第1話
俺は常々生きていて面白くないと思っている。
神月学園に入ってそいつを強く意識し始めて、平凡な毎日を終えるごとにその考えが強まっていた。徐々に積み重なっていく感情だったが、昨日今日になって更に加速した。
まず、近頃周りでは変な事件が起きている。連続殺人事件やら、無断欠席事件やらだ。後者の方はうちの小動物のような担任が、「無断欠席じゃなくて誘拐事件だった」なんてホームルームで言っていたな。その上、今朝は工場地域となっているところで大きな爆発があり、建物の一つがガレキの山と化したのだそうだ。この世の終わりでも近づいているのか、と思えるほどの濃密っぷりだ。
それだけじゃない。昨日神無月の見舞いに寛貴と瑞季の三人で行ったらたまたま真向かいに睦月ちゃんも寝ていた。隣には菫ちゃんも寝ていた。神無月のことをハーレム物の主人公だとからかったが、何やら三人とも事件に巻き込まれたらしいことを察し、内心穏やかではなかった。
どいつもこいつも非日常にまみれてやがる。それが俺にとっては羨ましかった。寛貴はあんなナリで野球部の捕手のレギュラーの座を、まあもともとそのポジションのスタメンだった三年生が行方不明になったという事情もあるんだが、あっさりと勝ち取って今年の夏にはうちの学園が誇る超高校級のエースの女房役だった。何があったのか甲子園には行けなかったみたいだが、寛貴の捕手としての技術の高さはプロ野球球団のスカウト連中を歓喜させたらしい。本人はプロになる気がないみたいだが。
そして、何よりもあの燃えるような赤い髪だ。あれが染めているのなら学園側で放っておかなかっただろうが、どうやら地毛なのだとか。黒く染めてもそのうち赤くなってしまうという事情で、容認されている。珍しい髪色はうちの学園にも何人かいて、その一人だという話なだけだから許可を得るのは簡単だった、と寛貴は以前おかしな関西弁で言っていた。
よくつるんでいるもう一人の瑞季も、秘密主義だとかで何にも言わないが大きな事情を抱えているってのは一目瞭然だ。神無月から見れば面識がないのに、瑞季から見れば大事な旧友だなんてあやしいにもほどがある。それが何なのかは俺にはよくわからないが。
――さて、俺はどうか。
俺は水無月鋼と隼紫音っていう、かつてそれぞれ剣鬼、剣姫と呼ばれたその道の最高峰クラスの人材二人から生まれたサラブレッド、とでも言えばいいのか。俺にとっちゃ、二人には頭の硬い教師兼剣道部顧問っていうイメージしかないから、『剣鬼』だの『剣姫』だのといった称号がどれほどの強さを意味するのかさっぱりわからんけど。
そんな二人の間で育った俺は、当然のように周りから期待され、親族全員から期待された。子供の頃に選択肢など与えられなかったから、嫌でも水無月流剣術が身体に染み付いている。おかげで中学のとき二度ほど全国大会を制覇した。親の七光りによるインチキだと、ネットの掲示板では負け犬とおぼしき連中があることないこと書き込んでやがったのを今でも覚えている。
剣道そのものも、親のことも嫌いじゃねえけど、「剣の道を極めた二人の息子だから剣の術をついで然るべき」という周りの視線が俺はとても嫌で仕方がなかった。だから神月学園では剣道を続けていない。顧問をやってる母親も、中学の頃を見ている父親も俺の選択に思うところはあったみたいだが、強く反対はしなかった。そこは本当にありがたく思った。
おかげで、だ。毎日がつまらない。何かをしたいという目標もない。剣道をやっているときもそこまで面白いものでもなかったが、鬱憤を晴らせるものが一つ減るだけで堪えるとは思いもしなかった。同級生の連中よりは多くもらっている自信がある小遣いをゲーセンで時間と共に潰すくらいしか、今の俺には残されていない。今度もこれで満足しているのかと思うと気分が暗くなった。
剣道を再開するかどうか、一度は考えた。だが別に未練があるわけじゃない。周りの期待を背負って剣を振るのはこりごりだし、やめて正解だったと思っている。
そんな俺に何が足りないのか。非日常、という三文字が答えだと気づいたのはつい最近、具体的には九月の初めくらいだった。なんとかコンツェルンっていう大企業――確か世界三大企業の一つだったか――そこの社長令嬢のレイチェルっていう、金髪蒼眼の美少女が留学のためうちのクラスにやってきた辺りだ。
別にその美少女とラブロマンスが繰り広げられるわけでもない。そもそも、校長と婚約しているという時点で俺に入り込む余地はない。そいつと関わったことで、世界が一転して忙しいけれど楽しげなものに変化したとか、青春小説のテンプレをなぞるような展開は訪れていない。
それなのに、その美少女含め、俺の周りの連中は俺の望んでいるものを手に入れている。そいつらが望んでいるか望んでいないかはどうでもいい。俺は欲しいんだ。今とは違う、たとえば命と命のやり取りみたいな展開を。
だが考えれば考えるほど、日常は『いつもと同じもの』にあふれていった。俺だけがそうだ。そんな錯覚をしてもおかしくないほどに、俺の身の回りは平坦で、すごくつまらないものであった。
「あああああああああああッ!!!」
机を叩き、思いの限り咆哮する。どうしてそんな行動を取ったのか、俺でもわからない。無自覚なストレス解消法なのだろう。確かにその瞬間、俺を包み込んでいた負の気みたいなものが気休め程度に抜けて行った気がした。
しかし、やった状況が悪かった。まず、授業中だ。空気は一瞬にして凍りつき、クラスメイトの視線は全て一点、つまり俺に向いている。これがうちの担任の授業、教科は現代文なのだが、もしそうだったのなら頭を掻いて「悪い」と言えば加藤先生の顔がむくれて終わりだったかも知れない。しかし、日本史の授業というのが最悪だ。
一年の日本史はうちの母親の担当だ。制服だらけの空間ではひときわ異彩を放っている薄紫の着物を羽織った黒髪ロングの教師は、口元にしわを寄せて俺をにらんでいる。それが昼休み前の授業だというのも災いして、案の定、昼飯返上でお小言を食らう羽目になってしまったのだった。




