第5話
長いようで短かった学校での時間は終わりを告げた。母親が死んだ日以来の学校生活は、楽しく感じたと同時にとても疲れた。しかし、この疲れは決して不快なものではなかった。個性豊か且つ非常に頼れるクラスメイト達のお陰かもしれない。まだ断言するには早いかもしれないが。
菫は俺が新しい学校生活に馴染めるかどうか不安だと昨日言っていた。どこまで母親なんだ、とそのときは笑い飛ばしたが、実のところ俺も同じ心配を抱えていた。それが杞憂に終わったことは俺自身安心したし、菫もほっと胸を撫で下ろすことだろう。
しかし、新しい学校生活に満足して一日を終わることは出来ない。俺にはまだやるべきことが残っている。例の迷宮入り確実な連続殺人事件の謎を解明しなければいけない。それがどれだけかかるのかはさっぱり見当もつかないが、俺と菫の今後のためにも動く必要があるのだ。
菫の剣道部が終わるのは夜の七時だと聞いている。帰宅する時間を考慮に入れて、夜六時程度まで、つまり二時間半から三時間ほどが活動限界というわけだ。短いな。
手始めにどうするか。無計画なまま動いても無駄に時間を浪費し、疲れを更に溜める結果になるだけだし。
――そんな校門前での俺の思案を強制的に終了させたのは、今日出来たばかりの旧暦姓を持つ友人三人。
「よっ、どうした神無月」
「校門前で立ち往生なんぞしおって。一丁前に彼女と待ち合わせかいな?」
「モテない寛貴とは大違いね」
ああ、やっぱりそんな気はしていたけれど、寛貴の感情は一方的なものだったんだな。瑞季の言葉にショックを受けている姿を見てぼんやりと考えた。
「で、実のところ何をしてたんだ?」
「ああ、実は――」
待て。と、俺の第六感が次の言葉を紡ごうとするのを制止させる。
この三人はいい奴らだ。接した時間は限りなく短いが、そこは疑う余地はない。しかし、自分のしようとしていることを話すような間柄ではないだろう。そもそも、人々の安全のために事件を解決したいというような正義感で事件の真相を探ろうとしているわけではない。あくまでも父親に対する反抗心からであり、とどのつまるところ個人的な問題だ。
「いや、すまん……なんでもない」
「何だよキナ臭いな」
「それを言うなら『水臭い』でしょ」
瑞季の指摘に、優也はヒヒヒと顔からは似つかわしくないなんとも微妙な笑い声を上げて誤魔化した。それに釣られるように寛貴も笑っている。俺はそれどころではなかった。残された僅かな時間を有意義に使わなければいけないのだ。
「そうだ、翔ちゃん。一緒に喫茶店に行かない?」
そんな俺を嘲笑うかのように、瑞季は魅力的且つ悪魔的な提案をしてきた。後ろで微笑んでいるポニーテール男と赤髪ピアスを見るに、はなからその予定だったのが窺える。
――断るべきだ。探偵ごっこを始めたい俺はこの状況を是としなかった。連続殺人事件は今年の七月から始まっているが、その周期は不定期である。つい最近の事件は、その前の事件より三日後に発生したものなのだ。友人付き合いを楽しむ余裕は今はない。
――捜査ならいつでも出来るから。新しい友人に浮き足立っている俺はこの状況を否としなかった。ここで断ってしまうことで、関係に亀裂が入ることを否定出来る材料はない。結果、菫の泣き顔を目の当たりにする可能性も生まれる。
結論から言うと、二人の俺のうちどちらかを選ぶか、などという選択肢は最初から存在しないも同然だった。「ほら、迷ってないで行くよ」という学級委員長のありがたい言葉を受け、腕を引っ張られていたのだから。
どう消費するか悩んだ一日二時間半程度の猶予は、『喫茶・ジョニー』なる落ち着いた雰囲気の喫茶店で駄弁るという、一介の学生にとってはとても有意義なものに使われてしまったのだった。
「あはは、そうなる気はしていたよ」
この顛末を菫はほがらかな笑顔で感想を簡単にまとめた。菫は俺が探偵ごっこに興じるのは反対なのだから、嬉しく思うのも当然だろうけども、早いところ父親の鼻っ柱をへし折りたい俺にとってはあまり芳しい状況だとは言い難い。
「なあ兄貴」
朗らかな笑顔をフェードアウトさせ、それでも口角は上げながら菫は言う。
「親父にぎゃふんと言わせたいのは……私を幸せにしたいからか?」
「……それも大きい。けれど、結局は自己満足なんじゃないかな」
「自己満足」
思わぬ返答だったのだろう、口元に右手の人差し指を当てている。
「俺がこの事件に目を向けた理由は、説明した通りだ。もちろんそんなにうまく行くとは思えないけどな。それでも、父さんに家庭を振り返ってもらって、母さんに墓参りをしてもらえるきっかけを作れるなら」
「……兄貴」
そんなの無理だ、と言わんばかりに菫は首を左右に振った。無理だ、俺もそう思わなくもない。しかし、現状を変えるのはいつだって果敢な行動だったと歴史も証明している。動かなければ、きっと始まらないのだ。
「私は、ずっと反対だからな。兄貴が私のことを一人にしないようにしてくれたとしても……だ。思ったんだよ、やっぱりこの事件を追ったせいで死ぬこともあるんじゃないかって。そうなったら私、もう生きていけないよ」
菫の俺に対する依存度は深刻なものだ。これをなんとかするためにも、やはり父親を俺達と無理矢理にでも向き合わせるしかない。何度も考えたが、一番の早道は探偵ごっこ以外にないのだ。
ダメだ、こんな話を新学校生活一日目からしていては。俺もいい気分はしないし、何よりも菫もどんどん辛くなっていくだろう。他に気分を逸らすための話題はないだろうか。
「――あ」
「どうした、兄貴」
「そういえば水無月優也とはどんな関係なんだ」
そのうち聞いてくるような気がしたよ、と菫はマリアナ海溝より深いのではないかと思うばかりのため息をついた。その様子を見るだけでどのような言葉が返ってくるか想像に難くなかったが、
「悪い人じゃないのはわかるんだけどしつこいんだよな。女心がまるでわかってないってやつ? はっきり言って無視したいよね。鋼先生の息子さんじゃなければカンタンだったんだけど」
笑顔から放たれた菫の言葉は想像以上に辛辣なものだったと言わざるを得まい。