第4話
何だか頭がズキズキするし、期待させておいて落としてきた夢にイライラしたっていうこともあって、ゲーセンで時間を潰す気分になれなかった俺はまっすぐ帰ろうと思った。この時間に帰っても両親共に剣道部のため夜八時過ぎまでいない。神無月と睦月ちゃん、そして菫ちゃんの見舞いに行こうかと一瞬考えたが、やめておいた。
家に帰る際は、繁華街を横切らなくてはいけない。聞きなれた喧騒は、今日に限っては煩わしいものだった。俺の頭痛を刺激してきやがる。吹き飛ばす力みたいなものがあるのなら、一帯にいる奴ら全員をその餌食にしてやりたい、などと犯罪者のような不穏なことを考えながら、当然そんなものはないので実行出来ず、わいわいとしている声を出来る限り耳に入れないようにしながら歩いた。
「ゆーーーーやーーーー!」
多いような少ないような、いや本場の都会の人間からすれば大したことなんてないんだろう人ごみをかき分けて、頭痛を更に強めてしまうような黄色い声が俺を突き刺した。思わず「げ」と冷や汗が垂れた。その声は小さい頃からよく聞いているものだ、と俺の記憶が言っている。恐る恐る、声のした方角へ顔を向けた。
俺の記憶が告げた通りの人物が、晴れやかな笑顔でこちらに向かって走ってくる。同じものを何着も持っているらしい、走るのに適してなさそうな派手な模様のついた和服。腰には二本の模造刀がほぼ同じ位置に、地面をひきずるスレスレのところで留まっている。髪は一本結びでまとめていた。
その髪が、何より彼女を印象づける最大の特徴だ。現に彼女を知らないであろうすれ違う人々は、それを見て驚いた様子を見せている。無理もない。あまりに印象に残りすぎる髪色――緑――だからな。しかも染めているんじゃなくて地毛だというのが驚きだ。小さい頃に何故緑なのか聞いたが、あまり覚えていない。
とにかく、間違いない。その女は俺の関係者だ。
「絵里姉……」
隼絵里那。母親の妹、だったかな、十歳以上離れているとか。俺の従姉に当たる。剣姫と謳われた姉には敵わなかったものの、特に意に介することなくマイペースで剣を愛し続ける剣道家だ。緑色の髪が非常にマッチする童顔と白い肌は、年齢が三十路手前であることを疑わずにはいられないほどだ。
年上が好きではない、ということもあってか。俺はとにかくこの絵里姉が苦手で苦手でしょうがなかった。俺の家からだいぶ離れたところに住んでいるはずなのに、盆と正月を含めて年に二十回近くは顔を合わせている。繁華街でショッピングしに来ているだけ、そのついでに、などといつも言っているが、ウソなんじゃないかと常々思っていた。
人目もはばからず、ひしっと抱き着いてくる絵里姉。傍から見ればどちらが年上なのかわかりやしないだろう。あまり顔も似ていないし、恋人同士に見えたりしているんじゃないだろうか。頭痛の種を増やしてくれるな、と俺はため息をついた。
俺があまり受け入れてくれないのを、絵里姉本人は面白くなく思っているらしい。ほっぺをリスみたいに膨らませて、鳥のように唇を尖らせている。
「なによぅ、可愛い従姉ちゃんと会えたというのにその顔は?」
「いや……」
あまり意味はないが言葉を濁す。苦手だとは言ったが、女好きを自称する者のポリシーとして物事をはっきり言って傷つけたくはない。態度には出てしまうけどな。あまりというか、まったくの無意味だと言ってもいいか。
夕方近い時間にここに来てしまっている以上、家に泊まっていくのは確定しているようなものだ。足早に立ち去っても効果がない。観念した俺は、とりあえずどんな用事で俺の住んでいる地域にやって来たのか聞いてみた。ショッピングという答えを予測していたが、絵里姉の口から出たのは違う内容だった。
「可愛い従弟のメンタルカウンセリングに来てあげたのよ」
腰に手を当てて、ない胸を張る絵里姉曰く『姉から頼まれた』らしい。鬼ババアのくせに変なところで心配性なお袋だ、と自分の母親の余計なお世話に肩をすくめるほかなかった。
実に余計だ。両親共に、俺が絵里姉のことを苦手にしているのを知らないわけでもないだろうに。メンタルカウンセリングだって? 逆に鬱になりそうじゃないか。そんな俺の思いを知ってか知らずか、ふふんと鼻を鳴らして得意そうにしている従姉を見て、吐き気すら覚えてくるほどだった。
今日はメンタルケアが出来るまで寝かさないからね、と死刑宣告に等しいことを告げられた。勘弁して欲しい。ただでさえ寝られていなくて、保健室の世話になったっつーのに。俺が文句を言うと、今後のためにも必要なことだからね、と人差し指をおでこに当てられた。これだけでもう非常に憂鬱な気分だ。
仕方がないのでこうなったら、俺が一体何を求めていて日々荒れ始めているのか、洗いざらい吐いてやろう。本業のカウンセラーですら匙を投げる内容なのは自覚しているし、そんなものを絵里姉がどうこう出来るわけがない。確信できる。
日常が嫌いで非日常が欲しいという俺の欲求を、どうやって叶えられるというのか。保健室で寝ていたときに夢に出てきた、やけに神々(こうごう)しいあの女であれば可能かも知れないが、所詮夢は夢でしかない。とにかくこの女には無理だ、早いところ現実を突きつけてお帰りいただこう。
であればわざわざ家に連れて行かなくてもいい、そう思った俺はエルドラに寄ってハンバーガーとポテトを頬張りつつあしらうことを考えたが、絵里姉に強く止められてしまった。ファーストフードは鬱を促進させるのだそうだ。どこから調べたんだか、余計な知識を取り入れやがって。募る怒りを抑えることもなく、俺はお節介な従姉と共に家に向かうことを余儀なくされてしまった。
 




