第6話
勝負がついたのは一瞬のことだ。
まず、カルキ君が吼えた。私と同じくらい、もしくは私以上に、その細身と美しい顔からは想像出来ないほどの力強さの咆哮だった。それに驚くのも束の間のこと、彼が構えていた数本のナイフから電流が走ったのが見えた。中低音でバチバチと鳴っているのが耳を貫いていく。
「喰らえッ!!!」
怒りに歪ませたような横顔が、とても印象的だった。彼はナイフを全てまっすぐに、屍鬼目掛けて投げつけた。そのナイフは直接当たることはなかった。一匹の化け物の顔らしい部分を掠めただけで留まった。絶望の二文字が私の脳裏をよぎる。
直後、閃光がナイフの軌跡を辿るように飛び散った。そして雷が落ちたような轟音が辺りを包み込む。少し遅れて大地震かと勘違いするような揺れが発生し、バランスを崩しかけた。カルキ君は私の態勢に気付き支えてくれた。その際に彼の痩せ細った左手が私の左胸を一度思い切り揉みしだく形となり、「ごめんなさい」と顔を赤らめられたが、そんなこと気にしてなどいられなかった。
全ての屍鬼は痛みに耐えかねるような呻き声の大合唱をしている。そのうち一匹だけが、突然の電撃攻撃を辛うじて耐えてカルキ君目掛けて突撃してきた。速度は決して速いとは言えなかったが、退路が崩れている関係で脅威以外の何物でもなかった。
しかしカルキ君からは怯えた様子が見られない。百メートル走のときのクラウチングスタートのような姿勢を取り、屍鬼が大口を開けて覆いかぶさろうとするのと同時にカルキ君は跳ね上がり、空中で一回転しながらそいつのあごに当たる部分だと思われるものを蹴り上げた。
後方宙返り。そんな高度な技を簡単に繰り出した彼の運動神経よりも、両足に稲妻が確かに走っていることをに目を奪われる。見事に後方に吹き飛んだ屍鬼の前に、カルキ君は着地をして少しよろけた。
「カ、カルキ……君?」
屍鬼たちは私の怒号よりも大きな絶望の声を上げて、砂のようなものに徐々に徐々に変わり、消滅した。あれが一体何だったのか、あんなものが何故神月市の、この窓の一切ない息の詰まるような建物に巣食っていたのか。仮面の男はもちろん知っているのだろう、どう思っているのか。そんな疑問が次々と浮かんできたけれど、それよりも私は彼に聞かなければいけないことがあった。
先程から発している電撃みたいなものは、一体なんなのか。
カルキ君はごめんなさい、とだけ言った。詳しく教えてくれるつもりはないらしい。だけど、この建物が使われていた意味と私の存在が、彼も同じ境遇だったのだと察することは難しくはなかった。私も彼の心の傷を深く抉る必要はないとそれ以上の追求をすることはやめた。
そもそも、それどころではなかった。カルキ君が屍鬼を対処してくれたことによって少し休む時間が出来たとはいえ、私の身体は積み重なった疲労と能力の使用による無理のせいで限界をとっくに超えている。声を出すという条件がなければ、もう少しなんとかなっていたかもしれないのに。
「……もう少しです、遥さん。この階を下りれば、出口はもうすぐですよ」
カルキ君のその言葉だけが、私にとっての希望だった。
彼の肩を借りて、一歩一歩進む。電灯がチカチカして、今にも消えそうな廊下を通り過ぎて。ふらふらしながら、T字を右に。階段が見える。もっと進むのは遅くなったけれど、一段一段、彼と一緒に降りていく。屍鬼も黒い服の人達も来なかった。もし来てしまえば対処のしようがない。カルキ君にもこれ以上手を煩わせるわけにはいかない。今の状況は、本当に運がいいのだと思った。
階段を下りきる。上の階と変わらぬ光景がそこには広がっていた。窓のない部屋。白い床、高い天井。白と薄緑を縦半分にわけて塗られた平らな壁。ほこりまみれの電灯に、時折目に映る銀色の扉。
私の勇者様は、廊下の向こう側を指差して「あそこです」と言った。だいぶ距離がある。あの位置まで歩けるほどの体力は私に残っているのかな。いや、残っていなかったのなら精神力で体力を補えばいい。意志を固め、彼に手を借りつつも、少しだけ足取りを速めてまっすぐに歩いた。
半分ほど歩いた頃、不穏な予感が一瞬だけ脳裏を掠める。足を止めた私を心配そうに彼は支えたが、ううん、と今出来る限りの笑顔を見せて、再度歩を進めた。もう少し。もう少し。もう少しで、私は。私とカルキ君は。
無限に近い時間だった。でも、なんとか扉に辿り着いた。ここを開けば出口がある。やっと地獄が終わる。私は助かるのだ。そして、きっとカルキ君も解放される。しかし、今のふらついた私では扉を開けるほどの力は出なかった。勇者様に無理を言って、扉を開けてもらう。彼は嫌な顔を一つすることなく私のお願いに応じてくれた。
扉の先は。暗闇であった。徹底されているな、と私は歯軋りをした。でも、ここさえ抜けてしまえば日の光を久しぶりに得られる。外に出るためのパスコードやら何やらが設定されていたのだとしても、カルキ君がいるのだから関係はないはずだ。私は力無く笑い、彼を手放して、まっすぐよろよろと歩いた。
――バタン、と後ろで扉が閉まった。
カルキ君が閉めたのだろう。私は音につられて身体に負担をかけないように気を遣いながらゆっくりと振り向く。そこには私の勇者様がいた。私の顔を見据えて、天使と見紛うような笑みをしてくれた。それが、はっきりと見えた。
――完全に暗闇のはずなのに。
「遥さん――」
電気一つない、暗黒の中に浮かびあがるカルキ君の笑顔は、いつも通りの笑顔だったはずだった。
「――もう少し人を疑うことを覚えたほうが良かったと思いますよ」