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短編集

ばあさんの駄菓子屋

作者: 遥彼方

「これください」

 舌足らずの声で言い、小さな手でガムや五円チョコ、サラミとゼリーなどが台の上に置かれる。同じように台の上へ置いた電卓で、ばあさんが慎重に計算した。


 わしはそれを黙って見守る。店の接客はばあさんの仕事で、わしはいつも突っ立って見ているだけだ。


「はいよ。七十円ね」

 ばあさんがニコニコと笑って値段を言うと、男の子が握りしめた小銭をじゃらりと並べた。男の子の体温でぬくもった硬貨を、シワを刻んだ指で慎重に数える。

「はい、丁度だね。ありがとねぇ」

 そう言ってこれまたゆっくりと袋に入れた。


 若い頃はもっと速く動けたんだがなぁ。

 わしもばあさんも老いたものだ。きびきびとしとったばあさんの動きは、年を追う毎に緩やかになっていった。


 今度は後ろで待っていた男の子の友達が、駄菓子をばあさんに出す。

 またばあさんは慌てず電卓のボタンを一押し、一押し、丁寧に値段を計算した。値段を言い、大事に手に持っていた小銭を貰う。またゆっくり慎重に駄菓子を袋に入れて、嬉しそうに渡した。


 それにしても今日は一段とゆっくりじゃの。菓子を袋に入れるだけの作業を随分と苦労してやっとる。

 そういえば最近、どうも右手の力が入りにくいときがあるとこぼしとった。老いが進むとあちこちにガタがくるもんじゃ。


「また来てねぇ」

 ばあさんが友達と楽しそうに店を出る二人に手を振ると、男の子たちも元気に手を振り、店の外へと歩いていった。


「ああ、膝が痛い。雨でも降るのかしらねぇ」

 男の子たちが立ち去ると、首を少し上に向けたばあさんが店のガラス越しに空を眺めた。


 ああ、そうだろうさ。わしも体が軋む。年を取ると僅かな湿気に敏感になるもんじゃ。


 鈍色の雲が空を低く覆っている。西の空に至っては重苦しい色合いで、いかにも一雨来そうだと思う。

 しかしのう。わしら年寄りは、不本意な事に空など見なくても分かる。やれ、水が溜まった膝が痛い。やれ、肩や首が重苦しい。もともと体の痛いところが更に痛くなる。


 わしの体も小さくギシギシと軋む音を立てた。


「ふふふ。本当に年は取りたくないものねぇ」


 全くだなぁ。


 静かに同意すると、ばあさんがよっこらしょと椅子に腰かけて言った。

「あと何年、続けられるかしらねぇ」

 しみじみとした響きが小さな店内に木霊する。


 四畳半ほどしかない狭い空間に壁を埋める棚。棚にはプラスチックの透明容器に色とりどりの飴玉がそれぞれ詰まっている。棚には同じようにつまみにもなりそうな串に刺されたイカやらカツもある。

 幼い子供が丁度手が伸ばせる高さには、小袋のスナック菓子やグミ、ラムネ菓子やチョコレートが並ぶ。


 小さな二人の客が去った後は誰も訪れない。ばあさんとわしだけのひっそりとした時が流れる。

 昔と比べてめっきり客は減ってしまった。景気の悪さやスーパーに客を取られたというのもある。


 だがの、もっと大きな理由は子供が減ったからじゃろうて。


 まだ店を出して間もない頃が昨日のことのように思い出される。昔の記憶というものは昨日の晩飯よりも鮮明なもんだ。


 店の看板も錆びてもなければ、もっと鮮やかな色だった。

 ひっきりなしに子供が来てのう。当たり付きの菓子を真剣に選んだり、時には喧嘩が始まったり。そりゃあ賑やかなもんじゃったな。


 まだばあさんの髪も真っ黒で、三つ編みを二つ、お下げにしとった。笑うとえくぼが出来てのう。可愛かったんじゃぞ。ま、ばあさんは今でも可愛いがの。口には出せんが。


 当然ばあさんを狙う男がおっての。四軒隣の昭雄じゃった。あいつ、毎日のように通いよって。いい大人が駄菓子屋通いだぞ。ああ、今思い出しても腹が立つ。

 わしとあいつは恋のライバルというやつじゃった。わしはあいつが顔を見せる度に、さっさと帰れと不機嫌になったものじゃ。


 唐突にわしの物思いは終わった。ばあさんが椅子から転げ落ちとる!


 ……ばあさん? ばあさん! どうしたんじゃ!


 どんなに呼び掛けても床に倒れたままのばあさんに、わしは動かない自分の体を呪った。


 ああ、誰か。誰か来ておくれ。


「こんにちわー」

 カラカラと戸が開き、近所の中学生が顔を覗かせた。何気なく店内に入って駄菓子コーナーへ行こうとした足が止まる。


「おばあちゃん!? どうしたの? 大変!」


 おお。良かった。ばあさんが大変なんじゃ。早う、救急車を呼んでくれ!


 わしの懇願通りに中学生が救急車を呼び、ばあさんは病院に運ばれた。


 わしは店でばあさんが帰ってくるのを待った。何日も何日も待った。


 ある日店の戸が開く音がして、わしはばあさんが帰ってきたのかと期待した。ひょこりと顔を覗かせたのはばあさんではなく、息子と孫だった。


「懐かしい。変わってないな」

 ぐるりと狭い店内を見渡して息子が目を細めた。わしに近付き、ぽんぽんと軽く叩いた。


「ばあさんの具合があまりよくない。残念だが店じまいだ」


 とうとうその時が来たか。

 そう思っただけじゃった。


 客は小学生がほとんど。握りしめた小銭で駄菓子を買っていく。儲けなどほとんどない。道楽でやっているようなものだった。いつか来ると思っとったことが来た。それだけじゃ。


 そんなことよりばあさんの具合はどうなんじゃ。よくないとは、どういうことじゃ。


「脳梗塞だよ。手術は成功したが意識が戻らない」

 それから息子と孫は店を簡単に掃除して帰っていった。


 意識が戻らないばあさんを想う。五十年以上、共にいた時間を思う。

 黒いお下げ髪、ぷっくりとしたえくぼ、くりくりと動く丸い目、色白な肌。白髪が混じり、顔や手にしわが増えても変わらなかった笑顔と、時折わしを撫でる柔らかい手。ばあさんと共に優しく流れた時を思う。

 

 ああ、わしが代われたなら。動けないわしよりも、ばあさんのほうが近所の子供にも愛されとる。

 何よりわしもばあさんを愛しとるんじゃ。一度も口には出せなかったがのう。


 わしは祈った。柄にもなく神とやらに祈った。


 どうかわしの命を分けてやっておくんなせえ。ばあさんを元気にしてやって下せえ。

 昭雄よ。お前もばあさんが好きじゃったろう。あの世からでいいから一緒に祈れ。力を貸せ。


 一心にばあさんを想い祈るうちに、わしの意識は薄れていった。

 


 気が付くとわしは昭雄と一緒にばあさんの前に立っていた。喋ることの出来ないわしの代わりに、昭雄がばあさんに話かける。


「かわりにこいつを連れて行くから、お前はもう少しそっちにいろ」

 昭雄がそういってわしを叩いた。


 ふん、お前と連れ立ってあの世とやらに行くことになるとはのう。世の中とは、つくづく分からんもんじゃ。


 ばあさんは瞳を潤ませてわしらを見た。

「昭雄さん……あなた」

「待っているから、ゆっくりとおいで」

 昭雄があのいけ好かない笑みを浮かべる。ばあさんを虜にして、わしからかっさらったあの笑顔を。


 じゃがいいんじゃ。

 わしは昭雄よりも、ずっと長いことばあさんの傍にいた。それで十分じゃった。


 愛しとったよ。ばあさん。


 最後にばあさんへ愛を囁き、わしの魂は昭雄に連れられてあの世へいく。

 こうして半世紀以上ばあさんと過ごしたレジ台としての、わしの生は終わったのだ。


 退院した老婆が店に戻り、息子の手を借りて古びたレジ台の前に立つ。愛しそうに傷やへこみの出来て年季の入ったレジ台を撫でた。しばらくそうして撫でていた老婆の目から、透明な涙がこぼれ、そっとレジ台を濡らす。


 涙に濡れたレジ台は、黙して語らなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんとも哀愁の漂う物語でした。来客が少なくなった駄菓子屋、歳を重ねて体が思うように動かなくなるおばあさん、そしてどんな時でもその場から動くことのできないレジ台。時代の変遷に伴って訪れる哀し…
[一言] 途中から「人じゃないな」と思いながら読んでました。 レジ台とは…… 幼い頃に買いに行った駄菓子屋はことごとくなくなってしまいました。 子供の減りよりも、店主の年齢と建物の寿命だったかなー(…
[良い点] 途中からなんか変だと思ったら・・・。(笑) 駄菓子屋の風景が懐かしくてたまりませんでした。 毎日通ってたなぁ。
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