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第5話

「ふーん、なるほどね」


 俺の心の内を全て聞いた絵里(えり)姉の感想は、そんな淡白なものだった。真面目に聞いていたんだろうか。長い緑の一本結びを人差し指でくるくると弄っている。たまらず俺は時計を見上げた。まだ六時半だった。父親か母親かどちらかが帰ってくれば、この地獄からは解放されるかも知れないのにな。時間が経つのが遅い。今だけは俺の部屋が拷問部屋みたいに感じられた。


 とりあえず絵里(えり)姉は何かを考えてはいてくれているようだった。聞く人が聞けば中二病なる使い勝手のいい言葉で済まされてしまう俺の話に、別に変な顔もしなかったしかわいそうなものを見るような目つきに変わったということもなかった。本気で俺の身を案じてくれているらしのだが、遊んでいるような様子からはあまり真剣さを感じられない。


 イライラが最高潮に達して今にも噴火してしまいそうな俺を、絵里(えり)姉は「いいのかなあ。姉さんに怒られるかも知れないけど」と言って制した。まさかとは思うが、非日常に巻き込まれたいという身勝手な願いを叶えるための手段があるとでも言うのだろうか。期待を込めた目で、俺は緑の従姉(いとこ)を見つめた。


「なんで(こう)さんと姉さんが、剣鬼とか剣姫だとか言われていたかは知らないよね?」


 親父とお袋の話かよ。身構えていたのにフェイントを食らわされたみたいに、俺はちょっと落胆を覚えた。でもまだ失望するには早いな、とも思えたので絵里(えり)姉の余興に付き合ってみることにする。


「知ってるよ。剣道を極めた第一人者だからだろ」

「それは表向きの話。実際二人はスポーツとしての剣道も強いからね。それで大体納得する人が多かったんだ。でも、二人がその称号を与えられた理由(わけ)は違うところにある」

「……違うところに? つーか、スポーツとして? どういう意味だよ」

「信じられないかもしれないけどさ」絵里(えり)姉はそう前置きした。「昔二人は真剣で戦っていたんだよ」


 真剣だと。ありえない、とすぐさま俺は否定した。二人とも、目の前にいる従姉(いとこ)ですらもみんな私服だと言い張ってほぼ毎日和服を着てはいるが、そこまで時代錯誤であるとは信じられないし、信じたくはなかった。そもそも法がそれを許してくれないはずだ、戦国時代とかならともかくな、と俺は反論した。


 しかし、絵里(えり)姉はいつになく真面目だった。若干青味のかかった両目は一切の濁りもなく、俺を映し出している。そこに嘘は感じられず、俺はごくりと唾を飲んで話の続きを聞くことにしてみた。


「もちろん人を殺し回ったとかそういう話でもないよ。もしそうだったのなら、今頃二人とも学校の先生なんかやらずに刑務所暮らしだっただろうね」

「……人じゃないってことか? 野生の熊でも追い回していたのか」

「えっとね……」


 少しの間、絵里(えり)姉の目線が泳いだ。俺をどうやって言いくるめようか考えていたというよりは、言っていいものなのかどうか悩んでいるという様子だった。俺の考え通り、俺の両肩にぱしっと手を当てて「姉さんや(こう)さんには私が言ったって言わないでね」と念を押された。なんとなく威圧感を覚えて、俺は「お、おう」と返事するのがやっとだった。


「動物じゃないの。そうだね……バケモノ、といえばいいのかな」


 屍鬼(しき)って言うんだけど。バケモノの固有名詞らしい二文字が、(しかばね)の下に(おに)と書いてそう読むということを、絵里(えり)姉は丁寧に教えてくれた。

 

 ――バケモノ、屍鬼(しき)、だと。


 真剣な眼差しからは、それが妄想による産物であるとはとても思えなかった。確かに屍鬼(しき)なるバケモノが存在していて、親父とお袋は真剣でそれを駆除していた。まさにファンタジーな話が現実であることを、絵里(えり)姉の物腰からは感じられた。


 いや、その話の真偽はこの際どうだって良かったのかもしれない。俺はそれは真実であると信じたかった、だから鵜呑(うの)みにした。夢で得たような高揚感に似た何かが、再び俺を包み込む。そう、その突拍子もない話を信じた理由には昼間に見た夢も関わっていたのだ。


 水色の髪の巨乳女は言っていた。俺の求めているものはすぐに手に入るのだと。それが屍鬼(しき)っていうバケモノとの死闘のことを差しているのであればツジツマが合う。きっとあの夢は、満たされていない俺に神様、女神が夢枕に立ってお告げをしてくれたのに違いない。神を信じていないはずの俺だったが、そんなことを考えてテンションが最大に達していた。


「要するに神月市に屍鬼(しき)がいるっつーわけか。なるほどな」

「村だった時代の話だけどね」

「……へ?」


 ここから話の雲行きが怪しくなった。話の終着点を予想して、最大値までに達していた俺のテンションが急降下していくような感覚が脳にあった。そして結果としてその予想は悲しいことにほぼ正確だった。


「いつだったか二人が言っていたの。いつ死ぬかわからない非日常に身を預けている間は、平穏な日常を求めてしまうんだって。人間っていうのは無い物ねだりなんだってね。だから屍鬼(しき)との戦いの日々を捨てて、剣をスポーツに変えて、教員試験を受けて結婚して、今の生活を手に入れたんだってさ」

「……何が言いたいんだ絵里(えり)姉は」

「つまり!」すっくと立ちあがって、腰に両手をあてがってみせる。「今の優也(ゆうや)は本当は幸せなの! 剣道だって無理矢理やらされたりしてないでしょ? だから」

「あのなあ!!」


 無神経な従姉(いとこ)の話に心底失望してしまった俺は、無自覚のうちに彼女の首元を掴み上げ、顔を近づけてギリギリと歯ぎしりを立てていた。いや、考えてみればそうなのだ。カウンセリングとやらに来ていたとはいえ、頭がお花畑の絵里(えり)姉が修羅の道を歩ませようなんて考えるはずもないし、話を聞く限りその権限もなさそうだった。


 つまり、俺は勝手に舞い上がっていただけだ。馬鹿みたいじゃねえか。抑えようのない強烈な怒りとストレスの矛先を、本来罪のない絵里(えり)姉に転嫁するのが今の俺には関の山だ。当の本人は目をぎゅっと閉じて苦しそうにもがいている。少し力を緩めてやった。


「やっぱり話をちゃんと聞いてなかったみてーだな! いいか、俺は幸せじゃねえんだよ! だからこうして日々イライラしているし、生きてて面白くねえの! むしろ親父とお袋が何やら楽しそうにしてたっつーのに、俺は仲間外れか? いい話をして説得しようと考えたんだろうけどな、余計に空しくなったぜ!」

「……楽しそうって……そんな、表面だけで考えちゃダメだよ優也(ゆうや)


 心の底から絶望した俺は、しょうがなく絵里(えり)姉を離す。息は出来る程度にしておいたつもりだったが、苦しそうにゴホゴホと()き込んでいた。少しだけずきっと心が痛む音が聞こえてきたが、聞こえなかったふりをする。


 表面だけで考えちゃダメだよ。絵里(えり)姉の言葉が頭の中で何度も繰り返される。真剣でバケモノと戦っていたことに、表面も何もあるのだろうか。それが苦痛か楽しいかの違いなだけじゃないのか。両親はそれがイヤだったが、俺はそいつを楽しむことが出来る。ただそれだけの違いではないのだろうか。


 時計はいつの間にか七時半を差していた。あと最低三十分、それ以上になるのだろうが、この空気で過ごさなければならないのだろうか。それは苦痛だ。眠気もどことやら。こんな場所にいるのは気持ちが悪いので、「ゲーセンに行くわ」とだけ言って、制服のポケットに入っているサイフに手をやり、今履いているジーパンの右のポケットに突っ込んで、ドアの前にかかっている薄紫のパーカーを黒のシャツの上に着て部屋を出ていこうとした。


「なるほどな。お前はそれで悩んでいたのだな」


 俺がドアノブに手をかける直前、突然ドアがこちらに向かってきたので思わず後ずさってしまう。俺が老け込んだような顔をした群青色(ぐんじょういろ)の着物の男が、腕組みをしながら神妙な顔をして部屋に入ってくる。


 ――親父。


 俺は思わず固まった。唯一動いた目で、緑の従姉(いとこ)の方を見る。顔がひどく青ざめているのがわかった。

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