第6話
――気がついたら暦は金曜日を差していた。
毎日友人と戯れるというような本末転倒の事態は発生せず、なんとか連続殺人事件の捜査を行うことが出来た。具体的に何をしたかというと、被害者の家族に会ってみたのだ。被害者の名前は全て公になっている。そうなると今の時代は恐ろしくも便利だ。法に触れる行為ではあるものの、ネットから住所を探ることも不可能ではなかった。実際に会ったときの言い訳は、父親の警部という役職が役立った。
これが何を意味するかはわからないが、調査による収穫はある。被害者は全て母親の知り合いまたは友人だというのだ。父親と直接関わっていた人物もいるのだという。俺が自己紹介をしたとき、母親の名前を出されたことで判明した事実だ。
都市化が進んでいるとはいえ、村だったときの風習が完全になくなってしまったわけではない。母親は多くの人々と交流し、愛されていたというわけだ。優しかった母親のことを思い出し、俺の知っていたとおりの人物だったのだと少し誇らしくもなった。
しかし、これは一体どういうことだ。接点が何もなかったはずの被害者七人には、明確な共通点が存在したことになる。俺が調べてわかる程度のことだ、当然父親や警察にはとっくに調べがついていても不思議ではない。事件に直接関わっていないから無視されているとかなのか。ふざけている。
可能性は二つ。一つ目、父親に対する復讐。かつて父親のお世話になった者が家族関係を調べ上げ、近辺を殺し回ることで警告を出している。あり得るかと思ったが、よくよく考えたら無理がある。被害者全員に共通しているのは母親の存在であり父親ではない以上、父親の直接的な友人が殺されていなければ通らない説である。
二つ目、犯人が父親である。突拍子もない話ではないと考えたが、これも難しい。というのも、父親はこの連続殺人事件以外にも別の事件を調査中らしい。立場上、傍には部下もいる。つまり、父親にはアリバイがあると言えるのだ。犯人にはなり得ない。
そして、何よりも――
「被害者に外傷なし、これだけが……」
最大のネックである。最悪なことに犯人の姿は誰も見ていないし、凶器は存在しないしで、警察がさじを投げるのも理解出来る話だ。犯人の候補さえ浮かび上がれば、俺は嘘を見抜く形で特定することも不可能ではないのに。ある意味最強の嘘発見器なのだな、俺は。
それとは別に、神月学園にはちょっとした事件が起きていた。
何でも無断欠席者が全学年全クラスで一人以上いるのだというのだ。前代未聞の状態で、学園側では何らかの事件に巻き込まれたのではないかと考えているらしい。うちのクラスでも睦月さんという子と、レイチェルという留学生を俺はまだ一度も見ていない。
現実味の薄い連続殺人事件よりも、明日は我が身と実感出来る無断欠席事件の方がクラスの関心を引いていたようだが、俺はそんなものはどうだって良かった。俺と菫の明日のために、父親をこき下ろす。その目的のためには、身の回りの些細な事件に目を配る余裕なんぞあるわけもなかった。
――土曜日以降、件の殺人は起きていない。
正義感なんて犬にでも食わせればいいと思うが、それでもこれ以上犠牲者が出てしまうのはあまり気持ちの良いことではない。自分のためにも世間のためにも、出来る限り早く解決しなければ。警察が出来ないのなら、俺が。
「なあ、翔。何飯も食わずにぼーっとしてるんだよ」
視界に入ってきたポニーテール男の言葉で時計を見上げると、短い針の方は『1』と『2』の間を差していた。長い針が『6』を差すまでには猶予はほとんどなかった。
「授業中もなんつーの? 上の空だったし。なんか悩み事か? この優也さんに相談しなさい。菫ちゃんのお兄さんの力になりたいのです」
「その気持ち悪い敬語はやめてくれ。あとな」
菫が優也のことをなんて言っていたかを口にして現実を見させてやろうとも思ったが、大人げなく感じたのでやめてやった。夢は見続けたままのほうが幸せだろう。
「……あとな、なんだよ」
「いやすまん。今言いかけたことは忘れてくれ」
「なんだよ気になるな」
「それはそうと優也、何か用事か?」
「ああ――」
優也が一瞬目線を逸らしたのを、俺は見逃さなかった。恐らく言うべきか言わないべきか悩んでいるときの姿勢だ。悩みがあるのは優也の方じゃないのか、と心の中で笑ってみせる。
「変なこと、聞くけどよ」
「……ああ」
「お前、生きてて楽しいって思ってるか?」
「……は?」
常におどけているように見える優也の台詞にするには違和感がある内容だった。ある種の哲学的なことを考えたことは俺にも何度かあるし、母親が死んだ直後は常にそんな思考を巡らせて時間を浪費したものだ。両親も健在で身体のどこかに異常があるわけでもない毎日楽しそうな優也が言うようなものとは思えない。そういう類の思いが不意に口に出てしまった。
「まあ……変だって思うよな。忘れてくれ」
「いや、いいけど。何故俺に言うんだ」
会ってからまだ一週間も経っていない俺に、心の内を漏らすのは変だと思う。
「……笑わないか?」
「いいから言えよ」
「そうだな……」
それからしばらくは周りの喧騒だけが聞こえてきた。その間相談主は頬に手を当てて視線を斜め上に向けていた。意を決したのだろう、生唾を飲む音が聞こえてきたときには、時計の長針が『6』を差した合図の音が校内に響き渡っていた。
「神無月のこと、なんだか他人って気がしないんだよな」
優也の意味深な言葉に追求をするのは、けたたましく鳴り響くベルの音が許さなかった。
――生きていて楽しいと思っているか。
そうだな、どうなんだろう。母親が死んだ後は物凄い勢いで考えたものだが、結局明確な答えを出せずに自分の中ではぐらかしたままの問いである。このような形で再度考える羽目になるとは、予想など出来るはずもなかった。
俺には今、目的がある。冷徹且つ冷酷な父親を逃がさない。家族である俺達から。それは父親にないがしろにされた俺達の環境が生み出した、必然の生きる理由である。そこには他人から言わせれば自分勝手以外の何物でもない信念しかない。
では、これが生きていて楽しいと思えるものであるか。それは間違いなく否だ。むしろムキになって父親に固執しているお陰で、吐き気すら覚えるほどに『楽しい』とは程遠い話であることは間違いない。
ならば、生きていてつまらないか。それに対しても俺は首を横に振れる。新たな学園生活は主にクラスメイトのお陰でつまらないものではないし、何より俺の黒色の人生を彩ってくれているのは菫だと思う。あの子のことをブラコンだなどと笑えないかも知れないな、と苦笑してしまう。
何故、優也の口からそんな言葉が出てきたのだろう。考えるまでもない、彼は今彼自身に与えられた境遇や立場に満足感と充足感を得られていないのだろう。つまり、生きていて楽しくないのだ。
だがすまない。気の毒ではあるが、今の俺はお前の心のケアに付き合っている余裕はないのだ。せめて、解決が難しそうな連続殺人事件への対処が終われば。そして本来の目的である、父親を俺達の前に引きずり出すことが出来れば。
――それまでは、俺は俺のことで手一杯だ。
夕陽が大地を照らす放課後。俺は捜査が行き詰っていることを自覚し、菫と一緒に過ごす予定の土日も利用して今後の案を練らなければいけないと決意した。
俺の決意を天はなんと思っているのか、いつもの生暖かい風ではなく、身を裂かれるような冷たい突風が身を弄んだ。ようやく冬が近づいているのだろうな、帰路の中で俺はそんなことを考えていた。