第4話
「神無月翔と申します。今日からよろしくお願いします」
神月学園一年四組に編入することになった俺は、この挨拶の前に担任である加藤英美子先生と少しの間会話を交わしていたのだが、一つ驚かれたことがある。それが俺の『苗字』だ。
神無月、という苗字そのものは対して珍しいものでもないだろう。いや、レア度の高さで言えば決して低くはないだろうが、日本に一軒しかないほどの珍しさでもない。単に旧暦で十月を意味するだけだからだ。それでも驚かれたのは、これで『コンプリート』だから、らしい。
俺を含めて、旧暦の苗字を持つ者は生徒で十一人、養護教諭に皐月先生という人がいて、以上十二人。俺はその十二人目らしい。それでコンプリート。童心に帰ったように笑う加藤先生の可愛らしい笑顔に、俺は苦笑いで返すしかなかった。
『お前で十二人目。最後の一人だ』
神月市に来る前に出会った美しき水色のことが、どうしても頭にちらつくのである。偶然にしてはあまりにも出来すぎている。こうなると、彼女が口にしていた英雄なる謎の言葉も、決して電波が発した怪しい単語だけでは終わらないかもしれない。
処世術で身に着けたものの一つ、自分の無駄な記憶力の高さをこれほどまでに恨むことになるとは思わなかった。いや、アレは記憶力が低い人だったとしてもきっと覚えているだろうインパクトの強い出来事だったから仕方ないか。
一年四組には、睦月、水無月、如月、師走の四人がいるらしい。俺で五人目というわけだ。駆逐艦の編成か何かか。それはともかくとして、予想するまでもなく、つるむことになりそうだ。苗字繋がりで。
案の定、俺の挨拶にその苗字のどれかに当てはまるのであろう、ブレザーのボタンを留めていない長髪をポニーテールにしている男が反応した。
「神無月!?」
「翔ちゃん!?」
その男に続くように、同じくポニーテールにした、眼鏡をかけた可愛らしい女の子が素っ頓狂な声を上げた。苗字に反応するのは予想通りとして、今、下の名前に反応したように見えたのだが、それは一体どういうことだ。
俺の疑問を代弁してくれるかのように「知り合いなん?」と関西弁らしい口調で髪を赤く染め上げて耳にピアスをした男が二人に訊いている。違和感なく馴染んでいるように見えるのだがその恰好、許されているのか。
「だって、神無月なんだろ? 菫ちゃんの兄貴の!」
おっと、これは予想外だ。菫と知り合いだったか。
「菫ちゃんからいろいろ聞いてるんだ。つーわけで、今後とも仲良くしようぜ、お兄さん!」
なんとなく言葉の裏に何かを感じるのだが、今聞くことではないだろうし、後で聞いてもドツボにはまるだけのような気がするから無視しておこう。俺の第六感からの言葉に、俺は従うことにしてみた。
「……で、瑞季は? 俺と違って直接知り合ってました、っていう感じの呼び方な気がするんだが」
「え、ええ……、後で話すわ」
瑞季。どこかで記憶に引っかかる名前だが、思い出すことが出来ない。処世術で手に入れた記憶力とやらも、大したことないな。
このざわついた空気を正すように、加藤先生はわざとらしく咳払いをした。
「神無月君は家庭の事情で神月市に引っ越してきました。今日からこのクラスの一員となります。みんな仲良くしてあげてね」
歓迎の拍手が教室を包み込む。そう信じ込むのは早計なのかも知れないが、少なくとも信頼を損なうようなことをしなければ孤立することはないだろう。クラスの温かさをある程度感じ取ることは出来た。
ホームルームが終われば予想通り質問責めタイムが待ち受けていた。俺の誕生日や好きな食べ物といったものから、好きな女の子のタイプ、携帯のメールアドレス、果てには編入試験にはどんな問題が出たかなど、あらゆることを根掘り葉掘り聞かれてしまったが、それでも何故か家庭に関することは一切聞かれなかった。加藤先生の『家庭の事情で』という一節から何かを汲み取ってくれたのだろうか。
俺の名前に強い反応を見せていた二人と落ち着いて会話が出来たのは、昼休みになってからだった。俺が弁当に手をつけようとしたときに、ポニーテールの男女と赤髪ピアス男が俺に近づいてきて、おもむろに自己紹介をし始めたのである。
ポニーテールの男は水無月優也という名で、剣道で名声を上げている水無月家の後継ぎだと自信満々に言っていたが、残念ながら剣道に興味がない俺はそんな家のことは知らない。ただ、彼の父親は中学校で教師をしているらしく、菫との接点に関しては納得できるものであった。好きなものはかわいい女の子とゲーセン。
ポニーテールの女の前に赤髪ピアスが「わしの名前は師走寛貴や」とにんまりとした笑みを浮かべた。野球部らしい。その風体でか。あと関西弁は似非らしい。関西人に謝った方がいい。
「……翔ちゃん、私のこと覚えてないの?」
ポニーテールの女は自己紹介をする前に少し悲しげな表情を浮かべた。しかし、残念ながらこの半日間記憶の底まで探ったが、瑞季と名乗る女の子の存在はどこにもなかった。俺が忘れているだけの可能性は高いはずなのだが、なんとなく妙な違和感を感じる。
「そっか、じゃあ仕方ないね……。私は如月瑞季よ。学級委員長やってるの。よろしくね、翔ちゃん」
彼女が俺のことを知っていて、俺が彼女を忘れているから悲しんでいる、ことに関してウソではなさそうだ。俺の例の能力は初対面の相手にも通用するものだが、それをフル稼働させても感じ取れるものはない。なんだか申し訳ない。
そして、俺と誰かを間違えているということもないらしい。瑞季には彼女の記憶の中の人物が、俺であると強く確信できる何かがあるのだという。しかし俺が覚えていない以上、それが何なのかを証明するのも難しいのだそうだ。せめて物的な証拠があれば、はっきり思い出せるのかも知れないのだが。
「旧暦性は、あと一人おるんやけどな」
「睦月ちゃんって言うんだけどな。そういや、最近レイチェルちゃんと一緒に休んでるよな」
「百合ってヤツやな」
「あの子はそんな子じゃないでしょ」
俺を除いた四人目はどこにいるのだろう、と思っていたがなるほど、欠席していたのか。どうやら女の子らしいが、彼女とは別に出た明らかに外国人らしい名前の人物は何なのだろう。
「ああ、レイチェルちゃんってのは――」
優也が説明しようとするのと同時に、昼休み終了を告げるチャイムが響き渡った。
「っと、話はここまでだ。次は体育だから急ごうぜ神無月」
「授業では男女ともにバレーをやってるわ。もちろん別々にだけど」
体育か。スポーツをするのはなんだか久しぶりな気がするが、嫌いではない。今まで鈍った分動くとしよう。クラスメイトに交じり、ジャージの入った袋を持って体育館へ向かおうと立ち上がった瞬間、寛貴に小突かれ、耳打ちをされた。
「お前、瑞季を悲しませるようなことはせんといてや。またやったら今度は、いてこますぞ」
不器用な関西弁もどきの中に、瑞季への並々ならぬ愛情を感じられた。なるほどな、そういう関係なわけか、と妙に納得してしまう俺がいた。