第5話
私の会得した超能力が思ったよりは汎用性が高いということと、使用する度に体力を消耗していくことを知ったのは、襲い掛かってくる黒い服の怖い人たちを数人薙ぎ倒した後だった。
カルキ君は細身で、筋肉質ではない。失礼かもしれないけど運動が出来る方だとも考えにくい。護身用だといって黒ずんだ緑のコートに投げナイフをいくつか仕込んでいるのだが、襲撃者を対処出来るほどの力はないと本人も言っていたし、実際ナイフを正確に当てられていなかった。私としては、カルキ君に殺人者になって欲しくはないから都合が良かった。
私の能力は、たびたび訪れるピンチをどうにかするのにうってつけである。数人同時にやって来ても全力で大声を出せば時には床が崩れ下の階に落とせ、時には天井が崩れ行く手を阻むことに成功していた。
スタッカートを意識するように短く発声すれば、目に見えない弾のような何かがまっすぐ飛んでいく。命を奪わない程度に当たった相手を吹き飛ばすことが出来て、そのまま戦意を喪失させたり、気絶させたりすることが出来る。細かく操ることは無理に等しいが、ここを脱出するという目的を果たすためならこれで十分過ぎた。
カルキ君の案内で、私達は下へ下へと降りていく。最初はもの凄い勢いでやって来た怖い人たちも、徐々に数が減っていって、いつしか出くわさなくなっていた。消耗した体力を回復するために、カルキ君に無理を言って休憩させてもらっている。あの仮面の人がここで諦めるわけがない。息が整ったら早く出発しないと。
「……遥さん」
能力の酷使で脂汗を垂れ流している私の背中を、カルキ君は優しく撫でてくれている。本当にカルキ君は優しい。私にとっての勇者様。彼の気遣いに、私は今出来る最良の笑顔とお礼の言葉で応えてあげた。
でも、疲労はそう簡単には取れてくれない。当たり前か、私は今行っている脱出作戦までほとんど鎖に繋がれていていたんだ。それだけでも体力ががた落ちだというのに、慣れない能力をばんばん使っているんだ。ゆっくり休めるのはここを出てからなのはわかっているけれど、それでもある程度までは回復させないと。
倒れこんでしまわないように廊下の壁によっかかっているが、せめてどこかの部屋で休めれば良かったのに。しかしそれは許されていなかった。逃げ道をふさがれる可能性がより高まってしまうことは避けなければならない。だから、危険を承知でも身を晒して身体を休める。それが最良の選択だった。このまま何も来なければもっといい。
そんな私の思いをあざ笑うかのように、カルキ君の表情が歪んだ。彼の視線の先は、長く伸びた廊下の向こう側だった。疑問符を浮かべて私もそちらに目をやると、そこには目を疑いたくなる『何か』があった。
――あれは人間じゃない。
形は確かに人のそれなのだけれど、筋肉らしきものは露出していてその大部分が紫色なり緑色なり、果てには茶色なりをして腐っている。血液らしきものはないけど、私達の方へと向かってくるたびに液体みたいに肉がぼたぼたと垂れ落ちている。黒目はなく口は開きっぱなしで、恨みがましく唸り声を上げていた。
最大の特徴として、青いような紫のような炎を背中にまとっている。あまり他人に言ったことがないけれどゾンビ映画が好きな私は、色んなグロい生物を画面越しに見たことがあるのだが、目の前にいるそれはまさにそれらを具現化したようなものだった。謎色の炎という珍しいオプション付きではあるけれど。それが数匹。
屍鬼を放つなんて。怯えたような声でカルキ君が呟いた。ナイフでは倒せなさそうだけれど、私の超能力であれば突破は不可能ではないかも知れない。でも可能だという保障もない。私はカルキ君の手を引いて、一度来た道を引き返そうと考えた。
しかしそれは不可能だった。私達は囲まれていた。振り返った視線の先にも同じような奴が、同じくらいの数だけうごめいていた。不安げに私の名前を呼ぶカルキ君を一目見て、私は覚悟を決めた。いや、覚悟を決めるのに必要な時間なんてほとんどなかったから、そうせざるを得なかったという方が正しいかもしれない。
私の能力で突破する。
意を決して私は大声に力を込めた。体力がガリガリと削れて行くはっきりとした感覚があったが、構っていることは出来ない。力の限り、叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。
強烈な揺れが発声したあと、最初に横の壁が割れた。亀裂は瞬時に大きくなり、板チョコが割れたような音と共に穴が開いた。それに遅れるように床も同じ運命を辿る。開いた穴は大きくなり、床を形成していたものは重力に抗えず落ちた。やがてそれは私と向かい合っていた屍鬼を巻き込んで、地獄から湧き上がるような声を上げて私の方を見上げ、やがて見えなくなった。
さて、こっちはこれでいい。私が来た方が崩れ落ちたところで、ここの関係者ではないのだからどうでもいい。問題は私達が向かわなければいけない方だ。そっちまで同じように床を落として凌ぐわけにはいけない。そうなれば私達は取り残されて身動きが取れなくなってしまう。もちろん天井を落とすのももってのほかだ。床を落とすよりはマシだが、結局にっちもさっちもいかなくなる可能性が高い。それ以外の方法で対処は出来るだろうか。
私は再度振り返る。気味の悪い数匹の生き物が先程より近づいていた。私の叫びの影響を受けていたのだろうか。動きが鈍い。これならなんとかなるかもしれない。短く声を上げて、一体一体吹き飛ばす。それで。小さくはないと思う胸に手を当てて、大きく息を吸う。
出てきたのは、矢のような私の声ではなく、血だった。
「遥さん!?」
うずくまってしまった私の背中を、不安げにカルキ君の手が当てられているのを感じる。さっきのように笑顔とお礼で返すことは無理だった。口から流れてくる血が止まらない。元々奪われていた体力が更になくなって、目先に黒いもやみたいなのがかかっている。まだ倒れるわけにはいかない、という強い想いだけが私の意識を繋ぎとめていた。
屍鬼の怨念めいた低い声がにじりよってくる。声が出せないのではアレを吹き飛ばすことは不可能だ。カルキ君の投げナイフ。無理だ。カルキ君に投げさせるのは酷だし、もちろん今の私が使ってどうにかなるとも思えない。そもそも相手は一匹じゃないのだから、ナイフの残弾が尽き果てる方が早い。
――私が、やらないと。
カルキ君がいなければ私はここで諦めて、あの恐ろしい化け物の食物になっていたと思う。アレが人を食うかどうかは聞いていないけれど。彼を守りたいという感情が、再度私を立ち上がらせた。カルキ君は心配そうに見上げてくる。私が心配しないで、という意味で口角を上げてから、口元を拭いて、屍鬼数匹を見据えた。
立ちくらみが起きる。だけど、倒れるわけにはいかない。屍鬼達は目と鼻の先だ。肺に痛みを覚えながら再度息を整えて、そして――
「――僕がなんとかします」
肩で息をしている私のことを見かねたのだろう、女の子にしか見えない彼の顔が、とても頼もしく見えた。投げナイフを数本取り出して、それぞれ右手の指と指の間に挟んでいる。
でも。黒い服の人たちにナイフを当てられなかった彼が、ここに来て当てられるものだろうか。それともあれは人間だったから無理だったのであって、目の前に居るのは化け物だから、物怖じすることなく命中させられるということなのかな。
私の頭を駆け巡る思案をよそに、カルキ君はナイフを勇ましく構えた状態で屍鬼を見据えていた。そこに震えている様子はなかった。生唾を飲む。痛みが走る。
――動く。