第11話
会得も難しい話ではない。親父はそんなことを言ったか? 冗談を言わないでくれ、どうやったらあんなオーラみたいなものが簡単に出てくるんだ。
金曜日と土曜日の境目の時間、俺は刀気を会得するどころか微塵もそれらしいものが出てこないことに落胆しながら、休憩の時間を十五分ほど頂いた。お袋も俺の修行に――半ば渋々のように見えたが――参加してくれ、俺を含めて四人体制で行っている。絵里姉もお袋も、もちろん親父も色々アドバイスをしてくれているがにっちもさっちもいかない状況になってしまっていた。
技に心を乗せるだとか、刀に祈りを込めるだとか、もらったアドバイスはそんな感じでほぼ全て抽象的なものだったのが本当にどうしようもない。曖昧なことを言われたところで、俺は技に心を乗せているつもりだし、刀に祈りを込めているつもりでもあった。しかし、親父やお袋、果てには絵里姉もだったのだが、刀気を軽々と放出しているのに対し、俺は何も出てこない。
もっと具体的に何をすればいいのか、と三人に聞いてみた。しかし、具体的に言われても、というだけで、はっきりとした改善案は出て来ない。闇雲に【神威】を振り回してみたがもちろん変化なし。親父やお袋は、【神威】や【金剛】は刀気を作り出すのに適した刀だと教えてくれたが、そんなこと言われれば言われるほど自分が出来ないことに歯痒さが増していった。
この十五分の間に、両親はトイレに向かっている。トイレは道場にはなく、道場と直接繋がっている家に一度帰らなければならない。今この道場にいるのは俺と絵里姉だけだった。落ち込んでいる俺のことを、絵里姉ははげまそうとしてくれていた。
「ま、まあ……こういうのは向き不向きがあるんだよ。きっと」
「不向きってなあ……これが出来ないと屍鬼とまともに戦えないって言われてるんだぞ」
「そ、そうだけど……」
「絵里姉は何で出来るんだよ。屍鬼と戦ったことはないんだろ?」
「ないけどね。私が刀気を使えるのは、なんて言うんだろう。センス、かな?」
「……俺にはセンスがないっつーことですか」
「あ、いや、そうじゃなくて……」
これでメンタルカウンセリングをしようとしていたのだから、思わず苦笑いが出てしまう。とりあえず、これ以上慰めようとしてくれても傷を抉られるようなものだからやめてくれとだけ言っておいた。絵里姉は何だか悲しそうな顔をしていた。
間もなくして、親父もお袋も道場に戻ってきた。時間は俺が休憩を始めてから二十分、いや、二十五分は超えている。どちらも遅刻にうるさいはずなのだが、珍しいなと思った。そう思いながら二人の顔を見てみる。
なんだか様子がおかしかった。血相を変えている、という表現が一番ベストになるかも知れない。トイレに向かったときに、一体何があったんだろうか。
「黒くて光っててカサカサする飛ぶ虫でも沸いたか?」
俺の軽口には絵里姉が大袈裟すぎるくらい反応していた。両親はそれどころではない、と言わんばかりに表情を一切変えようとはしなかった。
「屍鬼が現れた」
「……は?」
神月の森。この地域の北部に広がっている森――大部分は満月コーポレーションの進出により開拓されたが――今、火事になっているのだという。火を放ったのは屍鬼であると、森にある神月神社に住んでいるというとある人物が教えてくれたのだそうだ。
簡単に言うと、協力要請らしい。数が多すぎて対処しきれず、屍鬼の存在が公になってしまったら大混乱に陥るし、被害者も多く出る可能性があるので戦ってくれと電話が入ったのだとか。親父とお袋を含めた水無月家の戦える人物、それ以外には俺が知っている範囲だと文月家の面々にも声がかかっている。
「ずいぶんと屍鬼のことは知れ渡ってるんだな。色んなところに」
「屍鬼と戦う宿命を課せられた家だけだ。知れ渡ってるってほどでもない」
「……まあ何でもいいけどよ」俺は立ち上がり、脇に置いていた【神威】を手に取った。「もちろん俺も行くぜ」
俺がこう言い出すのを、親父もお袋も予想していたのだろう。やっぱりなといわんばかりの目で見詰め合ってから、「ダメだ」と強い口調で制した。お袋の声だった。
だってまだ刀気が使えないもの、と絵里姉が後押しする。それを言われてしまえばどうしようもないが、こんな好機を逃してしまうわけにはいかない。俺はどうすれば両親が納得するのか、あれこれと説得を試した。
しかし、どれだけ試しても刀気が使えない以上は、と言われてしまえばケチをつけようがない。まだ実感はないだろうが遊びではないのだ、と怒りを込めた口調で親父に諭されてしまった。でも、俺はそんなことで納得はいかなかった。
そろそろ行かなければ加勢が間に合わなくなる、とお袋が言う。万策尽きて無理矢理にでもついていく、というと親父は【金剛】の刀身を俺の首元にあてがってきた。
「……お前には才能がある。俺はそう今も思っているし、紫音も同じ考えだ。だが、お前には足りないものがあった。時間だ」
「……時間……」
「相手は有象無象の屍鬼どもだ。雑魚の集まりなのは確かだろうが、数は多い。一匹が迷い込んだだけなら良かったが、今のお前には手に負えん」
「そんなのやってみなけりゃわからんだろ」
「優也」お袋が、俺を睨みつけていた。「私達はお前を失うわけにはいかないのだ」
――あなたのいう非日常に身を投じることで、悲しむ者も出てきます。
文月がそんなことを言っていたのが、不意に記憶に蘇ってきた。それでも身勝手を押し通すつもりか、とあの女は冷たい口調で俺に問いかけてきた。
自分がどれだけ無力なのか。
刀気さえ使えれば、二人は納得したに違いない。それとも、二人は俺が刀気を使えなくてよかったとでも思っているのだろうか。親としての愛情とやらを理由にして。俺を、非日常に巻き込みたくないから。
お袋はわかりやすく主張していたが、実のところ親父だってお袋と同じ気持ちなのは理解していた。俺の意志を尊重してくれていたが、この期に及んでまで俺の欲求を優先することは出来ないのだろう。俺にはそれもわかっているつもりだった。
「……でも」
「悪いが、今のお前は足手まといだ」
冷たい親父の言葉が、俺に突き刺さる。現実をはっきりと鼻先に突きつけられてしまっては、もう悪あがきすら出来ない。身体から力が抜けていく。手にした【神威】は落ち、俺の膝も床についてしまった。
「絵里那」
「……姉さん」
「雑魚ごときを散らすのに時間をかけるつもりはない。すぐに戻ってくるが、その間は優也の稽古を頼む」
「わかった」
そのやりとりの後に、二人は振り向きもせず道場を出て行ってしまった。俺はそれを見送る気力も沸かず、力なく笑うことしか出来なかった。
「優也、またそのうち機会はあるよ。屍鬼は定期的に沸いてくるから、次の戦いまでには刀気をマスターしてるって信じよう?」
定期的に沸いてくる。確かにそんな話だったが、それまでに刀気を自分のものにしているという保障はない。もしかしたら今と全く同じことを、今後も繰り返してしまうかも知れない。考えれば考えるほどマイナス思考になってしまう。
それに、だ。時間をかけるつもりはないとお袋は言っていたが、相手は数が多く、命を食い物にするバケモノである。いくら強くとも両親とも人間だ。俺が死ぬ可能性はあの二人より遥かに高いのは認めざるを得ないだろうが、それでもあの二人が生きて帰ってくるとは限らない。
いや、これは言い訳だ。どうすれば『今』、俺も屍鬼討伐に同席することが出来るのか。諦めが悪いのだ、俺は。前の前にバナナをぶら下げられて、掴ませてもらえない猿ような心境なんだ。
「……絵里姉」
俺は【神威】を手に取り、再度立ち上がった。絵里姉は何だかあせったような表情を浮かべている。俺が何をしようと考えているかに気づいたのだろう。だけど絵里姉の押しの弱さでは俺を完全には止められない。後でこっぴどく怒られるだろうが、今の俺には関係のない話だ。
「ごめんな」
――今から俺も森へ向かうことにした。




