第12話
事前情報どおり、神月の森はごうごうと音を立てながら燃えていた。一帯が炎に包まれているせいか、空まで赤く感じる。正確に言えば燃えているのは中心部付近で、住宅街に接している地帯は被害がない。そのため世間には家事のことが気づかれておらず、消防車は出動していないようだった。
「っつー……煙は立ってねえみたいだが息苦しいな。屍鬼とやらはどこにいるんだ?」
「ね、ねえ優也。今ならまだ間に合うよ? 帰ろう?」
俺が立ち上がった直後から今に至るまで、絵里姉は俺の行動にささやかな反抗を示してくる。両親の激怒が怖い、というよりは、屍鬼と戦うことになってしまったらどうしようという不安が先に立ってしまっているのだろう。
だが、俺は覚悟を決めてここに来ている。親父やお袋はまだ俺が力不足だと言っていたが、俺はそんなことがないはずだと自信を持っていた。確かに刀気は全然操ることが出来ないが、それでも俺より数段実力が上の絵里姉を打ち負かすことが出来ているのだ。屍鬼が雑魚だというのなら、きっと負けるはずがない。
「防御力と動きやすさを考慮してうちの制服を着たけど……こりゃ失敗かな」
「優也ぁ……」
そろそろ絵里姉がうるさくなってきた。俺のわがままを押し通すせめてものお詫びのつもりで、絵里姉が俺に対して何をしようと文句は言わないつもりでいたが、これでは一言傷つくことを言って追い払いたくなってしまう。
彼女のぼやきや懇願するような姿勢を気にしないようにしながら、俺は森を奥へ奥へと進む。火の手は強くなっている感覚がするのだが、屍鬼はおろか両親や一緒に戦っているはずの連中の姿も見当たらない。もう終わってしまったのだろうか。だとしたら骨折り損のくたびれもうけもいいところだ。
どんどん息苦しくなっていく。これ以上進むのは限界か。思えばだいぶ奥まで来てしまったようだ。火のおかげで道はわかりやすいのが不幸中の幸い。諦めて帰るしかないか。テンションが下がるのを感じながら、俺は来た道を引き返そうとした。
「……優也!」
今までのすがりつくような声ではない、緊張感をはらんだ絵里姉の声が俺の意識を研ぎ澄まさせた。途端に、森中を包み込んでいたパチパチというような音が耳に入ってこなくなったような気がした。
――マジかよ。俺は襟から手を入れて背中を届く範囲でぽりぽりと掻く。
青いような紫のような、気味の悪い炎をまとった人型の何かが数匹、若干宙に浮いた状態で立ち尽くしている。その全てから怨嗟の声が小さく漏れている。いつから着いてきていたのだろうか。焦点の合わない目だが、確かに俺達を見ていた。
あれが屍鬼って奴か。俺はすぐさま理解した。ゾンビみたいなものを想像していたのだが、目の前にいるそれはたとえるならゾンビと幽霊の中間みたいな存在だった。
俺は腰のベルトに挟んだ鞘から【神威】を抜く。絵里姉は先端がしなるように曲がっている刀を俺よりも早く抜いていて、先端を屍鬼どもに向けていた。
俺達の戦闘態勢を、連中も把握したのだろう。唸るような声ははっきりとした怒号へと変化し、策も何もなく全員で一気に突っ込んできた。一瞬ドキッとしている間に、絵里姉が動いていた。「斬ッ!」という掛け声と共に、刀気を飛ばして屍鬼全体を攻撃する。
その全てが、目の前にいる連中全員に命中した。消滅させるには至らなかったようだが、相当なダメージを負ったことは間違いないだろう。その証拠に、苦しみ喘ぐように震える手で顔なり腹なりを抑え、口を震わせている。
絵里姉にばかり任せていられない。今度は俺の番だ。臆することもなく飛び掛り、一番近くにいる屍鬼目掛けて斜めに刀を振り下ろす!
手ごたえはあった。確かに切った感覚が手に残った。血のようなものは噴き出していなかったけれど、屍鬼の生態って奴なのかなと思った。
しかし問題なのは、あまりダメージを負ったように見えなかったということだ。絵里姉が飛ばした刀気は効果的だったように見えたが、俺の攻撃は意に介されていない。不思議に思いながらも俺は刀を振り上げて追撃を加えたが、やはり大きなダメージを与えられているようには感じなかった。
――まさかとは思うが。
「刀気じゃないとダメージが通らない……!?」
俺の不安の答えを、絵里姉が見事に言葉にしてくれた。俺の不思議な感触に理由を見出すのであれば、要するにそういうことになってしまう。そこから導き出されるのは、親父やお袋の言葉を裏付ける厳しい厳しい現実ということになってしまうのだった。
このままでは完全に足手まとい以外の何物でもない。
目の前にいる連中はそこまで多くはない。絵里姉が刀気をまとった剣術で倒すのに不可能な数ではないだろう。頼らなければならない俺の体たらくは今は置いておくとして、問題はその後だ。奴らは森に入ってきた俺達の背後を静かに付け狙ってきていた。突然襲ってこなかったということはそういうことだ。
ここを無事に切り抜けたとしても、森を抜ける前までに第二陣、第三陣とやってきて、なすすべもなく力尽きてしまう方が早い可能性が高い。絵里姉は無尽蔵に近いスタミナの持ち主だが、それでも人間だ。一部のゲームのキャラのように無限ではない。まして、これが屍鬼と初めての戦闘なのだ。もう少し頭が回る奴と戦う羽目になれば、考えるのも恐ろしい。
「ちっ……!!」
飛び掛ってくる屍鬼を、防御して受け止めて払う。俺が刀気を使えていればとっくに片付いたかもしれないのに、そうじゃないせいでこんな防戦を強いられている。
だが悪い話ばかりというわけでもない。俺が困惑しながら戦っている間に絵里姉は二、三匹倒したようだ。あと半分。ここを凌げれば、後は運任せになってしまうが屍鬼と鉢合わせることなく脱出することが出来るかもしれない。
まったく、情けない話だ。親の話はちゃんと聞いておくものだった。文月は俺を無力だとこき下ろしたが、現実を見せ付けられてはその通りだと納得するしかない。俺はもっと強いはずだった。その気になっていただけだったけれど。
「きゃああっ!!」
絵里姉の悲鳴が聞こえてきた。俺を執拗に狙ってくる屍鬼を腕を刀で受け止めながら声の方向へ目を向ける。防御に失敗してしまったのだろう、着物に青白い爪の跡が、痛々しくこびりついていた。攻撃を受け続けているせいで抑えることも出来ず、弱ったまま絵里姉は戦っている。
「おおおおおッ!!」
力任せに、屍鬼の腕を刀で押し飛ばした。少しだけ仰け反った気がした。奴らは俺の決死の一撃を、ハエ叩きでぺしぺし叩かれているくらいにしか思っていないのだろうか。現状を見るにその程度の威力の攻撃しか出来ていないのだから、否定しようがない。胸が苦しくなってきた。
目の前にいる奴は後でいい。絵里姉の加勢に向かわなければ。あのままでは、死んでしまう――
「絵里姉ーーーッ!!」
俺の心からの叫びに屍鬼どもも驚いたのか、動きが一瞬止まったようだった。二匹いる奴らに、【神威】による猛攻を浴びせる。ダメージは通っていないだろうが、奴らの意識がこちらに向くことが肝要だった。そして俺の狙い通り、俺の軽い攻撃をわずらわしく思ったようで、攻撃の対象を絵里姉から俺に向けてきているのを感じた。
「だ、ダメ!! それじゃ優也が――」
こうなったのは俺の責任だ。馬鹿馬鹿しい、身勝手で、わがままな俺が、作らなくても良かった窮地を作り上げてしまった。そのことに何も思わないわけじゃない。責任は負うべきだ、俺はそう考えた。
でも、だ。大人しく死んでやるわけにもいかない。ここで抵抗せずにやられてしまうようなことがあれば、水無月流剣術の名折れだし、隼家の恥さらしでもある。虚勢なのは間違いないが、俺は刀を両手に構えなおして三方向にいる屍鬼どもに意識を集中させた。
「……来いよッ!!」




