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アルラウネの憂鬱  作者: 優衣羽
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ep.2.6


聞き慣れた声だった。


自分よりずっと高く、しかし落ち着いた声に顔を上げる。そこには何故か、彼女が立っていた。


「何でこんなところに…」


「九条の屋敷に忘れ物をしまして、取りに戻った次第です」


いつの間にか自分は自宅のすぐそばまで歩いていたらしい。もし、声をかけられなかったらそのまま通り過ぎていたかもしれない。

辺りは既に暗闇に包まれているというのに、千歳は使用人の一人も付けていなかった。


「…今何時だと思ってる」


遠くから鐘の音が鳴り響いた。


「今、鐘が鳴ったので九時ですね」


冷静に返事を返す彼女に、私は心底腹が立った。


「中院の令嬢が、夜中に一人で帰るなんて、何て馬鹿な事してるって言ってるんだよ。正気か?お前は俺と違い軍人でも無いんだぞ、腰から刀下げてる訳でも拳銃忍び込ませてる訳でもないんだ。このまま一人で帰って、襲われでもしたらどうしてたんだ。もっと危機感を持て」


息継ぎもせず言い切った私を見て、彼女はむくれていた。


「確かに、一人で夜、外に出たのは悪いとは思っていますが、ここに来るまでちゃんと屋敷の方に送って頂きました。帰りも大通りに出たら公衆電話から家に連絡して迎えを出して頂くつもりでした。何か問題でもありますか」


正当な事を言っているこっちが悪いかのように言い返してくる千歳に、私は怒りが止まらなかった。


「嘘だな」


「何でですか!」


彼女の考えはお見通しだった。伊達に半年間毎日の如く顔を合わせているわけではないのだ。


「出来る事ならそのまま一人で帰ろうとしていただろう。どうせそのまま空を眺めながら帰ろうと思っていたんだろ」


「それは…」


先程までの勢いはどこに行ったのか、完全に言い負かされた千歳は静かになってしまった。俯きながらポツリと言葉を発するその様は、まるで叱られた幼子のようだ。



「…星月夜だったんです」



「は?」


とても小さな声で呟いた、その言葉の意味が一瞬よく分からなくて思わず眉根を寄せた。すると彼女は顔を上げて私の目を見つめてくる。


「星月夜だったから、見て帰りたいと思ったんです。だけど、家に帰ったら窓すら閉められて見えなくなってしまいます。車に乗ったら小さな窓からしか見る事が出来ません。だから怒られてしまうのは分かっていても、歩いて帰りたかったのです」


赤い瞳が私の青を映す。君の目の色に溶け込んで、私の青は紫に色を変えていた。瞳は揺るがず、私を見たまま離さない。

こういう所が好きだ。話す時に必ず人の目を見る所。どんな人間に対してもそれは変わらない。それは小さな子供でも。自分より身分の低い人間でも。いつも悪態をついている私にも。普通、彼女ほどの貴族の人間は、自分より下の相手を眼中にいれず、相手もしないだろう。自身の上司の事を思い出した。あの人はまさにそれだ。


「でも、諦めます。大人しく使いの者を呼びます」


肩を落とした君を見て、私は思わずため息を吐いた。今日何度目かもわからないその溜息、に彼女はビクッと肩を震わした。何もそんなに怯えなくても良いだろう、少なくとも私は悪い事をするつもりは無いのだから。


「送る」


「え…」


軍帽を深くかぶり直して表情を隠した。驚いて漏れ出した彼女の吐息が聞こえる。


「俺が呼び出して家に来た、そして二人で帰ってきた。って言えば叔父様も文句ないだろ」


「でも、それでは周様が何か言われてしまうかもしれません」


「今更だ、そんな物には慣れている。それにお前も婚約相手と帰ってきたと言えば安心だろ」


「まあ、殲滅隊の大佐ですからね…」


「腰に下げてる刀も飾りではないしな。お前の家の護衛よりよっぽど優秀だぞ。だから早く行くぞ」


「え、ちょっと待ってください!」


歩き出す私に、後ろから駆け足で追いかける、まだ何かを言おうとする彼女は私の外套を掴んだ。その勢いがあまりにも強かったものだから、首留めが閉まって低い声が出てしまった。


「あ、すみません!引っ張り過ぎた…」


「いや、良い…。で、まだ何かあるのか」


首元をさすりながら私は眼前の少女を見下ろした。彼女は何か言いたげに視線を泳がせている。


「あの…ありがとうございます」


俯きながら言う千歳の姿があまりにも珍しくて、私は目を疑った。だってこんな表情は見た事がない。私が知っている彼女の表情は、怒っている顔と無表情、そして嫌悪を浮かべた顔。その三つだけだった。だから今、初めて見たその顔に、私は戸惑いを隠せなかった。


「ああ」


いつもと変わらない、ぶっきらぼうに返事を返して歩き始める。私より遅い歩行スピードに合わせながらも、隣を歩いているのに空を見上げたまま一度も目が合わない彼女を横目で見る。


子供の様だった。空を見上げ、星を見るその目は輝いている。子供なのか大人なのか分からない、時折見せる年相応の少女の表情は私の心を縛る。底なし沼のように沈んでいく。この心の終着点は一体どこにあるのだろう。いや、そもそも終わりなんてないのかもしれない。


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