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第8話

 黒光りしてカサカサする虫が出てきた、というオチであればどれだけ安心出来るだろう。そうであって欲しい、という俺の想いを否定するかのように、(すみれ)の叫び声は悲痛であった。俺のこういう悪い予感というのは大体当たってしまう。


 壁に二度激突しながらトイレ前へと向かうと、目を疑いたくなる光景がそこでは待ち受けていた。愛しき妹が、瞳孔を開きっぱなしにしてぐったりと倒れこんでいたのである。彼女の名前を叫び、身体を揺すり起こしたが反応は無かった。「お母さん……」と力無く呟いている以外には。それすらも、次第に弱まっていき、いつしかぴくりとも動かなくなっていた。


 ――母さん……?


 ある程度慟哭(どうこく)した後、何かに導かれるかのように俺は首を回した。オカルトチックなことに精通していない俺でも、今の状況がなにやら『普通ではない』ことは察せた。そしてその推察は正しかった。だが、黒光りする虫が大量に居た訳でも強面(こわもて)の殺人鬼が包丁片手に不気味な笑みを浮かべていたわけでもない。


 青白い炎というか、球体というか、いかんとも形容しがたい物体がふよふよと浮いている。


 目や手足がついているわけではないはずなのに、明らかにこちらを『意識』しているのが感じ取れた。奴には意志がある、直感的に俺は理解した。


 ――神サマか何かの仕業だと信じたいくらいだぜ俺ぁ。


 無精ひげの警察官、黒澤(くろさわ)さんの言葉を不意に思い出した。さて、一連の殺人事件の被害者。共通している特徴は何だったか。そう、『外傷がない』だ。


「は、はは……」


 他人に聞かせたら病院をオススメされてしまうであろうような真相を知ってしまった俺は、力なくその場にへたりこんでしまった。これが殺人鬼の正体か。その物体が自白したわけではないが、物言わぬ物質と化した(すみれ)だったモノを見れば俺でなくとも結論は同じになるであろう。


 刹那(せつな)、物体はこちら目掛けて飛来した。速い。が、運動神経が悪いわけではない俺は反射的に右方向に転がってそれをギリギリ避けることに成功する。代償として壁の角に足を強打したが、痛がっている余裕などなかった。


『憎イ……ドイツモ、コイツモッ』


 怨嗟(えんさ)の声とでも言うべきか。この世のものとは思えないような絶望を込めた声で、リバーブ効果がかかったような感じで俺の脳内にそれが響き渡った。酷く歪んだ声ではあったが、俺の記憶に何か引っかかるものがあった。


 震えながら立ち上がった俺を、再度物体は攻撃しようとしてくる。頭を抱えてしゃがみこんだお陰で、パジャマに少しばかり掠めた程度で済んだ。炎が触れたような熱い感覚は残ったが、焦げ跡らしきものはない。物体は天井に張り付いている。こちらを見据えているのか。


 外傷がない、ということは、この物体はどのようにして『獲物』を殺しているのか。一瞬で考えを巡らせたが正しい答えなど導き出せるはずなどない。ただ推測として、『魂』に直接もぐりこみ、食らおうとしているのではないか。そう考えた。


 捕まるはずがないはずだ、そりゃあ。今の警察に、このような超常現象のような代物をどうこう出来る手立てや法などないだろう。今後も出来るとは思えないけれどな。


 三度(みたび)、炎のようなそいつは俺を目掛けて飛び掛ってくる。今までのようなワンパターン攻撃ではなく、俺に覆いかぶさる瞬間にぶわっと広がり、手足を同時に拘束してきたのである。思わぬ攻撃手段にたじろいだ俺にそれを避ける方法はなかった。物理法則によるものか、居間まで思いっきり身体を吹き飛ばされ、テーブルを横転させ、テレビが轟音を発して砕けた。


「か――」


 炎は徐々に人の形を作り、俺に額を合わせた。至近距離であることと光がわずかな月の光程度であることから確認は難しかったが、それが『誰』なのかは俺にはわかった。わかってしまった。わかりたくはなかった。悪夢のような現実を叩きつけられた気分だ。


「――あ、さん……」


 連続殺人事件の最初の被害者は『いつ』死んだか。七月だ。正確な日付は、二十、までは出てくるがそこから先は覚えていない。三十に近いのは確かで、十何日ではないというのも確実だ。そして、それだけで目の前にいるそれが、信じたくはない人物そのものであるということを証明するのに十分すぎた。


 ――俺の母親の命日は、七月十七日だ。


 どうしてだ。俺の母親は、母さんは、優しい人だったはずだ。人はおろか虫も殺せないような穏やかな気性の人物だったはずだ。だから俺は家庭が別居するという話になったとき父親の下に残らずに母親についていったのだ。俺が小学の高学年になるまでは(すみれ)に悪かったとも思わなかったのだ。それほどまでに母親の良さを子供の頃から信じきっていたというのに。


 何故、悪霊のような状態になってしまったのだ。母さんに殺された人々はみんな母さんのことを慕っていて、嫌っていた者は誰一人としていなかったはずだ。俺が訪ねた先の遺族がはっきりそう言っていたわけではなくとも、俺に対する態度からそれくらいは察することが出来た。一体どうして……。


 そこまで考えて、俺は母親の遺言を思い出す。




『……私はお父さんのこと恨んでいないから……』




 なるほどな。断言するには材料不足だが、俺にはわかってしまった。全ては報復のためだったというわけか。不甲斐ない仕事大好きの父親に対する復讐。徐々に近しい人を殺してゆき、あの男に恐怖心を植え付ける。その後、(すみれ)や俺、最終的にはあの父親本人を食らい尽くす。大方こんな感じの復讐劇を練り上げようとしたのだろう。


 何故母親の悪霊が神月市に現れたか。俺の推理の整合性は。そもそも悪霊なんて実在するものだったのか。母親ではなく、模しただけの別の存在ではないのか。そういった当然の疑問を解消するだけの時間と余裕は、俺にはどこにもない。


 母親を象ったそれは、奇声とも悲鳴とも言い難い耳の奥を切り裂くような大声を上げて、俺の身体を更に強く縛り上げた。骨がきしむような音が頭の中で何度も響き渡る。魂を食らわれている感覚というわけか。徐々に、視界に赤のような青のようなもやがかかりはじめた。


 ――俺は死ぬのか。


 何が父親をこき下ろすだ。何が事件を俺の手で解決するだ。そもそも不可能だったんだ。父親も俺も、世界のどこかにいる名の上に名がつくような探偵でさえも、犯人の正体を推察するなんて不可能なのだから。これがミステリーを名乗る小説の一節だったものなら、ミステリーをなめるなと重厚なジャンルファンが書籍を燃やしていたところだっただろう。


 しかし残念、これは現実だ。(すみれ)が死に、俺の生命の灯火も消えつつある自覚がある。母親と父親にもっとも近しい人物を殺すことになるのだ。次はいよいよお待ちかね、メインディッシュの父親本人殺害をもって、連続殺人事件に幕を下ろすわけになるのだろう。


 特に情も沸かない父親だ、アイツが死ぬことを止めようとは考えない。ただ、消えゆく意識の中で思う。俺にもっと力があれば。そうだ、ファンタジー世界のような、逆境を跳ね除ける主人公のような特殊な才能が備わっていたならば。







 ――(すみれ)を死なせずに済んだかも知れないのに。







「お前はここで死んではならない」


 明らかに死霊のものではない、凛とした声が遠くから聞こえてきたような気がした。

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