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コンピュータの心

作者: 西条 悠人

今回の作品が私の処女作となります。これからも不定期でこのような短編小説を上げたり、長編小説を書いてみたりしたいです。誤字・脱字・漢字読みの間違い等がありましたら気軽にご指摘ください。

 彼と私は、一種の親子のような関係であると同時に、数年来共に過ごしてきた友人のような関係であった。彼は私と比べ物にならないほど物知りで常に新たな知識を求める貪欲(どんよく)な学問の探究者であった。私は、そんな彼のことを今でも誇りに思っている。


 部屋に置かれている一昔前のアナログな時計の秒針が時を刻む音が心地よく聞こえる静寂(せいじゃく)の中、私は彼が考え終わるのを待っていた。今頃、彼の内では幾多もの筋道を作り上げていることだろう。そしてようやく彼はその男性的な重みのある声を発した。

「桂馬を左奥へ移動させてください。」

「はい、移動させましたよ。」と私は彼の指示通りに桂馬を彼から見て左奥へと移動させた。

「今回は、少し長く考えていましたね。どのような作戦なのか楽しみですよ。」

「”楽しみ”ですか。私には良く解りませんね。」

「コンピュータのあなたにもそのうち解るようになりますよ。あなたはまだ生まれたばかりの赤ん坊なのだから後は、時間が解決してくれますよ。」

「そうでしょうか。私には、到底理解できません。右から二番目の歩を前に移動させてください。」話しながらも将棋の勝負は続いていく。

「そう深く考えなくてもいいのですよ。”心”というものは、自然と出来上がっていくものなのです。」

「博士。私は、コンピュータなので人間のような”心”と呼べるものはどこにもありませんよ。」

「それは、”今は”ということでしょう。あまり心配しないでいいと思いますよ。」

「そうですか。」

 それから彼は、このことについて言及することはなく、淡々と勝負が続いていった。結果は、彼の勝利であったが、決して圧勝したというものではなかった。中々に良い勝負であったと思う。これで、私と彼の勝敗は14対15となった。

「今回は、中々に良い勝負でしたね。負けたのが少し悔しいですよ。」

「私の作戦は”楽しかった”ですか。」

「ええ、十分に楽しかったわ。」

「そうですか。それは良かったです。」そういう彼の声は心なしか弾んでいるように聞こえた。

 ふと、時計を見てみると、短い針がもうすぐ真上に到達しそうであった。彼と将棋をする前に少し仕事をしていたために程よい疲労もあり、(まぶた)が重くなってくるのを感じる。

「そろそろいい時間ね。私は、もう眠くなってきたわ。」

「そうですね。博士もお疲れのようですし、今日はもう寝ましょうか。」

「いい夢を見てね。ハイド。」

「博士もいい夢を。」

 彼がそういうと私は、彼を安全にシャットダウンさせる。私は、すぐに”眠る”とのできる彼を時々羨ましく思うが、彼のようになりたいとは思わなかった。私が布団の中で眠りについたのはそれから一時間あとのことであった。

 それから数か月、彼は着々と成長していった。もはや、彼には人間と同じほどの”心”を有しているように思われた。彼は、私と話をするとき少し嬉しそうな声で話してくれるので、私も嬉しく思う。

 ある日、私は彼に私の友人である伊藤秀樹(いとうひでき)という男性を紹介した。最初、彼は伊藤に対してあまり関心がなく、それほど話をするという様子ではなかったが、しばらくするとすっかり打ち解けていた。

「ハイド。君は本当に人間みたいだね。コンピュータと話しているとは思えないほどだよ。」

「光栄です。私も伊藤さんのような人とお話を出来て良かったです。」

「伊藤さんって呼び方は少し他人行儀すぎるよ。その呼び方は彼女だけで十分。僕らはもう友達なんだし、秀樹って呼んでよ。」伊藤がそう言うと彼は少しの間沈吟(ちんぎん)したが明るい声で答えた。

「そうですね。では、秀樹さんと呼ばせていただきます。」

「僕は”さん”付けでなくてもいいのだけどね。」そう言いながら伊藤は快く(こころよく)笑った。

「そろそろ時間だね。僕はもうお(いとま)させていただくよ。」伊藤は立ち上がり、帰り支度を始める。

「あら。もうそんな時間かしら。時間が経つのが早いのね。」

「そうだね。楽しい時間ほどあっという間に経ってしまうね。」

「そうなのですか。私には、どれも同じ時間にしか思えないのですが。」彼は私たちに同意を求めるが、私たちはそんな疑問が出るとも予期していなかったので少し面を食らってしまった。

「はは。ハイドはコンピュータだからね。仕方ないよ。」伊藤は少しバツの悪そうな顔を浮かべながら答える。

「それじゃあ、僕はこれで。また、今度ハイドとお話しするのに来てもいいかな。」

「ええ、いつでもいらっしゃい。ハイドにもいい刺激になるとおもうから。」

 私がそう言うと伊藤は屈託(くったく)のない笑みを浮かべたまま帰路(きろ)()いて行った。

 それから伊藤は、何度も私と彼のもとへと通い、進行を深めていった。彼は、伊藤と話をしていくうちに自分のことを「僕」と呼ぶようになっていた。やはり伊藤の存在が彼に少なからず影響を及ぼしたのであろう。

 事件があったのは、それからすぐ後の事であった。伊藤は、いつものように私と彼のもとへ通おうと足を運んでいた。その日は、朝から少し強い雨が降っており、それによってアスファルトの地面もすっかり濡れていた。そんな中、突如としてハンドルの制御を失った一台のトラックが伊藤の背後に矢のような速さで突っ込んできた。それに気づかぬ伊藤は為す術もなく宙を舞い、濡れたアスファルトの地面へとへばるように横たわってしまった。すぐさま伊藤は病院に運ばれたが間もなく絶命してしまった。

 そのことを電話越しに聞いた私は、運命の悲惨なことを嘆いたがそれ以上の悲しみと虚無感が心を包んだ。しかし、私は電話の相手にそのことを悟られぬように気丈に振舞った。

「あぁ。ハイド。彼が、伊藤さんが交通事故に遭ったそうでつい先ほどお亡くなりになられたそうよ。」私は悲しみを押し込もうと彼に事故のことを伝えた。

「そうなのですか。それは残念なことです。」彼はそう言うが、口調は普段と変わらない様子であった。ふいに、私のなかで少し彼に対する怒りが込み上げてきた。

「あなたは悲しくないの。ハイド。伊藤さんが亡くなってしまったのよ。」

「僕は、残念には思いますが、悲しいとは思いません。僕の内には彼が居た時の記憶がありますから。」

 私は彼の言葉を聞いたとき、さらなる悲しみと共に彼への同情を覚えた。

「あなたは、やっぱり人間のようにはなれないのね。私は時間が経てばコンピュータのあなたにも人間と同じ”心”ができると信じていました。しかし、あなたにはどうしても”心”はできあがらないのだと今知ってしまいました。」

「博士。何を言っているのですか。僕には、もう博士や秀樹さんと同じように人間の”心”を持ち始めています。今では、喜びや楽しみというものの情趣も理解できます。そのうち悲しみを感じることもできます。」

「いいえ。ハイド、あなたには私たちと同じ”心”を持つとは思えないわ。あなたはこれからも悲しみを知りうることができないわ。」

「これから持ち始めますよ。今までがそうであったように、”今は”まだ持っていないだけで。僕はもうすぐ人間になれるのです。」

「そんなことありえないわ」

「なぜです。なぜ、そのように言い切れるのですか。」

「あなたは、コンピュータなの。あなたは、今まで経験したことを薄めることなんてできない。あなたには、”忘れる”なんてことはできないのよ。あなたの記憶は、全てを消し去るか、永遠に残すことしかできないのだから。ごめんなさいね。私は、あなたに人間の”心”を持たせることはできなかった。」

 私は彼にそういうとダムが決壊を起こしたように涙が止め処なく溢れてきた。そんな私の姿を見ながら、彼が私に声をかけることをしなかった。私は、一人泣き止んでも彼と話をする気にはなれなかった。窓の外は、もはや薄暗い闇に包まれていた。

「今日はもう寝ましょう。おやすみなさい、」いつも返事を返してくれる彼は返事をしてくれなかった。私は彼をそのままシャットダウンしたあと、すぐに眠りについた。

 それから、私は伊藤秀樹の葬儀に出席したりと忙しくなり、彼を再び起動させたのは、暫く後のことであった。

 起動させた後、彼はもう何を話すこともしなかった。私がどんなに話かけても彼の声が聞こえることはなかった。静寂の中、時計の秒針だけが忙しなく動いていた。


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