探偵と闇怪盗
◆トラエッタ=スターズ
主人公。探偵。ベテランの中堅探偵。
探偵能力は《当たるも八卦》。
トラエッタの瞳は自信に満ちていた。
舞踏会への参加者は十名。そのうち三割に当たる、三名の犠牲者が出た惨劇の夜も、今この瞬間をもって緞帳が下りることとなる。そう信じているものの瞳だ。
「まず第一に考えるべきは、この事件に連続性があるかなしか、ということ。同一犯によるものか、そうでないものか。犯人は一人か、複数かと言い換えてもいいでしょう。既にお気づきの方も居ると思いますが、まずは私の話を聞いてください」
探偵七つ道具、ポラロイドカメラで撮影した現場写真を提示する。トラエッタが捉えた写真には、苦しみぬいて死んだ三人の顔が写されていた。集められた参加者の中には、被害者の関係者だろう。嗚咽を漏らすものも居た。だが、真実を明らかにするためには必要なことだった。耐えてもらうしかない。
「被害者には共通点があった。三人とも死因は同じ窒息死。凶器も共通しています。奇妙なことですが、三人は靴を……自分の靴を飲み込もうとして死んでいた」
一人目は女性だった。彼女はハイヒールを飲み込もうとして、喉に詰まらせ窒息死した。二人目と三人目は男性。それぞれ革靴を飲み込もうとして、そのまま窒息死。
トラエッタの推理は、特に特徴があるようなものではない。探偵ランクも高いわけではなかったし、探偵能力も光るものがあるわけではなかった。それでも彼はランクAの探偵として探偵協会に所属している。堅実な推理と、積み上げた実績のなせる技だ。
「裏を返せば、それ以外の共通点は存在しません。でも、ただの共通点じゃない。この奇妙な共通点、これは明らかに犯人が同一であることを示すものです」
「手口が同じ、しかもその手口が全て常識では考えられないものということか。なるほど、それならば犯人が同一である可能性は高いな」
腕を組み、メジロ刑事が唸る。
この部屋は警察が囲んでいる。犯人を逃さないため、彼らも必死なのだ。
「さて、皆さん。この場には実はもう一人、探偵が居ます。そして彼は探偵能力保持者。私と同じく、シュレディンガーフィールドへ干渉出来る人です」
会場全体がどよめくのが分かった。探偵といえば、事件が起これば我先にと解決を争い、推理するものというのが一般的な認識である。すなわち、事件現場に二人の探偵が居たとすれば、二人の探偵が協力し、あるいは反目しながら推理するのがステレオタイプ探偵だ。そうでない探偵など、非探偵たる参加者にとっては思いもよらなかったのだろう。
「探偵能力は強力な力です。当然、悪用されればそれはそれは恐ろしいことが起こりうる。ですから我々探偵は常に自制し、自省を欠かさない……しかし、そうでない探偵も居ます。この場に居る、もう一人の探偵のようにね」
「何だと!? それは一体どういうことかね! トラエッタ君!」
「そう! 犯人はあなただ! 探偵……いや、闇探偵! クツクーワス・赤井!」
◆クツクーワス・赤井
犯人。闇探偵。
闇探偵能力は《赤い靴》。
「な、なんだと!? そいつも探偵だったというのか!?」
「あ、赤井さん。まさかあんた……探偵だったのかよ!」
「そのパイプ、百均で見ましたよ! ごっこ遊び探偵!」
「おじちゃんおひげへんだねー! オイオ~イ!」
トラエッタの指先に立つ人物。クツクーワス・赤井と呼ばれた男に向けて、会場からは悪意が飛び交う。皆から罵声を浴びせられた赤井は、憮然として答えた。
「おいおい。待ってくれ。確かに俺は探偵だよ。でも、ランクはCの小物探偵さ。ランクA様の推理を邪魔しちゃいけないと思って黙っていただけなんだがな」
弁明すると、赤井はため息と共に肩をすくめた。
探偵協会の探偵序列は探偵たちにとって重要な決まりごとである。推理発表の優先順位から、協会からの報酬、果ては月刊タンテイへの掲載率まで、全てにおいて探偵序列は探偵たちを縛る。彼の言うことが間違っているわけではない。
しかし。
「あくまでシラを切るつもりですか。良いでしょう。私の探偵能力は、あなたの嘘を逃さない」
トラエッタの瞳が光る。探偵能力保持者の中でも、探偵能力に精通したもののみが放つ推理の光。探偵協会、論理の派閥に所属する彼の推理を支えるのは、堅実な推理と、それを用いた探偵能力に真骨頂がある。
「探偵能力オン。《当たるも八卦》……あなたのアリバイ、この私が破壊してみせる」
トラエッタの気づき発光が赤井のアリバイを完膚なきまで破壊し、この事件は幕を閉じた。アリバイを失い、推理発勁を封じられた赤井はシュレディンガーフィールド波形をかき乱され、闇探偵能力をも失った。探偵の仕事は推理まで。犯人となった者への対応は、後は警察の仕事だ。
トラエッタ・スターズ。
数多くの事件を解決する、実力派探偵。メジロ刑事と挨拶を交わし、今日も彼はエンディング鼻歌交じりに夕暮れの街を──
「トラエッタ・スターズ。君の真実を盗みませてもらう」
呼び止める声。それも、かなり近く──背後から。いくら事件解決後だからといって、そこまで接近を許すほど油断していたわけではない。気づき妨害でもされたか。彼は舌打ちする。
「誰だ!?」
誰何の声を上げ、振り返る。が、既に彼はそこに居なかった。珍しく自分が動揺するのを感じた。
「僕はバキダス。トカオ・A・バキダス=マルヒジといえば、聞き覚えもあるかな」
「マルヒジ侯……名門怪盗マルヒジ侯爵家か!」
素早く切り替え、臨戦態勢をとる。心の乱れは練気を乱す。練気、推理、発勁。三つの基礎を欠いた推理発勁では、紙も破れまい。
マルヒジ侯爵家。名門ギル家などと並ぶ、怪盗業界の重鎮だ。強大な怪盗能力を有し、探偵すらたやすく打ち破る……そう伝えられている。実際に遭遇するのは初めてだが、最低でも破都級以上の脅威だろう。
闇怪盗はトラエッタの頭上、電信柱の上に居た。探偵には分からない美学だが、怪盗は高いところを好みがちだ。
「しかし、随分と若いな。当主ミダス・ヌス=ペキニーカンは、私よりももっと上と聞いていたが……」
「父は引退した。現当主はこの僕だ。僕が盗み出すのはただ一つ。この『瞳』に賭けて」
痩躯のシルエットがゆらめく。怪盗然としたマントで覆われていた右半身があらわになる。その手には、小瓶のようなものが握られていた。丸い、何か──眼球の入った、人体標本のような小瓶だ。
「僕はただ、真実だけを暴き出す」
「何を馬鹿な。第一、怪盗風情が探偵に推理で敵うと思っているのか? 探偵協会Aランクも舐められたものだ」
「トラエッタ・スターズ。君の探偵能力は精神干渉系だ──いや、闇探偵能力と言ったほうが正しいかな」
「……この私が闇探偵だと? これはお笑いだ! 怪盗! 喧嘩を売るならもっと考えて──」
「ヒラーイタ・鍵山」
「何?」
「エリ・スグル。ナイフ原キザムバード。アサルト・トーリマー。そして、クツクーワス・赤井。お前が利用し、そして絞首台に送ってきた闇探偵たちだ。お前は彼らを操り、殺人を行わせ、そしてそれを自分の功績とした。真の闇探偵能力、《穢れた真実の仮面》でね」
「……なるほど。随分と下調べをしてきたようだ。真実を盗み出すとかいうのも、ただの大ボラってわけじゃないらしいな」
トラエッタは声色を変える。今この瞬間、目の前の男の人生はここで終わることになった。ならば、本性を隠す必要も無い。彼はくつくつと笑った。
「なら、もっと研究すべきだったな。《穢れた真実の仮面》の射程が……どれくらいかをなッ!」
シュレディンガーフィールドが膨張する。闇探偵能力は闇探偵たちを力で従える能力、裏を返せば自我を上書きするほど強力な闇探偵能力だ。《穢れた真実の仮面》のシュレディンガーフィールド波形に飲み込まれれば、バキダスもクツクーワス・赤井らと同じ道をたどらせることが出来る。一気に勝負をつけ、口を封じるしかない。
しかし。
「な、馬鹿な……シュレディンガーフィールドが、シュレディンガーフィールドが縮んでいく!?」
「僕には並大抵のシュレディンガーフィールド干渉は通用しない……『精霊』が僕を守ってくれている限り。いや、僕を……導いてくれている限り」
『瞳』は小さく、だが確実に、鮮やかな緑の光を放っている。光は徐々に大きくなり、瞬間、あたりを塗りつぶした。
そして。
「世界に謎などありはしない。あるのは人と悪意だけ」
トラエッタ・スターズ。数多くの事件を生んできた、闇探偵。
彼の瞳が真実を見ることは無い。真実を奪われ、アリバイを失った彼は、最早正気を保てない。
「そろそろか。探偵王」
地面に寝転び、虚ろな瞳で虚空に焦点を合わせようとし続けるトラエッタのコートに予告状を差し込むと、バキダスは音も無くその場から夜の闇に溶けていった。
闇怪盗。探偵が真実を暴き、闇探偵は真実を覆い隠す。怪盗は宝を盗む。ならば、闇怪盗は何を盗むのか。
真実を盗む。真実を暴く。どちらが正しいのか。探偵神は、探偵魔は、誰に微笑むのか。決着の日は近い。
◆トカオ・アーノルド・バキダス=マルヒジ侯
闇怪盗。
マルヒジ侯爵家の嫡男で、名門怪盗マルヒジ侯爵家の現当主。
ライヘンバッハ探偵キルスクール出身でありながら、探大へと進んだ異色の経歴を持つ。彼が次に狙うのは……?