第9話
まぶたを挟んで白かった世界は、少しずつ黒へと戻ってゆく。まだ私は死んでいないの。大きな疑問符を頭に浮かべて、目を馴染ませるようにゆっくりと目を開いた私に映ったものは、流れるように美しい透き通った水色の長髪だった。
彼女――顔はまだ見ていないが身長は私より低いし、間違いなく男の子ではない――は、私と同じ神月学園の制服を着ていた。ずっと着ていたおかげでほこりにまみれてボロボロになっていた私とは違って、皺ひとつなかった。
そして、何よりも目を引くのは二つの要素。私の心を掴んで離さない異質な青と紫がかった、そう、屍鬼のレプリカのそれのような炎が身体全体を包み込んでいる。何よりも、鎌だ。私より遥かに大きい獲物を、彼女は右手で軽々と持っている。暗闇に混じって見辛いけれど血を思わせる紅の刃の先端は、真向かいにいるカルキ君を差していた。
驚いた顔で凍り付いているだろう私とは対象的に、彼は冷静だった。少なくともそのように見えた。彼の双眸は、私への道を塞いでいる異質な水色の少女を映している。口で笑顔の形が作ったカルキ君から出た言葉は、彼女の正体を問い質すものではなかった。
「ようやく来ましたか、死神」
その口振りからは、彼女のことを知っているという風に受け取れた。彼女が来るのを待っていた、そういう風にも解釈出来た。どういうこと。その言葉には、私だけではなく彼女も困惑した様子を見せている。
「貴様には記憶がないのではないのか?」
「それでも覚えていることはあります。死神のことは特に」
「……何と間違えているか知らないが、私は死神ではない」
この鎌を持っていればそう形容するのも無理はないがな、その女の子はふっと自嘲気味に呟く。このやり取りを見るに、カルキ君が記憶喪失なのは私を騙すための余興の一つではなかったらしい、というのを感じた。それでも、何故この女の子のことは知っているのか、という疑問は生まれるけれど。
今の私の考えることじゃない。私は二人のやり取りを後ろで見守ることにした。
「……無駄かも知れませんが。そこをどいてください」
「睦月遥を殺すためか?」
「……あなたは本来僕達の戦いに干渉は出来ない。そのはずですが?」
「物知りだな。確かにその通りだ。しかし――」
水色の彼女はくるりと振り返った。初めて彼女の顔が見える。美麗な髪色に違和感の無い、とても整った顔立ちだと思った。瑠璃を思わせる二つの眼からは、彼女の感情を読み取ることは不可能だった。
近づいてきた彼女はぽん、と空いている手で私の頭の上を痛くない程度に叩く。少し背伸びをしていた。カルキ君に向き直って、彼女は再度笑みを浮かべる。
「彼女は私の所有物だ。殺させはしない」
所有物。先程も同じようなことを彼女は言っていたっけ。どういう意味なのだろう。私にはそういう趣味はない。別段男好きというわけでも決して無い。普通だ普通。ある意味勘違いしてもおかしくないことを恥ずかしげもなく水色の少女は口にしている。
「では」カルキ君を取り巻く雰囲気が、一瞬にして変わった気がした。「力ずくでも、そこをどいてもらいましょうか死神!」
床に落ちていたナイフを拾い上げて再度投擲武器とする。さっきよりも力強い雷撃が投げられたナイフの軌跡を辿る。三本の線は、全て彼女を狙っていた。それを避けても、青白い火花から避けるのは難しい。
しかし、彼女はそこから一歩も動かなかった。左手を前にかざしただけだ。でもそれだけで十分危機からは逃れられた。彼女が何かを念じると、広げられた手から白い壁のようなものが瞬時に出来上がった。それはナイフを受け止め、雷を分散させた。これでさっきも助けられたのだ、と私は理解した。
「……干渉しないのでは?」
「そうだな、これ以上は許されていない。神とはいえ万能ではないからな」
「死神の間違いでしょう」
顔をしかめるカルキ君なんて意に介さぬ、とでも言うかのように、二度目の怒気のこもった『死神』発言に対し彼女はリアクションを示さなかった。
「睦月遥」
「……えっ、何」
「お前の意識の中には、既に植えつけられているはずだ。今の状況をどう打破するか」
――植えつけられている?
相手の態度や挙動から言葉をウソを見抜けるような能力が備わっていたのなら、真偽を確かめることは容易だっただろう。もちろんそんなものはない。突然そんなこと言われても、という困惑以外何も生まれてこない。
能力を使ってカルキ君を倒せ、ということ? 無理だ。大声を出すことが第一条件な以上、今の体力ではあと一回出来るかどうか。そもそも今までも『吹き飛ばす』ことには成功しているけれど、『致命傷を負わせる』域には至っていない。
そして、何よりも。
「……もう嫌だよ……」
この状況を私の精神がもう受け入れることが出来なくなっていた。無意識のうちに、涙が頬を伝ってくるのを感じる。
「カルキ君と殺しあうの……私……耐えられない」
今の状況をどう打破するか、だったっけ。考えることなんてない、こうすれば良かったんだ。私はある一つの答えを信じ、左右に首をまわす。真っ黒な床に数本のナイフが浮かび上がっているのが見える。手を伸ば――せない。今の私では動けないというのか。
ではどうすればいい。意識の中に植えつけられている、と水色の彼女は言っていた。この状況をどうにかする手立てが。私の意識の中に。植えつけられている。植えつけられている。植え付け――
「――来い!!」
私は一本のナイフ目掛けて、無自覚のうちに叫んでいた。私の声に呼応するかのように、横たわっていた銀色のそれはくるくると回りだし、私目掛けて飛んできた。
馬鹿な! という少女の声が暗闇の中に吸い込まれるのと、銀色のナイフが私の手の中に収まるタイミングはほぼ同時だった。私の能力の応用性なんかよりも、私が何をしようか考えたことのほうを先に気付いてしまったカルキ君が私の名前を叫んで走ってくる。
――ああ、勇者様。
殺されかけても、この状況を作り出したのが彼だと判明しても、私は心の底から彼を恨むことが出来なかった。彼は利用されている、悪ではない、直感がそう告げている。優しい彼に幻想を抱いてそう信じたかっただけなのかもしれない。せめて、彼の表情が一度でも悪意に満ちたものになっていたならば。私が彼の涙に気付かなければ。彼が私に対する恋心を隠していたのならば。
翔に会うという目的を最優先にすることがもっと出来て、生きることにしがみつく気になれていたかもしれないのに。
鈍く光る銀の切っ先が、私の喉元を捉えていた。
辞世の句なんて、思い浮かばない。ナイフは、一瞬で――




