってしまった。
気温は零度。かじかんではいざという時に使えない。そう思い両手をズボンのポケットの中に突っ込んだ。望めば支給品の手袋も手に入るが、あれを着けては感覚が鈍ってしまう。武器を手に取る時は素手でないと、今、自分が立っている場所を見失ってしまいそうになるから。
ただでさえ、国の為とか名誉の為とか、そんな目的を持ってここに立っているわけではないから。いつだって自分は浮いている。それは容姿だけの問題では無いのだ。そもそも、ここにいる人間達の大半は理解しがたい。
騒がしい中央集合場所から離れ、駐屯地に立ててあるいくつものテントの裏に回る。置いてあった木箱の雪を払い、腰に差した刀の雪を払って、私はその場に腰掛けた。腰に着けていた小さなポーチの中から弾薬を取り出し隠し持っていた拳銃に詰め込む。
合計十発。二丁合わせると二十発。ポーチに入っているのはあと十セット分。合計百二十発。シリンダー式の銃を腰のベルトに差し込んだ。
そしてリボルバー式の拳銃を胸元から取り出す。使う事が無ければいいと思いながらも、毎回戦場で必ず使わざるを得ない銃だった。装弾数は六。替えの弾丸は三十。これが限界だった。小さな刀傷がついたそれを、指先でゆっくり撫でた。
この銃は同胞送りと自害用の拳銃だった。同胞送りだという事は皆知っていても、自害用だとは誰も知らないだろう。
それもそうだ。これを自分の脳天に届かせようとした事は一度もない。どんな絶望の中でも、忠義の精神が一ミリもない自分に取って、これはほぼ、無用の産物だ。
では、何故これを持っているのか。
戦場を駆けていると、必ずと言っていいほど死にぞこないに出会う。もう動けない。放っておいたらそのまま死ぬ。しかし、死ぬには時間がかかる。そういった兵は、誰かに殺してもらう事を望む。
何度も会って来て、いくつもの命を送ったけれど、これは奪ったのと同じだ。常備している武器では彼らがいたたまれないから、専用の拳銃を持ち歩くようになったのはいつからだろう。多分、十七になった頃に行った作戦からだったはずだ。
もう数分で死ぬというのに、最期まで生きる事を諦めなかった同胞を葬った時についたこの傷が、それを忘れさせてくれない。
腰に差した刀を鞘ごと引き抜いて、組んだ左脚の上に乗せ鞘から引き抜いた。曇一つない美しい銀は、刃こぼれ一つさえ許さない。何度か眺めた後、外套の裏で刀身を拭いた。そして鞘に戻し両手で刀を持って柄を額に当てる。そしてゆっくり目を閉じた。
頭の中に一番に思い浮かんだ人物を、ここではいつも思い出さないようにしている。
千歳にこの世界は似合わない。帰った時、一番に顔を見たくない。数日経った後でないと、今から起こる残虐な光景に、千歳が溶け込んでしまいそうで怖かったから。私にとって千歳は守るべき存在であり、今、自分が立っているこの世界から一番遠い場所にいてほしいと願っている。
この真っ赤で噎せ返る死臭の世界を、知らないままでいてほしい。そして、その中に立っている自分の事を見ないで欲しかった。だからこそ、戦場に出る時は婚約者の少女の事を忘れようとする。まあ、できっこないのは分かっているし、いつものことである。