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タイムトラベラー  作者: 恋風路 とも依
3/3

第二話 逆再生



 目の前に、突き抜けるような青空が拡がっていた。

 瑠香は、私の横で仰向けに寝転がり空に向けて右手を伸ばしている。

 その手には、見覚えのある薄紫色の髪止めが握られていた。瑠香が、その傾きを変えると降り注ぐ太陽の光を反射した。

 瑠香の膝元には、先ほど無事に食べ終えたサンドイッチのケースだけが転がっていた。

 ケースの中に敷かれたペーパーナプキンが、風が吹くたびパタパタと揺れる。そのたびに端の方に描かれた私が知らない蛙のキャラクターが顔をのぞかせた。

 思えば、瑠香がこうしてここに寝転がる姿もあまり見たことがなかった。

 そこにいつもいたのは…。

「いたのは?」

 私は、どこか嬉しそうに話しかけた。

「慧」

 瑠香は、ゆっくりと起き上がりながら答える。

「そう。思いっきりいい気持ちで昼寝してて。目が覚めて目開けたら、覗き込んでる奴がいて、そうそう、すっごい困ったような顔して。なんだこいつって思った」

 私は、瑠香と最初に出逢った時の話をしていた。

 瑠香は、話を聞きながらゆっくりと起き上がり、目の前で揺れる髪をまとめて、持っていた髪止めで丁寧に止めた。昔に比べてすらりと伸びた指先。どこか子供の頃の面影が遠くにいってしまう気がした。

「あ、今ひどいとか思った?そういえばさ、あの時なんで私に声かけたの?よく考えたらさ、私と瑠香。どうしたって友達になるってような感じじゃないじゃん?」

 私は、調子に乗ってマシンガンのように言葉を次々と発した。

「そうだったね」

 瑠香は、あいかわらずパタパタと揺れているサンドイッチケースをバッグにしまいながら一言返した。

「って、いつも聞いても結局教えてくれないんだよね。今日くらい特別に教えてよ」

「教えない」

 瑠香は、さらっと答えると、優しく微笑んで立ち上がり、目の前に聳え立つ木を見上げた。

瑠香の手が、そっと木の幹に触れた。そのまま昔に比べて少しだけ太くなった幹の外周をゆっくり歩き始めた。

 昔は、もっと大きく見えた。きっと瑠香もそんなことを思ってるのだろう。

 ちょうど一回りしそうな時に、私はまた話し始めた。

「そうそう、その木のさ。今の瑠香のちょうど肩あたりかな」

「え?」

「見える?」

 私に促されるまま瑠香はふと足を止め、自分の左肩越しに木の幹を見た。

 そこには、何かで深く彫られたような跡があった。よく見ると文字のようだった。木の成長と年月がいつかはこの刻まれた文字を消してしまうような気がした。

 瑠香は、その刻まれたモノをそっと指で撫でた。

「二人で書いたよね。彫刻刀使って」

 懐かしむような口ぶりで私は言った。

「ケイ」

 瑠香は、そうつぶやきながら彫られた文字を指でそっとなぞった。

カタカナで「ケイ」と彫られた文字の隣には、「ルカ」と同じように彫刻刀で彫られた文字が並んでいた。

「難しくて自分の名前、漢字で書けなくてさ」

 私は、苦笑交じりで言った。

「確かに」

「瑠香もだったね」

「今なら書けるよ」

 瑠香は、彫刻刀の代わりに指で二人の名前を漢字で書いた。二人とも画数が多かった。

「本当は、今また書きたいけど、残念ながら彫刻刀がない。スコップはあるけど」

 私は、おどけるように言った。

 瑠香は、ふと持ってきた鞄を見た。そこには今日持ってくるよう指示されたものが入っていた。もう見慣れてしまったの筆圧のない小さな文字で書かれた今日一日の予定表。少し量が多く感じた瑠香の手作りサンドイッチが入っていたケース。そして、スコップ。園芸用のしっかりとした手持ちのスコップだった。瑠香好みの雑貨屋に並んでいるようなかわいらしいプラスチック製のスコップは止めるようにと、予め、予定表の注意欄に書かれていた。

 よく考えれば、私らしくないことをしていた。

 きっと瑠香も、そう思ったに違いない。

 全ては、瑠香が先日の誕生日に受け取った小包から始まっていた。

 私が贈った最後の誕生日プレゼント。

「そろそろ、本題に移ろうか?」

 私は、いつも以上に優しい声でそう言った。

 刻まれた「ケイ」の文字を、もう一度なぞっていた瑠香の指がふと止まる。


 すでに、その木の影は、西から東へと長く長く延びていた。



     2



「どう?出てきた?」

「まだ」

「結構深いでしょ?」

「そうだね」

 当たり前のように、二人は話していた。

 瑠香は、その木の根元を掘っていた。

 スコップを使っているはずなのに、既にその腕は土草で汚れていた。

 すぐ傍で、私の口笛が聞こえる。

 昔から大好きだったシンプルなメロディ。

「まぁだかな」

 私は、口笛を止めては小さくつぶやいて、また口笛を吹いた。

 瑠香は、額の汗を拭うこともなく、黙々と掘り進めていた。

 遠くから帰宅の合図のような子供たちの「バイバイ」という声が徐々に小さくなりながら聞こえていた。

 そういえば、これから家路に向かうあの子供たちくらいの頃だった。

 瑠香と二人で埋めたタイムカプセル。

 今となっては、何を入れたかもよく憶えていなかった。案外どうでもいいものも、きっと入ってるのだろうと思った。

 ただ、この存在だけはずっと忘れずにいた。約束だったからかもしれない。

 こんな形で掘り起こすことになるとは思いもしなかった。

 瑠香も思ってはいなかったと思う。

 ちょうど三度目の「まぁだかな」が響く。

 そろそろだった。

 必死に掘っている瑠香を、私も少しだけ手伝いたいと思った。

 ちょうどその時、スコップの刃先が「カツリ」と何か金属のようなものに当たる音がした。

「出てきた?」

 私は、ちょうどいいタイミングで言った。

 瑠香は、驚いたように「え?」と息を呑むような声をあげた。

 必然だったかのような偶然の奇跡に、私も少しだけ神様に感謝した。

 瑠香が、今度は素手でその音がした周りの土を丁寧に掘り起こす。

 すると、そこから小さな四角い缶が顔を出した。

 瑠香は、まるでガラス細工を手にするようにそっと缶を土の中から取り出す。

 その手はまるで泣いているように震えていた。

「出てきた?」

 私は、もう一度確かめるように言った。

「出てきた」

 瑠香は、頷きながら答えた。

 恐る恐る瑠香の手が空き缶の蓋に伸びる。

「まだ開けない」

 私は、そんな瑠香を予測するかのように言った。瑠香の手が一瞬止まってから、缶から離れた。よく見ると震えている手に促されるように肩も震えていた。目元には、汗とは違う光が見えた。

「十数えて開けようか?『せーのっ』って言ってから」

「えっと…」

「『せーのっ、一』から始めるんだよ?」

「あ、うん」

 私は、必要以上に丁寧に促した。

 瑠香は、心の準備をするように大きく深呼吸をした。

「じゃあ、いくよ。『せーのっ、一』」

 私は、数え始める。

 瑠香も、重ねて数えた。

 二人一緒だった。

 まるで昔のようだった。

 瑠香の笑顔も泣き顔も、いろんなことが私の中を駆け巡る。

 二人の声が十のカウントをすると同時に、私は、「やった!」と明るい声を上げた。

 瑠香を見つめていた木がザワザワと鳴いた。

「開いた?」

 私は、そのままの明るい声で瑠香に聞いた。

 まるで、今の瑠香が気づかないように。

 瑠香は、震えていた。

 手も、肩も、足も。

 目元の光は、小さな雫となって缶の蓋にいくつも落ちていた。

 私は、そんな瑠香が見えないように続ける。

「憶えてる?」

「待って…」

 瑠香は、振り絞るように小さな声で言った。

「あのさ…」

 私は、待たなかった。

「待って!」

 瑠香は、叫んだ。

 瑠香が、咄嗟にポケットに手を伸ばすと、次の瞬間、カチャリという無機質な音がした。

 瑠香の手に握られてポケットから出てきたのは、小さなカセットレコーダー。


 瑠香が押したのは、停止ボタンだった。


 停止ボタン。


 ボタン。


 私は、止まっていた。





 西の空を見ると、太陽が徐々に空をオレンジ色に染めていた。。

 ここから眺めは昔とそれほど変わらないような気がした。

 でも、きっとここからは見えない小さな変化があるのだろう。

 そしていつのまにかそれが積み重なって大きな変化となっていく。

 人間も街も似ている。

 変わるものなのだ。

 変わらなくなったら、きっとそれは終焉なのかもしれない。

 今もこれからも変わっていくだろう瑠香。

 もう変わることができなくなった私。

 病院のベッドで、動かなくなる手を必死に動かして書いた手紙。

 サヨナラに近づいてゆく時間。

 止まってほしかった時間。

 それでも止まらない時間。

 いつか忘れてしまうのだろうと思った。

 私という存在。

 私との時間。

 忘れてほしくない。

 消えてほしくない。

 消えたくない。

 でも…。


 目の前で、私たちが少女だった頃の想い出を見つめて、たくさんの涙をこぼしている瑠香を見て、無性に愛しくて、反面腹立たしくなった。

 止めてはいけない。

 たとえ自分が消えることになったとしても止めてはいけない。

 そんな複雑に絡まった気持ちから、ふいに私は瑠香の代わりにその止まった時間を再生するボタンを押してしまいたくなった。

 でも、私にはもう差し伸べる手も、かける声も持っていない。

 できることは祈るだけ。

 それすらいつまでできるかわからない。


(止めないで)


(わかってる)


 一瞬だった。

 私の中に、瑠香の声が響いた。

 瑠香が声を出したわけではない。

 瑠香は、スコップを手に取り、開かなかった缶の蓋を開けようとしていた。

 缶は錆付いていた。

 硬くなって、動かなくて。

 最後は、わずかな隙間にスコップの先端を押し込んでこじ開けた。

 瑠香の顔を見ると、あの頃の弱弱しくて困っているような面影は何処にもない。

 そこには、必死に前を向いて歩もうとする強い意志があった。

 蓋が転がり落ちた缶の中。

 そこには、私と瑠香の想い出が詰まっていた。

 瑠香は、あがった息を整えるように深呼吸すると、転がったカセットレコーダーを拾って再生ボタンを押した。

「いっぱい詰まってるよね、私たちが」

 私の声は、止まる前と同じ声で話しかけた。

 もう変わることもない声。

「うん」

 瑠香が、静かに頷く。

「いっぱい詰まってるんだろうなぁ」

 どこか遠くを見つめてるようにつぶやくような声が続く。

「本当は一緒に見たかった。だってここには瑠香と私の想い出が詰まってるから。ありがとう。連れて来てくれて」

「なにそれ」

 瑠香は、少しだけ笑っているように言った。

「でもね、瑠香。私はもういない」

 私の声が、そう告げた瞬間、私の中で何かが鈍く響いた。

「もう、いないんだ」

 いない。

 そう、私はいない。

 ここにいる私は、彼女と同じ時を生きる私ではなくて、

 変化することを失った誰かの想い出の中でしか生きられない私。

「知ってるよ」

 瑠香は、静かに答えた。

「瑠香、途中でこれ止めちゃったりした?」

「え?」

「多分一度くらい止めたかな。瑠香、どんくさいから。でもね、瑠香。時間はね、本当は止まらないんだよ。戻すこともできないの。それが伝えたかったの。私がこうして生きてきて、一番知って大切だと思ったことだから」

 私の声は、少しだけ震えていた。

「こんな病気になるとは思わなかったからさ。こんなことになるとは思いもしなかった

からさ。でもね。でも……瑠香とはずっと一緒だったから。約束だけは護ろうと思ってさ」

「約束?」

 瑠香は、聞き返す。

「いつか大きくなったら、これ二人で開けようって約束。私はここまで大きくなりました。でも、たぶんこれから先は難しいかなって。そんな理由で見に行こうとか言ったら、

きっと瑠香は怒るでしょ?」

「そうだね」

「それこそ自分がそう長くないんだなぁってなんとなくわかった時、こんなこと思ったんだ。『もう戻らないんだって、言い聞かせて欲しい』『進まなきゃ。振り返っちゃいけないよ』って。きっと、瑠香もそう思ってくれる。だからこんなことしちゃった。ごめんね」

「許さない」

「許さない?」

 瑠香の言葉を予測していたように響く私の声。

「でも…」

 瑠香は、缶の中の想い出に触れながらつぶやく。

「しょうがない」

 私は、瑠香の言葉を続けるようにつぶやいた。

 私と私の声が重なっていた。

 瑠香は、少しほっとしように、困ったような笑顔をした。

「よかった。約束は無事果たせました。こうして二人で来られて、こうして掘り起こし

て私たちの想い出眺めて、新たな出発」

「やだな」

「今、『やだ』って言った?」

「あ」

「往生際が悪いよ。あたしを見習いなさい。生きる時間が決められたもんにとってね、あんたみたいに、うじうじ生きられる時間を無駄遣いしようとしてるヤツは、見てて腹立ってくるのよ。一人で取り残されていくとか、くだらないこと考えないでさ。私の分まで生きてみて」

 昔の私は、どこか自分に言い聞かせるように言った。

 瑠香は、優しく微笑んで、空から零れ落ちそうになっている太陽を見つめた。

「もう大丈夫だよ」

 瑠香は、しっかりとした口調でそう言った。

 ほぼその言葉と同時に、カチャリとカセットレコーダーが止まる音がした。





 そもそも、瑠香に渡したあの言葉は、心のどこかで自分に宛てた言葉だった。

 昔から私は、どちらかと言えば外でやんちゃをしていた方だった。だからこそ、徐々に身体が動かなくなっていく自分が、周りから置いていかれる気持ちで満たされていくのにそうは時間はいらなかった。

 きっと、カセットレコーダーに話しかけていた時の私は、消えていく自分が怖くて怖くて仕方なかったのだろう。

 ずっと守ってきた隣にいたか弱き少女が、自分の手の届かないところで知らない間に強くなっていく姿を見る度に、その強さを自分に重ねてみるようになった。

 きっと瑠香も、それがわかった上で無茶をしていた時期もあったのだろう。

 それにしても、さっきの瑠香の声はなんだったのだろう。

 そもそも、私自身、今の自分がなんなのか理解はできていない。

 テープに吹き込んだ声と一緒に心まで残ってしまったのだろうか。

 それなら、テープが止まった時に私の意識も消えてしまうはずだ。

 心の残り香?

 私に思い残すことなどあっただろうか。

 自分がこうして残っても、私が一緒に過ごした人々の中の私は徐々に薄れていく。

 瑠香の中からも、やがてきっと消える。

 私は何処へ行くのだろう。

 瑠香は、止まったカセットレコーダーからカセットを取り出して、鞄から新しいカセットを取り出してセットした。

 そういえば、カセットはもう一つあった。

 しばらくして昔の私の声が聞こえた。

 今更ながら、こんなに長く自分の声を聞いたのは初めてだった。

「収まりきらなかった」

 再生した直後、私は苦笑い交じりに言った。

 瑠香は、そんな慧の一言に初めて声に出して笑った。

「さてと、最後に私からの約束」

 突拍子もなく私は言う。

 瑠香は、笑い声を止めて真剣な顔をした。

「一人取り残されるなんて思うようなマイナス思考は、この缶に一緒に詰めて、もう一度埋めちゃって。時間を止めずに生きること。わかったら返事!」

 瑠香は、何も言わない。

「聞こえない!」

 予測が付いていたのか、私は瑠香に食って掛かる。

「うん」

 瑠香は、か細い声で言う。

「声が小さい」

 私は間髪いれずにまた食って掛かった。

「わかった」

 瑠香は、はっきりという。

「まだ小さい!」

 私は、半分笑っていた。

「わかったわよ!」

 瑠香は、少し怒ったように叫んだ。

「よろしい」

 二人とも笑っていた。

 まるで昔のように。

 瑠香と二人でここに来て名前を刻んだり、

 タイムカプセルを埋めたりした頃のあの笑い声。

 あの頃と何も変わっていない。

 いや、変わらない場所があった。

 変わらなくなった私と変わらない場所。

 想い出の場所。

 ここなら私も消えないでいられるのだろうか。

「ありがとう」

 ふいに私の口をついた言葉が、カセットから流れる自分の声と重なった。

 瑠香は、どうしてか不意をつかれたような顔をした。

「慧?」

 瑠香は、まるで私がそばにいるように呼びかけた。

 まさか、私の声が聞こえたのだろうか?

 私たちを遮断するように、過去の私が話を続ける。

「さてと、用事も済んだし、さっさと帰って明日から何するか考えな。ちなみにこのカセットはその缶に一緒に詰めて、もう一度埋めておくこと。私の第二の墓ってとこね。あ、でもあんまり来なくていいから。こっちはこっちでやることあるし、あんたの世話やいてる暇ないからね」

「慧?」

 瑠香は、相手がカセットなのか、私なのかわからないように言った。

「時間は止まらないの。だから止めないで」

 昔の自分が言うその言葉に私は息を飲む。

「わかった?これは遺言よ。さぁ、早く埋めて。ほらっ」

 私は、まるでタイムリミットを告げるように瑠香を促した。

 瑠香は、そっと立ち上がって自分たちが刻んだカタカナの名前をそっと触れた。

 二つ並んで刻まれた文字のように、私たちが並んで歩むことはもう出来ない。

 瑠香は、カセットレコーダーを缶に丁寧に詰めて、さび付いた蓋を閉じた。

 もう私の声も聞こえない。

 瑠香は、小さな缶を元の穴にそっと戻し始めた。

 今、瑠香は何を考えているんだろう。

 言葉を伝えられない私は、それを知る術を知らない。

 せめてもう一度だけでも、並んでみたい。

 私の声や姿は、もうこの世に写せないのだろうか。

 瑠香は、真っ直ぐと茜色に染まった街を見つめていた。

 私は、想いだけはもう少しだけ隣にいたいと願った。

 瑠香は、一歩踏み出した。

 きっとこれがサヨナラだ。

 私は、ここで消えてゆく。

 そのうち瑠香の心の中からも消えるだろう。

 本当は、時々でいいからここに来てほしいと、今は思う。

 私は、あの時伝えられなかった言葉を、

 聞こえるはずのない瑠香に向けて叫んだ。


(バイバイ)


 すると、瑠香はゆっくりと振り向いた。

 沈みかけた太陽の光で、瑠香の顔はよく見えない。

 きっとあの困ったような笑顔だと思った。

「何言ってるの?」

 瑠香は、そう言って首を横に振った。

 太陽が西の空から零れ落ちた瞬間、

 瑠香の肩越しに一筋の光が空高く伸びる樹を照らす。

 瑠香が真っ直ぐと見つめる先。

「なんて顔してるの?」

 私が見える?

 頬を伝う一筋の光の感覚。

 私は、今泣いて?

 太陽の光が徐々に弱まっていく。

 私は消える?

 瑠香は、私に向かって、そっと手を差し伸べた。

 私は、そっと瑠香の手に薄らいでゆく自分の手を置いた。

「大丈夫。ずっと一緒だよ」

 瑠香は、困ったような笑顔で言った。


(あぁ、そうか)


 瑠香は、ゆっくりと胸に手を当てた。


(私は消えるんじゃない)


「ここにいるから」


(残るんだ)


 それはまぎれもなく小さな時間の大きな奇跡だった。





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