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シロトと私で旅立ちの儀です

作者: 水守中也

「どうしたシロト。緊張しているのか?」

 前を歩くレオーネさんが、ぎこちなく廊下を歩く僕を見て言った。

「……ええ、まぁ。お城ですし……」

 王宮の中には一般開放されているところもあるけれど、この辺りは王族の方のプライベートな場所で、お偉い政治家たちでも滅多に入ることはできない。

 絨毯が敷かれた廊下は足音一つ残さない。城内は真夏だというのに魔法がしっかりと効いていて涼しく、街の喧騒も虫の声も届かなくて、しんと静かだった。

「なぁに、小さい頃はしょっちゅう出入りしていたではないか」

 王宮魔法使いの中でも一部のエリートしか着られないという藍のローブを身にまとったレオーネさんが笑ってそう言った。

「それはそうですけど……」

 僕は緊張していて、レオーネさんと同じように笑うことはできなかった。

 彼女の言うとおり、父親の仕事の関係で、学校に入るまでの間はお城の一角で暮らしていた。子供というのは怖いもの知らずなもので、何も知らずにこのあたりも遊び場にしていた。

 けれど学校に入って町で暮らすようになってからは、一度もお城に足を運ぶことはなかった。

 それから十年。夏期休暇に入って間もない日。姫様の教育係であるレオーネさんに突然呼ばれ、僕は見覚えのある通路を緊張気味に歩いていた。どういう服装をすれば良いのか分からなかったので、僕は夏期休暇なのに学校の制服を着ている。

「それにリラ姫様は君に会えるのを楽しみにしていらっしゃるようだ」

 リラという名前が出てきて、僕の胸がどきっと高鳴った。

 子供のころ彼女と二人で、この廊下で鬼ごっこやボール遊びをしていたのを思い出す。一緒に遊んでいた子がお姫様だってことは分かっていたけれど、当時の僕は、彼女も普通の子供となんら変わらないと思っていた。

 お城を出て十年。古い王宮の建物は一緒でも、僕の心は変化している。無邪気だったあの頃と同じではない。それはきっとリラ……様だって同じはず。楽しみにしているという言葉も社交辞令だろう。

 レオーネさんがとある扉の前で立ち止まる。

「ここがリラ姫様のお部屋だ。ここで姫様が君をお待ちになられている」

 他の部屋と変わらない扉なのは防犯のためだろうか。さすがに十年もたっているので、部屋の位置は記憶の場所と違っていた。

 レオーネさんがノックして、扉をゆっくりと開いた。

 意外に質素な部屋の真ん中で、椅子に座ってお茶を飲んでいた少女が立ち上がってこっちを向いた。ポート王国の第一王女、リラ姫様だ。

 鮮やかなドレスに身を包んだ姫様が、花が咲いたかのような笑みを浮かべる。

「シロト。久しぶり――」

 窓から注ぎ込む陽光を浴びた姫様が、にっこりとその微笑を僕に向けた瞬間、背後の窓ガラスが割れた。かと思ったら、突然大男が乱入してきて、微笑む姫様の顔に分厚い腕でエルボーをかました。姫様は部屋の端まで吹っ飛んで、壁に人型の穴が開いた。

 ――え?

「なるほど、このタイミングの不意打ちとはなかなか考えたな。まぁいつもと同じだろうけどね」

 呆然と立ち尽くす僕の背後で、レオーネさんがつぶやく。

「どれ。私も少し手伝おうとしようか」

「何を言って……」

 振り向いた僕の目の前で、レオーネさんが室内に向けて魔法を放った。それは的確に乱入者……ではなく壁から抜け出した姫様に命中し、轟音とともに部屋の中が炎に溢れた。

 燃え盛る炎の中から、おっとりとした声が聞こえてきた。

「十年ぶりですよね。ずいぶん経ったのにすぐシロトだと分かりました。ああでも火が邪魔でよく見えないわ」

「ふはっはははっはは」

 揺らめく炎の奥に見えたのは、火に囲まれながら平然と立っている姫様と、同じく身体中が燃えているのにも関わらず平然と馬鹿笑いをしながら彼女の顔面をサンドバッグのように殴り続けている大男だった。

「ちっ。どっちも無反応とはさすがに気に障るわね。ならば、これならどうっ?」

「ちょっ――」

 制止するまもなく、レオーネさんが二発目を放った。大爆発が起こり建物を揺らした。

 あまりの爆発に炎はすべて吹っ飛んだ。机も椅子もカーテンも全部吹っ飛んだ。窓もすべて破壊された。脱出したのか吹き飛ばされたのか知らないが、建物の外から、大男の野太い馬鹿笑いが聞こえた。

 何もなくなった部屋の真ん中にリラ姫様は平然と立っていた。鮮やかだったドレスはところどころ埃をかぶってすす汚れているけれど、焦げても破けてもいなかった。

「やっと見えました。シロト、会えて嬉しいです」

 何事も無かったかのようににっこりと微笑む姫様を見て、僕は理解力の限界を超え、意識が急激に薄れていくのを感じた。


  ◇ ◇ ◇ ◇


「何なんですかっ、あれはっっ?」

 目を覚まして開口一番、僕はレオーネさんに疑問をぶつけた。

「まったく、急に倒れたと思ったら、今度は叫んだり。忙しい男だね」

 レオーネさんは僕を心配した様子もなく、あきれた口調で言った。

 僕はお城の一室のソファに寝かされていた。応接間みたいなものだろうか。シャンデリアに調度品、下手すればさっきの姫様の部屋より豪華絢爛な部屋に、僕とレオーネさん、そして姫様をサンドバックにしていた大男がいた。

「フハハ。女みたいに気絶するとは。情けないぞ。愚息よ」

「うるさいっ!」

 この男は王宮を警護する近衛隊の隊長であり、認めたくないが僕の親父である。炎に巻き込まれたせいか、髪の毛は縮れ、上半身裸の身体には真新しい火傷の跡が見えるけれど、堪えた様子はなかった。

 人間離れした親父だけれど、仕事はまじめにこなしていたはず。なのに、なぜ守るべき姫様をたこ殴りしていたのか。それに姫様の教育係のレオーネさんがなぜ、姫様を狙ったのか。

 さらに、それらをまともに食らってなぜ姫様は平然と無事なのか。

 訳が分からない。

 僕はぽんと手を打った。

「ああそうか。これは夢なのか」

「君は起きながら夢を見られるのか。さすが近衛隊長の息子だな」

 軽口を叩いたレオーネさんを親父がじろりとにらむ。レオーネさんが肩をすくめた。

「それでは私は行くぞ。仕事が忙しいのでな。あとはそこの女魔法使いから説明してもらうがよい」

 親父は席を立つと、そう言い残して部屋を出た。

 僕は小さく息を吐いた。親父が消えて、少し気が楽になった。

 それが顔に出てしまったのか、レオーネさんが苦笑いする。

「いい親父さんじゃないか。忙しい中、君が目を覚ますまでいたのは、君のことを心配していたからだろう」

「どうでしょうねぇ?」

 僕はつっけんどんにつぶやいた。あの親父が僕のことを心配するとは思えない。レオーネさんの冗談だろう。

「くっくっく。親子仲はあまり良くないようだねぇ。まぁ君くらいの年では、反抗期だし珍しくないことかな」

「そんなことより! さっきのこと説明してくださいっ」

「ああ。あれは魔法の特訓だよ」

「魔法の特訓って……」

 絶句する僕にレオーネさんが子供に言い聞かせるような口調で尋ねる。

「リラ様は王家の血を継がれていらっしゃる。それはつまりレナ様の子孫でもあるということだ。これは分かるな」

「ええ。それはもちろん……」

 二百年ほど前。かって世界には数多くの魔物がのさばっていて、人と激しい戦いを続けていた。

 そんなとき、若き女魔法使いだったレナ様が六人の仲間たちとともに魔物の王を打ち破り世界を救った。彼女はその後仲間の一人と結婚し、ひとつの国を立ち上げた。それがこのポート王国である。

 レナ様は女王としてではなく王妃として戦いに荒れた国の復興に尽力された。やがてお二人の子が二代目の国王となり、その子が三代目の……と続き、国の象徴として政治に関わらなくなった今でも、王室は存続し、国民から絶大な支持を受けている。

 御年十六歳のリラ姫様も、おっとりとした人当たりのよさと美貌から、老若男女に人気がある。僕のクラスメイトの中には、姫様が公務で顔を出す場所には学校をサボってでも全て行くという、剛の者がいるくらいだ。

 ちなみに、リラ姫様には皇太子である弟がいるため、彼女と結婚しても国王になれるわけではない。

「そういえば、君も七勇者の子孫の一族だったな」

「……まぁ。どうでもいいですけど」

 七勇者とは、建国者であるレナ様と六人の仲間を合わせた総称である。レオーネさんの言うとおり、僕の祖先は七勇者の一人である。他の勇者様は国王や女王になったり、信仰の対象として神と崇められたりとしているのに、うちのご先祖様はこの国に残り、一兵卒として余生を全うしたという。

 まぁ派手さはないけれど、そんな縁で僕の家系は、建国時から今でも王室と親密な関係にある。

 けれどそれはいいことばかりではない。お城から一般の学校に入学した僕は、羨ましがられる一方で、妬みのため嫌がらせを受けることも多かった。実際、親父が近衛隊隊長を務めているのも、そういうしがらみの影響に違いないし、非難されるのも当然だ。

 そんなこともあって、最近僕は王室と一定の距離を置くようにしている。

 少し不機嫌になった僕のことを気にすることなく、レオーネさんが続ける。

「王家の方々は、レナ様の血を継いでらっしゃるため、みな魔法が得意であられる。特にリラ姫様は、記録に残るレナ様とご容姿が瓜二つということで皆から期待されていた。――だが姫様は魔法がまったくもって使えなかった」

 そういえばそうだったかもしれない、と昔のことを思い出す。

「しかし私も若くして姫様の教育係に任命されたエリート魔法使いだ。なんとか姫様を覚醒させようと努力をした。だがぜんぜん上達しない。自然と私の学習もスパルタになっていった」

 心なしか、レオーネさんが顔を引きつらせながら、熱く語る。

「そんなある日、スパルタが少々行き過ぎて、下手すれば姫様の生死にかかわるような事故を起こしてしまった」

「ちょ、ちょっと」

「だが姫様は亡くなるどころか、怪我一つ負っていなかった。調べてみると、無意識のうちに魔法を発動させて身を守っていたようだった。それ以来、姫様の絶対防御――と名づけた能力は上達して、今では日常生活でもかすり傷ひとつ付くことがなくなった」

「凄いじゃないですかっ」

 僕は思わず机に手をついて身を乗り出すようにして叫んだ。けれどレオーネさんはふぅとため息をついて、自嘲気味に笑う。

「確かに凄い。だが君はどう思うかね? 華奢で可憐な身体から強力な魔法を自由自在に操るプリンセスと、ドラゴンが踏んでも壊れないプリンセス。明らかに印象が違うだろう」

「それはそうですけど……いくらなんでもドラゴンが踏んでもって……」

「君も見ただろう。あれだけ殴られようが燃えようが、リラ姫様はびくともしない。技術・知識的に魔法を教えても効果がないから、絶対防御を発動したときと同様、危機的状況を作り出して覚醒させようとしているのだが、我々の力ではびくともしないのだ」

「……えっと、理由は分かりました」

 力説するレオーネさんに少し引きつつ僕は答えた。きっとエリートなりの苦悩があるんだろう。けどいくら姫様は無事でもその部屋を破壊するのはどうかと思う。一応国民の税金が使われているわけだし。あ、だから部屋が質素だったのか。

 なんてことを考えていると、応接間の扉が控えめにノックされた。

「失礼します。シロトが目を覚ましたとクロトから言われまして……」

「リラ――姫様……っ」

 声が聞こえて、僕はソファから立ち上がって直立した。

 扉が開いて、リラ姫様が一人で部屋に入ってきた。

「シロト。元気そうで良かったです。急に倒れたのでびっくりしました」

 姫様が微笑む。けれど僕は緊張のあまり、何を言っていいか分からず、押し黙ってしまった。

 代わりに、レオーネさんが答えた。

「なぁに大したことないよ。久しぶりに再会した姫様があまりに美しくなっていらっしゃったから、卒倒してしまったんだろう」

「えっ――」

 レオーネさんの軽口に、姫様の顔がぽっと薄桃色に染まった。

 僕は慌てて言った。

「いっ、いえ。それより、姫様の方は大丈夫なんですか? その部屋が爆発して燃えていましたけど……」

「あ、はい。私ですか。そうですねぇ。燃えているときは少々息苦しいですけれども、慣れていますので問題ないです」

 いやいや普通は息苦しい以前の問題だから。

 心の中で突っ込みを入れつつ、僕は今更ながら、姫様の服装が変わっているのに気づいた。若草色のワンピースで、裾の長さはかなり短い。白のニーソックスに覆われた足が、ずいぶんきわどい部分まで覗かせてしまっている。背中には地面に届きそうなほど大きい、空色のマントを付けている。動きやすいのか動きにくいのか分かりにくい格好である。

「どうですか? 似合いますか」

 僕の視線に気づいたのか、姫様が軽く両腕を上げてポーズをとった。

「えっと、その、レナ様時代の冒険者のような身なりですね……」

 正直なところ、あまり似合っていない。それでも嬉しそうにくるくると回っている姫様を見ていると、とてもそんなことは言えなかった。

「おぉ。鋭いな君は。そのとおりだよ。この衣装は『旅立ちの儀』に合わせて作られたものなのだ」

「はい。シロトと私で旅立ちの儀です」

 なぜか嬉しそうな姫様。訳が分からない。

「あの……旅立ちの儀って?」

 初めて聞いた単語だった。

「まぁ簡単に述べると、王室に伝わる古くからの風習だな」

 建国者であり魔王を滅ぼした勇者でもあるレナ様が、魔物との戦いを決意して旅立ったのが十六歳のとき。その故事に倣って十六歳になった王族は儀式として、とある神殿に一人で赴き、勇者の証を取ってくるという行事が旅立ちの儀である。

 もともとは一人で行う儀式だったが、王族の安全性と、レナ様が旅立つときにはすでに仲間がいたという事実から、今では当事者の王族のほかに、誰か一名が付き添うことが慣例になっているとのことである。

「……もしかして、それが僕ってことですか?」

 姫様とレオーネさんがまったく同じ動作でうなずいた。

 そんな話は聞いていない。そもそも今日ここにきたのだって、レオーネさんが家や学校に裏から手を回し、無理やり連れて来られたようなものだ。

「いやいや無理ですって。僕は親父みたいに武術の心得もない、ただの学生ですし、魔法だって簡単なのくらいしか使えませんし!」

「大丈夫です。儀礼的なものですから。ゆっくり行って、ゆっくり帰ってくるだけです」

「そうそう。王室の行事に危険なことなんてあるはずがなかろう。――まぁ試練の儀でもあるので、多少は起こりうるかもしれないがな」

 レオーネさんが、くっくっくと笑う。

 駄目だ。これは絶対何かがある。平然と姫様に魔法をぶつける人だし。

 なんとか上手く断る方法はないかと必死に考えていると、僕の耳元でレオーネさんが小声で囁いた。

「……リラ姫様はこの日をすごく楽しみに待っておられたのだが」

 はっとして僕は、姫様の顔をそっとのぞき見た。

 わくわくとした表情は、公式行事で見せる微笑と違って、僕と同い年の女の子と変わらないものだった。レオーネさんの言葉もあながち嘘じゃないのかもしれない。

「……ちなみに、僕が断ったらどうなるんですか?」

「そら、中止よ」

 あっさりとしたレオーネさんの言葉に、僕は考え込んでしまった。

 受けるのはとても畏れ多い。けれど無下に断るのも畏れ多い。だからと言って、本当に僕なんかでいいのだろうか。

 僕はレオーネさんに顔を近づけ、姫様に聞こえないようこっそりと尋ねる。

「……あの、姫様と二人きりってことですよね? 一応男と女ですし。僕が姫様に変なことするとか考えてないんですか?」

「なに、絶対防御を誇るリラ姫様だ。君ごときに襲われたところで、傷物になるとは思えん」

「いや、まぁそうかもしれませんけど……」

「なんの話をしているのですか?」

 突然姫様が話に割り込んできて、僕は飛び上がった。

「なっ、なんでもないですっ」

「そうですか」

 姫様は特に気にした様子もなく、にこにこしていた。

 その笑顔を見ていたら、とても嫌だとは言えなくなってしまった。

 結局僕は、強引なレオーネさんと無垢な姫様を前にして反対できず、しぶしぶ儀式に出ることを了承してしまった。


 話が決まると早速、僕たちはお城のテラスに移動した。

 燦々と輝く太陽の光にくらっとしたけれど、お城が高台にあるためか風がとても心地よい。見上げる空は雲ひとつ見当たらない見事に透き通った水色だった。

「それでは出発するぞ」

 レオーネさんが僕とリラを後ろから抱き寄せるような格好で立って呪文を唱え始めた。すぐ隣に立つリラにドキドキしてしまう。ちらりと横を見ると目が合ってしまった。軽く首を傾げられ、僕は思わず赤面した。

 そうこうしているうちに、僕たちの身体がふわりと浮き上がり、猛スピードで動き出した。高速移動の魔法だ。容赦ない風が全身にぶつかり、眼下の景色が変わっていく。なかなか爽快な光景だったけれど、強い風に耐えられず僕は目を閉じた。

「着いたぞ」

 しばらくして身体に当たる風がなくなったかと思った頃、レオーネさんが言った。

 瞳を開けると、いつの間にか町並みはすっかり消えていて、視界の端から端まで続く広大な森のはるか上空に浮かんでいた。足元を覗きこむと、濃い緑の絨毯の中にぽっかりと開いた空間があり、その中心に小さな建造物が見えた。

「……あれですか?」

「うむ。あの建物が儀式の場だよ。――おっと、手が滑った」

「あら……あらら~」

 突然、姫様だけが魔法が解けたみたいに急落下した。

 どんどん小さくなっていく姫様はあっという間に地面に到達して、微かな土煙が舞った。

「なっ、何やってるんですかっ。レオーネさん」

「だから言っただろう。手が滑ったと」

「いやいや魔法で手が滑るって。――とにかく、早く降ろしてください。もちろん自由落下じゃなくてっ」

「はいはい」

 わざとやっているんじゃないだろうかと思うほど、ゆっくりと地面まで降りる時間がもどかしかった。ようやく地に足が付いて魔法から解放されると、僕は姫様の下に駆け寄った。

 足から落ちたはずの姫様は、離れた所になぜか頭から地面に突き刺さっていた。普通ならバラバラに弾け飛んで跡形もないだろうけど、姫様はそれはもう綺麗なくらい見事に突き刺さっていた。

 けれど地面から出ている足をばたつかせている姿は、信じられないことに、意外と元気そうだった。ともすれば下着が見えてしまいそうな体勢だけれど、マントが上手く隠してくれているおかげで、目をそらさず駆けつけることができた。

「姫様っ」

「ぷはーっ」

 近くまで駆け寄ったところで、姫様が顔を出した。顔と服が泥で汚れているけれど、傷ついているところは見られなかった。それでも尋ねてみる。

「大丈夫ですか? 怪我していませんか? 痛くはないですか?」

「痛くはないですが、息が出来なくて苦しかったです。モグラさんはすごいと思いました」

「……そうですか」

「はい。モグラさんはすごいです。とってもそう思いましたので二度言いました」

「……そうですか」

 僕もなぜか二度言ってしまった。

「……ちっ」

 背後でレオーネさんの舌打ちが聞こえた。今回も絶対防御とやらが発動しただけで、魔法が使えるようになった様子がないからだろう。

 それにしてもこの人は普段からこんなことをしているのだろうか。

 このあとの儀式がどうなるのか不安になってきた。

 そんな僕の心中を知ってか知らずか、レオーネさんがしれっと説明する。

「さて。私は儀式中、神殿に入ることはできない。リラ姫様と君だけで、この神殿の最深部にある勇者の証を取って来ることになる」

 目の前に広がるのは、蔦が張った古い神殿だった。広大な森の中に建てられた神殿は何に使われたものだろう。眼下に見たときと違い、目前で見るとかなり大きな建造物だった。どこに勇者の証があるのか分からないけど、意外と本格的かもしれない。

「それではシロト。参りましょう」

 僕がしり込みしていると、ぱたぱたと髪の毛と服に着いた泥を払った姫様が隣にやってきて、臆することもなく神殿の入り口に向かった。

「は、はい」

 僕も慌てて後に続いた。

 石造りの開け放たれた門をくぐり抜け建物内に入るとすぐ、通路が右に曲がっていた。どうやら神殿の外壁に沿って回廊が続いているようだ。天井に近い壁に日を取り入れる窓があり、通路は明るく歩きやすい。石畳の床や壁も、意外としっかりしており、すぐに崩れるようなことはなさそうだ。まぁ、試練に使うくらいだから下調べはしっかりしているのだろう。

 しばらくぼんやりと建物を見回しながら歩いていると、柔らかい何かにぶつかってしまった。

 それは急に立ち止まった姫様の背中だった。僕は慌てて平謝りする。

「す、すみませんっ」

「いえ……それより、ようやく二人きりになれました」

 振り返った姫様は怒るどころか、飛びっきりの笑顔を僕に向けた。

 思わずどきりとする。

 そんな僕の心境を知ってか知らずか、姫様が続ける。

「本当はシロトと再会したときもっといっぱいお喋りしたかったのですが、時間は限られていますし、せっかくお話しするのなら、二人きりのときの方がいいと思っていました」

 姫様の言葉を聞いて初めて、十年ぶりに再会しながら、まともに会話を交わしていなかったことに気づいた。

「あっ、はい。確かにどたばたしていたですから……」

「あの、シロト」

 少し気分を害した様子で姫様が遮る。

「はい。なんですか」

「昔みたいに、敬語を使わないで話してほしいです」

 唐突な願いに、僕は混乱した。

 確かに昔は、お姫様だって分かっていても普通に会話していた。

 けれどそれは、僕が子供で幼かったからだ。絵本や童話の中にもたくさんのお姫様がいるので珍しくなかったし。今はとても畏れ多くて言えそうにない。

「それはちょっと……姫様だって、です・ます調じゃないですか」

 思わず余計なことを口走ってしまった。気を悪くされてしまうだろうか?

「あぁ、それもそうですね」

「って納得するんだっ!?」

 僕が突っ込みを入れると、姫様が心なしか嬉しそうに微笑んだ。

 あっ。勢いで突っ込んでしまったけど、今のはタメ口だった。

 ちなみに姫様は幼いころから、です・ます調で話していた気がする。

「ではシロト。話し方は好きなように任せます。けれど二人っきりのときは姫様ではなく昔のように、リラと呼んでほしいです」

「さすがにそれも……」

 タメ口よりこっちのほうが難易度高いような気がする。

 姫様のまっすぐな視線が僕に向いている。僕はたまらず目をそらしてしまう。なかなか返答しないと、姫様がややつんとした口調で言った。

「名前で呼んでくれないと返事しません」

「リラ……様」

「様付けも禁止です」

 ぷぅっと膨れて、そっぽ向く姫様……じゃなくてリラを見た瞬間、僕は思わず頬が緩んでしまった。

 なんか駄々っ子みたいだ。遠い存在になってしまったと思っていた彼女の年相応の様子が見られて、少し嬉しくなった。

「分かりました。――リラ」

「はい。何でしょうか?」

 振り返った彼女の顔には満面の笑みが浮かんでいた。

「……何でしょうって、呼んでくれって言ったから呼んだんだけど」

「私はシロトが呼んだから聞いただけです」

 そう言ってくすくすとリラが笑った。僕も釣られて笑ってしまった。

「それではゆっくり参りましょうか」

 リラの提案通りゆっくり歩きながら、僕たちは幼いころの昔話に花を咲かせた。僕の学校の話もリラはよく聞きたがったので色々と話してやった。けど逆に僕がリラの通っている学校の話をすると、やんわりとはぐらかされてしまった。まぁ王族だし、口外できない機密もあるのだろう。

「……暗くなってきましたね」

 しばらく進むと、入り口付近と違って日の光が届かなくなってきた。日光を取り入れるための小さな窓があるようだけれど、ほとんど真っ暗という場所もある。

 迷路のように入り組んでいて通路も狭い。所々崩れた壁もあり、歩き難い。

「そうですねぇ」

 けれどリラは恐れた様子もなくマイペースに奥へと進む。

「リラ……なんかさっきからゴンっという音が聞こえてくるんだけど」

「さっきから、五度ほど柱や壁にぶつかっているせいでしょうか。あまり気になりませんでした」

「僕は気にするんで……ちょっと待ってください」

 僕は立ち止まると、手のひらを軽く上に向け呪文を唱えて、微かな光を生み出した。人間が夜の闇と共存するため生み出された、もっとも基本的な魔法の一つだ。

 けれどリラはぼんやり浮かぶ魔法の光を見て、興奮した口調で言った。

「シロト、凄いです」

「いや……そんな。簡単な魔法だよ」

 生まれつきの才能である魔力がほんの少しでもあれば、簡単な呪文に精神を構成させるだけで出来るものだけど、興味津々のリラを見ていると、本当に魔法が使えないようだ。

 魔力は主に遺伝による個人差がある。その点ではリラの家系はまったく問題ない。絶対防御が魔法によるものだとしたら、魔力がゼロというわけではないんだろうけど。

「そうらしいのですが、私には魔法はさっぱりです」

 僕の疑問に、リラは特に困った様子も見せずに答えた。

「学校は大丈夫なの?」

 レナ様の子孫である王女様が全く魔法を使えない、なんて知られたら大スクープではないだろうか。

「学校で魔法の勉強はしませんから」

 リラがしれっと言う。魔法は魔力がない人は絶対に使うことができないため、共同生活の場である学校の授業で習うことはない。

「そうだけど、でもある程度は魔法を使えたほうがいいんじゃないかな。身を守る方法を覚えないと。僕なんかと違って、一国のお姫様なんだし」

 絶対防御があるので、事故とか暗殺とかは大丈夫そうだけれど、営利目的や政治目的の拉致誘拐には役立ちそうにはない。

 レオーネさんがリラに無理やりでも魔法を覚えさせようとしているのは、そのためだろう。エリート路線云々はともかく。

 ……まぁ親父の場合は、単にただ殴りたいだけだろうけど。

「大丈夫ですよ」

 リラが言う。

「シロトが守ってくださるから」

 のんきな答えに、僕はがくっとしてしまった。

「いやいや、一介の学生にそんな期待をされても。そもそも今日はともかく、他の日はどうするんですか」

「でも、お父様のクロトと同じく、近衛隊に入るのでしょう?」

 その何気ない一言に、僕の中の何かがさっと冷えていくのを感じた。

「――入りません」

「え? でも……」

「僕は親父とは違います。そういう家系だからという理由で親の跡を継ぐことはありませんし、そもそも親父のようにはなりたくありません」

 語尾が自然と怒鳴るように強くなってしまった。

 子供の頃、家柄のせいでいじめられることが多かったせいか、僕は親父のようにはならないで普通の仕事に就くと固く決めていた。

 それなのに、リラがさも当然といった様子だったので、つい過敏に反応してしまった。

「……申し訳ございません。私てっきり」

 リラの消え入りそうな声と、顔を見て、僕は、しまったと思った。

 殴られても燃やされても埋められても常に笑顔でのほほんとしていたリラが、とても痛そうな顔をしていた。

 絶対防御という変な特技を持っていても、王女様だとしても、彼女が僕と同年代の少女であることを忘れていた。

「すいません。少し口調が厳しすぎました」

「いえ。私こそ失礼いたしました。シロトの申すとおり最低限の身を守るすべは身につけないとなりませんね」

 リラの口調が思ったより落ち着いていて、僕は安心した。けどリラの目を見た途端、はっと息を呑んでしまった。

 さっきまでののほほんとした顔や、公務で見せる微笑は全く見られない。

 凛とした、一国の王女としての顔をしていた。

「それでは早く参りましょう」

 リラはふさっと髪の毛を翻すと、僕に背を向け歩き出した。

 よそよそしいとか他人行儀とかとも違うけど、リラはどこか近寄りがたいオーラを漂わせていた。言葉遣いもどこか変わった気がするし、並んで歩くのが失礼に思えるくらいの威厳を感じる。比較的親しみやすさが人気な彼女も、やはり王家の人間なのだと思い知らされた。

 とはいえ後ろを付いていくのはどうかと思い、僕は慌てて追いついて遠慮がちに少し離れて隣を歩いた。

 今のリラと、さっきのおっとりとしたリラ。

 どっちが本当の彼女なのだろうか。

 ついさっきまでいくらでも見られた彼女の顔をそっとのぞき見たけれど、リラはただ前だけを見つめ、僕の方を見ようとはしなかった。


 なんとなく気まずい雰囲気の中を歩く。どれくらい経ったのか、狭い通路を抜けると広間に出た。

 僕は思わず瞳を細めた。

 高い天井の一部がガラス張りになっていて、広間には外の光が差し込んできていた。魔法の光に慣れていた瞳には強すぎる太陽の光だったけれど、暗い閉鎖空間から解放されただけでも、ほっとした。

「ようやく明るいところに出られました」

 リラも同じ気持ちだったのか、口調が前に戻って少し柔らかく感じた。

 僕はリラが元に戻って少しほっとした。けれど彼女がとった行動は、すたすたと僕から離れるように広間の中央に向かうことだった。

 さっきまでは僕の魔法の光が必要だったから側にいたけれど、今は必要ないからだろう。

 ぽつりと取り残された僕はふと天井に視線を向けた。真ん中に大きなシャンデリアが釣り下がっていた。光は付いていないけれど、外から入ってくる陽光に反射して黄金色に輝いていた。すす汚れた神殿の天井や壁に比べて、不自然に豪勢で新しいシャンデリアだ。

「あら? この床だけ色が変わっています」

 部屋の中央まで進んだリラが、その床の上で足を止めた。どこかで、「カチ」という音がした。

 僕はなんとなく嫌な予感を覚えて、天井を見上げた。

 すると、シャンデリアが大きく揺れていた。繋ぎとめていた鎖が今にも取れかけそうだ。リラは足元を覗き込んでいるだけで、気づく様子は見えない。

「リラっ!」

 身体が反射的に動いていた。

 リラなら例えシャンデリアが直撃しても大丈夫なはずなのに。気づいたら、僕は頭から飛び込むようにしてリラを背中から突き飛ばしていた。

 リラの小さな悲鳴とともに何かが外れる音が耳に入った。倒れこんだ身体をひねって天井を見上げると、眼前にシャンデリアが迫っていた。

 思ったよりも、ずっと大きい。

 ――やばい。

「シロトっ」

 リラの叫び声は、ガラスの割れる派手な音によってかき消された。


  ◇ ◇ ◇ ◇


 あれ?

 ここはどこだろう。

 ぼんやりとぼやけた空間。どっちが上で下かも分からない。

 紫のもやのようなものが漂う中、一人の男が、僕に背を向けて立っていた。二十代くらいだろうか。僕より年上で、親父よりは若い。

「姫を助けようとして、姫の能力に己が助けられたか。いと情けなし」

 男が振り返らずにぼそりと呟いた。

「……え? 何を言って……」

「だが、姫の能力は無意識に依るもの。発動は不安定。両人を守護できるほどの技量もない」

「あの……」

「それ故、姫に危害が及ぶかもしれぬ。そのうち元に戻るだろうが」

 声をかけても、何の反応もなく男は言葉を言葉を続ける。男の前に回り込んでやろうかと思ったけれど、不思議なことに身体が動かない。

「もし必要なら力を貸そう。それは主のためではない。我の願いだ」

 ぼんやりとした霧の中、男がゆっくりと振り返った。暗い影を感じるその顔。どこかで見たような……


  ◇ ◇ ◇ ◇


 リラの衣を裂くような悲鳴が耳に入って、僕は目を開けた。

 首を横に向けると、僕に突き飛ばされたリラが倒れたまま、こっちに向けて手を伸ばしながら叫んでいた。

 初めて見るリラの悲痛な表情。必死に伸ばされる手。

 シャンデリアが落ちてからずいぶん時間が経つのに、僕は呑気に夢でも見ていたのだろうか。

 あぁそうか。これが走馬灯ってやつなんだ……って、あれ?

「……痛くない?」

 僕は思わず叫んで起きあがった。起き上がれた。まったく問題なく。

 痛みもなければ傷もない。頭を打った感じもない。意識もしっかりしている。まるでさっきまでのことが夢だったのではないかと疑ってしまうくらい、何にもない。立ち上がった僕の身体から、シャンデリアの破片がぱらぱらと落ちていく。

「シロト」

 リラが立ち上がるとすぐに足をもつらせながら駆け寄ってきて――こけた。

「……痛いです」

 リラが右腕を掲げた。ガラスの破片はなく、ただ石畳にぶつけただけのようだったけれど、薄っすら血がにじんでいた。

 まったくもう、起き上がってすぐに慌てて走るから……って、えっ?

「まさか……」

 僕はこけたままのリラの下に駆け寄った。そして上目遣いに僕を見る彼女の柔らかそうな頬を思わずつかんで、つねってみた。

「ひっひらいれすっ。ひろろっ」

 つかまれたままリラが口を動かして抗議の声を上げる。

 僕は手を放してリラに訊ねた。

「あっ。すいません。つい……じゃなくて、それより今の、痛かったですか?」

「はい。とっても痛かったです」

「やっぱり……」

「はぁ」

 座り込んだまま、リラはいまいち状況を理解していない様子で首をかしげた。

 僕は腰をかがめ、近くに落ちているシャンデリアの破片を手に取った。恐る恐る力をこめて握ってみたけれど、痛みはまったく感じない。手も切れない。不思議な力が働いているような感覚だけがする。

 ――姫の助けようとして姫の力に助けられた。

 夢の中での男の言葉が思い浮かぶ。

 やっぱり。僕はリラの絶対防御の力に助けられたんだ。けれど絶対防御の力が僕に移ったことで、リラの力は失われてしまった。

 僕はそのことをリラに告げた。

「……事情は分かりました。意識的何かをしたというわけではありませんが、私の力などでシロトが助かってよかったです」

 説明を聞きながら、リラは僕につねられた頬を、どこか愛おしげに擦っていた。――強くつねり過ぎただろうか。

「でもそのせいでリラの能力が……」

「構いません。ですがその、シロトが無事で、ほっとして力が抜けてしまいました」

 座ったままのリラが恥ずかしげに頬を染めた。

 僕はリラの異変に気づかなかったことを恥じながら、手を貸して彼女を起き上がらせた。くいっと手を引っ張ると、反動でリラの身体が僕に寄って、彼女の顔が目の前まで迫った。

 思わず見詰め合って固まってしまう。

 先に動いたのはリラだった。

 ぱっと、やや強引に僕の手を振り払うと、僕から距離を取った。

 そして、たたずまいを直して言った。

「シロト。申し訳ございませんでした。私を守ってくださって」

「いや、でも、リラならシャンデリアにぶつかっても平気だったかもしれないから、余計なことだったけど」

「いえ。そのようなことはありません。……とても嬉しかったです」

 リラが微笑んだ。けれどその笑顔にはどこか距離感を感じた。

「でもリラが『痛い』って感覚を知っているとはちょっと驚いたな。あ、昔は絶対防御がなかったんだっけ」

 シャンデリアからゆっくり離れつつ、僕は話題をそらすため、ふと思った疑問を口にした。

「いえ、今でも痛いことはあります。生理痛はとっても痛いです」

 同じく広間の隅に移動したリラが真顔で答えた。

「そ、そうなんですか……?」

「はい。とっても痛いです」

「はぁ」

「男の子に生まれたかったと切に願います」

「あのすみません。もうそれくらいで……」

 思わず赤面しながら、僕は話をさえぎった。

「――それに、心も痛みます」

 生理痛ネタが続いたのかと一瞬思ったけれど、リラの顔を見て気づいた。

「さきほどシロトに失礼な言葉を口にしてしまったときは、すごく、とっても胸が痛かったです」

 リラは胸に軽く手を当て、うつむき加減に話す。その辛そうな表情を見て、僕も胸が締め付けられるような思いがした。

「……すみません」

「謝らないでください。私が悪かったのです。シロトの反応がどうこうではなく、シロトの気持ちも考えずあのようなことを言ってしまった自分自身に腹が立って心が痛かったです。それなのにシロトは命がけで私を助けてくれて。――ごめんなさい」

 そう言って、リラは大きく頭を下げた。長い髪の毛がさらりと垂れる。

「あ、いや、そんな……っ」

 突然の出来事に、僕は混乱してしまった。

 リラは頭を下げたままだ。何か反応しないと。

「えっと、それはともかく、ここから離れた方がいいかもしれない。他に何かあるか分からないし」

 結局、僕は誤魔化してしまった。

「……はい」

 リラがやや釈然としない様子で顔を上げた。

「さてと……これからどうする?」

 奥に進むべきか、いったん戻るべきか。

 あとどれくらい進めば勇者の証がある場所までたどり着けるのだろうか。神殿に入ってからそれなりに歩いたから半分くらいは進んだのかもしれない。まだまだ先かもしれない。

「奥に進みましょう」

 リラが迷いのない口調で言った。

「旅立ちの儀は、王族が立ち向かう試練だとレオーネに言われました」

「そうだね……。分かった。進もう」

 怯えつつも逃げずにしっかり判断を下すところはさすがだった。

「はい」

 リラの絶対防御の能力がいつ元通りになるか、そもそも戻るのか保証はない。とっとと儀式を終わらせて戻るべきだろう。

 広間を抜けて、神殿の奥へと続く通路に入る。この辺りの壁には魔法がかけられているようで微かに発光している。リラが壁や柱にぶつかる心配はない。

 この魔法は神殿が建てられたときに掛けられたものだろうか。それとも誰かがつい最近掛けたものだろうか。たとえば、レオーネさんとか。

 あの人なら、シャンデリアの仕掛けを作りかねない。この先もリラの絶対防御を想定して作られた危険な仕掛けがあるかもしれない。もし今それをリラが受けたら……あまり考えたくない。

 カツカツと、二人の足音だけが響く。

 果敢に奥に進もうと提案したリラだけれど、さすがに少し青ざめていて、怯えの色が見えた。けれど神殿に入ったころの、のほほんとした雰囲気は影をひそめているのは、絶対防御がなくなっているからだけじゃないだろう

 奥の通路に入ってからも、僕とリラの間に会話らしいものはない。

 原因はやっぱり、さっきのちょっとした衝突のせいだろう。

 シャンデリアからリラを守ったとき、彼女は「ありがとう」ではなく「申し訳ない」と言った。やはり僕の一言が堪えているのだろう。それに加え、リラが発言を謝罪して頭を下げたのに、僕は誤魔化してうやむやにしてしまった。

 リラに悪気がなかったのは分かる。

 けれど自分の意思が否定されてしまう気がして、謝罪を受け入れられなかった。

(――ってもう情けないっ。結局僕がうじうじ気にしているだけじゃないかっ)

 今のリラは絶対防御を失ったただの女の子なんだ。隣にいる僕が守らなくてどうする。

 僕は頭を振って雑念を取り払うと、慎重に歩みを進めるリラに声かけた。

「あのさ、リラ――」

「はい。なんでしょう」

「その……さっきはあんなこと言っちゃって、こっちこそ、ごめん」

「――いえ」

「将来のことは分からない。けど今日だけは僕がリラを守るから」

「でも……」

「大丈夫。これはリラがどうこうじゃなくて、僕の意思なんだ。嫌々守るんじゃないから。その、あんなこと言ったのに、都合良過ぎるかな……?」

「――いえ」

 リラは軽く瞳を閉じて首を小さく横に振った。

「ありがとう。よろしくお願いします」

 リラがとても嬉しそうに笑みを浮かべた。子供のころから見せてきた自然な笑顔だった。見ている人まで幸せになるような微笑み。僕の心の中に暖かいものが満たされると同時に、この笑顔を何があっても守り抜こうと決意した。

 そう、決意したんだけど……

「あのさ、リラ」

「はい。なんでしょう?」

 ぴったりと寄り添うようにして歩くリラが、上目遣いに僕を見た。

「……近づきすぎて、歩き難いんだけど」

「あら。近くにいないとシロトに守ってもらえませんでしょう」

 なぜかリラがにこにこしている。さっきまでの危機感が感じられない。

 機嫌が直ったのにはホッとしたけれど、どうも戸惑ってしまう。

「あら、これは」

 僕たちは足を止めた。目の前にあるのは、古風な神殿の壁に明らかに不釣り合いな朱色の丸いボタン。シャンデリアの床が連想される。

「押してみましょう」

 なのに、リラはなんのためらいもなくボタンを押してしまった。

 突然床が抜けて落ちそうになるリラを、僕は慌てて引っ張った。

「びっくりしました。ありがとう、シロト。――あら、こんなところにレバーもあります」

 リラがなんのためらいもなく突起を引いた。

 突然弓矢が飛んできて刺さりそうになるリラをかばうように、僕は身体を盾にして弓矢を防いだ。絶対防御のおかげで痛くないけれど心臓に悪い。

「あらら。こんなところには紐が」

「――ってちょっと待ったぁぁっ」

 肉体的には痛くないけど精神的にダメージを負って叫び声を上げた僕を見て、リラはきょとんと首を傾げた。

「はい。なんでしょう?」

「お願いですから。そこら辺にあるものに、むやみやたらに触らないでください」

「はい。分かりました。気をつけます」

 リラは素直にうなずいて、掴んだ紐を引っ張った。

「……あのさ、姫様?」

「姫様ではなく、リラです」

「いやそんなことより」

「触るのはいけませんが、すでに掴んだものを引っ張るのはよろしいのでしょう」

 思わず姫と呼んでしまったせいか、リラは少し不機嫌そうだった。

 がくんとどこか遠くで音がした。道の奧からゴトゴトという大きな音が近づいてくる。僕はため息をついた。

「……こういうトラップもお約束だよね」

 通路の奥から道を塞ぐように、大岩がゆっくりと徐々に勢いを増しながら転がってきた。なるほど。通路が明るかったのは、リラにあえて仕掛けを見せるためだったのか。

 大して気にしていなかったけれど、さっきから通路はずっと真っ直ぐで軽い登り道だった。後ろに戻ったとしても、通路に岩を避けられるような場所は見あたらなかった。振り返って走って逃げるにしてもタイミングを逸してしまった。

 ならば取るべき方法は一つだけ。

「……シロト」

 リラがぎゅっと僕の服の袖を引っ張る。

「大丈夫。僕が守るから」

 逃げられないのなら攻めるのみ。

 僕はリラを守るべく、岩に向かって突進する。

「うぉぉぉぉっっ」

 勢いに任せ、飛び蹴りを大岩にかました。

 ガシッ。ゴン。

 蹴りを入れた僕は身体ごとあっさりと弾かれた。大岩が何事もなかったかのように僕を踏み潰した。

 ――あ、そうか。

 絶対防御って、怪我はしないだけで、岩を粉々にできる力があるってわけじゃないんだっけ。

 ていうか、気のせいか死ぬほど痛いんですけどっ。

 床で悶える僕の視線の先で、リラも岩に巻き込まれた。

 ぺち。

 大岩はそのまま何事もなかったかのように転がっていった。

「……リラ?」

 岩が通り過ぎた通路の真ん中に、つぶれた蛙みたいな格好でリラが倒れていた。真正面からぶつかったのにうつぶせに倒れていたのか、永遠の謎だ。

 今の気持ちをなんて表現すればいいのだろう。

 それは奇跡で、とっても嬉しいことなんだけど。

 なぜか、やな予感、という表現が一番しっくりくるという違和感――

 そして予想通りというか、つぶれたリラが何事もなかったかのように、ぴょこりと身を起こした。

「あぁ。服が汚れてしまいました」

 リラは残念そうに言いながらマントの汚れをはたいた。

 汚れを落とした後に一拍置いて、脇で倒れて悶絶している僕を見て、自らの頬に軽く手を当てて小首をかしげた。

「もしかして、元に戻ったのでしょうか」

「……そ、そうみたいですね」

「まぁ良かったです」

「もう少し長引いてくれた方が良かったけどね」

「あぁっ、シロト……大丈夫ですかっ?」

 かなりタイミングが遅れて心配された。何ともリラらしいというか。

「え、えぇ……なんとか」

 身体中が痛い。それでもなんとか身を起こせてしまったのは、大岩にしては不自然なほど軽かったせいか、それとも親父に似てしまったからか。……あまり後者は考えたくない。

「少し休憩いたしましょうか」

「いや大丈夫です。行きましょう。罠が待ち構えているかもしれないし、早く終わらせよう」

「そうですか……分かりました」

 リラが一瞬複雑そうな表情を見せた。

 そのときの僕は、身体のことを気遣ってくれているのだろう程度にしか思わなかった。


 その後は大きな問題なく、僕たちは神殿の最深部までやってきた。

 罠らしきものがいくつか見られたけれど、さすがにリラも勉強して引っかかることはなかった。それにレオーネさんが失敗したのか、すでに勝手に発動し終わってしまった罠も多かったので、特に危険はなかった。

 シャンデリアのあった広間より広い空間。入り口からまっすぐ進んだ奥が一段高くなっていて、その階段を上ったところに祭壇らしきものがある。あそこに勇者の証があるんだろう。

 階段の近くまで歩いて、リラは足を止めた。

「どうしたの?」

「これでもうおしまいだと思うと、少し残念です」

 リラはなぜか表情を曇らせ、名残惜しそうにしていた。

「シロト。私……」

 リラが何かを言いかけたときだった。

 部屋が一瞬光ったかと思うと、僕の全身に衝撃が走った。

「……っぅぅ!」

 まともな声も上げられずに、僕は床に崩れ落ちた。

 ショック系の魔法だ。身体が動かない。

「し、シロトっ?」

 リラが驚いた様子で僕を助け起こそうとする。

 だが僕の目の前で、その身体を何者かにつかまれた。

「誰っ――? はっ、離しなさいっ!」

 リラが気丈に叫ぶ。けど無骨な手が、彼女の小さな口を塞ぐ。

 彼女を羽交い絞めしているのは、見覚えのない男だった。森に木々に紛れるような柄の服に身を包み、同じ柄の布で口を覆って、顔を隠している。

「……正直なところ、本当に王女が現れるとは思っていなかった。出所の怪しい情報だったが来てみるものだな」

 部屋の隅、死角になっていた所から、別の声が聞こえた。

 長い白髪を頭の後ろで纏めた初老の男だった。不自然な柄の服をまとった男と違い、街で普通に見かけそうな格好をしている。けれど氷を連想させる鋭い眼光と頬に刻まれた大きな傷跡、それにがっしりとした体つきを見るに、単なる一般人とはとても思えない。その隣にもう一人、リラを捕まえている奴と同じ格好をした男が立っていた。僕に魔法を放ったのがどちらだったのかは分からない。けれど初老の男がリーダーで、残りの二人はその手下というところだろうか。

 捕らわれたリラが無理やり入り口のところまで連れて行かれる。初老の男が顔をそむけるリラの顔を強引に覗き込んで、満足げにうなずく。

「ほぅ。どうやら本物のようだな。なるほど。あのやたらあった仕掛けは、侵入者を防ぐものだったのか」

 よく見ると、服がぼろぼろになっていて、他の二人もくたびれた様子が窺えた。

 ――レオーネさんの仕掛けがほかにもあったんだ。

 僕は思わず苦笑いして……その表情が固まった。

 罠に掛かったということは、彼らはエキストラではない――?

 いくら国民に絶大な支持を受けているとはいえ、王室を恨む人間がいないわけではない。リラは一国のお姫様だ。反王国主義者や、外国の諜報機関など、その身を狙う敵がいても不思議ではない。

 王宮は言うに及ばず、公式行事で城を出るときだって、しっかりと親父をはじめとする近衛隊が王族を守っている。

 けれど今はどうだ? リラの隣にいるのは祖先が七勇者で父親が近衛隊長というだけの、武術の心得もないただの学生が一人。これほど狙い易いときはない。

「むーむーっ」

 リラが身体をじたばたさせて抵抗するけど、魔法も護身術も使えない非力な彼女では逃れられない。予想通り、絶対防御は連れ去りや誘拐には、あまりに無防備だった。けれど傷つかないならとりあえずは安心。相手も一国の姫という価値観を分かっているはずだから手荒な真似もしないだろう。

 そう考えていたらリラと目が合った。必死に僕の元に駆け寄ろうとする瞳。

 ……僕は何を考えていたんだ。違うだろっ。

 今日一日は、リラを守るって約束したじゃないか。

 リラが目の前で黙って連れ去られるのだって、見ていられない。

 僕は力を入れて立ち上がった。

 けれど、男たちが僕に向けた声は冷ややかなものだった。

「……どうしますか?」

「学生か? 付き人に用はない。殺せ。姫さんは傷物にしたら後々面倒だが、こいつは問題ない。死体が落ちていれば、警告にもなるし、姫さんも大人しくなるだろう」

「……はっ」

 冷徹な言いように、僕はぞくりとした。

 殺しを平然と指示するさまは、のほほんと親のすねをかじって暮らしてきた僕とは雲泥の差だった。

 顔を覆った男がゆっくり近づいてくる。手にしているのは、果物を切るにしては大きすぎるナイフ。さっきまでの決意はどこへやら。恐怖で足が動かない。

「シロトっ!」

 リラが逃れようと暴れている。ぎゅっと身体を締めつけられても抵抗をやめない。彼女を捕まえている男が苛立ち気味に肘をリラの身体に打ちつける。痛みは感じていないだろうけど、下衆な男にリラの身体が打たれるのは、見るに堪え得なかった。

「うわぁぁぁっっ!」

 僕は気力を振り絞って、迫り来る男に殴りかかった。

 けれど僕の拳はあっさりかわされて、光る凶器を下腹部に叩きこまれた。

 衝撃を受けた僕は弾き飛ばされ、石畳の上に倒れ込んだ。

「――いやぁぁっっっ!」

 リラの甲高い悲鳴が神殿内に響き渡った。

 今更だけど、自分が死んだとき本気で悲しんでくれる人がいるのは嬉しかった。ただリラを悲しませてしまったことが心残りだった。

「……ん?」

 僕を刺した男が、なぜか怪訝げな声を発した。彼が手に持つナイフは血に濡れた様子もなく、銀色に光ったままだった。

 僕はようやく気付いた。――刺されたのに痛みを感じていないことに。

 男に見られないよう、そっと刺された腹をさすった。痛みはない。血も出ていない。服が破けている様子もなかった。

「シロトっ! 離してっ、離しなさい! 人殺しっっ」

「――うるせぇ。黙ってろ!」

「っ――痛いです……」

 やばい。

 僕の頬に脂汗が伝った。

 シャンデリアのときと同じだ。

 僕の危機に、リラは無意識で絶対防御を移してくれたんだ。

 おかげで僕は命拾いした。けれど問題なのはリラだ。これ以上男たちに殴られて痛い思いをさせるわけにはいかない。

 僕は身体に力を入れて飛び起きた。

「なに?」

「シロト!」

 男たちが色めきたち、リラが歓声を上げた。

 死んだふりをして男たちの不意を突く作戦も考えたけれど、僕が無事なのを見て涙を流さんとばかりに喜んでいるリラの顔が見て、僕は選択した行動が間違っていなかったと実感した。

 さて、どうする?

 絶対防御があっても武術の心得のない僕に、目の前の男を倒すことなんてできるだろうか。それに下手な抵抗すれば、リラを人質にされる可能性もある。

 立ったまま動けない僕に向かって、ナイフを持った男が、少し警戒した様子で近づいてくる。何かの間違いだと思っているんだろう。まだ絶対防御のことは気づかれていない、と思う。

 男が近づくたびに、僕は時間を稼ぐためにゆっくりと後ずさる。それが繰り返され、僕が祭壇前の階段に近づいたときだった。

 カチ。

 やけに軽い音が僕の足の下から聞こえた。

 ああ。そうか。

 僕は悟った。

 勇者の証が目の前にある階段のすぐ手前。

 罠をかけるのに絶好の場所じゃないか。

 ごごごご……

 神殿が揺れる。

 頭上に光が差し込んだ。魔法による柔らかな光とは比べ物にならない。太陽の光だった。見上げると天井がすっぽりと開いていた。かと思ったら、急に暗くなった。何かが開いた天井から落ちてくる。やたら大きな爬虫類――

 ぺち。

 空から降ってきたドラゴンに――僕は踏まれた。

「ぴぎゃぁぁぁぁあぁぁっっ」

 ドラゴンの甲高い咆哮が震える神殿をさらに揺るがした。

 男たちが慌てふためく。その様子を驚くほど冷静に見つめながら、僕はレオーネさんが言っていた「ドラゴンが踏んでも壊れないプリンセス」という言葉が本当だったことを悟った。

 いつから天井の上で待機していたのか分からないけど、落とされてご機嫌斜めなドラゴンが暴れ、男たちが右往左往する。天井が開くと同時に出入り口の扉は閉ざされてしまっているため、彼らに逃げ道はない。

 巨大で堅いうろこを持つドラゴン相手では、ちゃちなナイフや魔法ではとても太刀打ちできないだろう。

 絶対防御がある僕は、ぼけーとその様子を見つめていた。

 なるほど。リラののほほんとした性格は、絶対防御によるところもあるのかもしれな――って、ちょっと待てっ。

 僕ははっと気付いた。今のリラに絶対防御がないことに。

 やばい。リラが危ないっ。

 男たちはドラゴンから逃れるため、リラを床に突き飛ばしていた。

 ドラゴンの大きな灰色の瞳に、石の床に倒れているリラの姿が映し出された。さすがに恐怖を感じているのか、どこか足を打ったのか、リラは倒れこんだまま動こうとしない。ドラゴンが大きな口を開け、鋭い牙をリラに向けた。

「リラっ!」

 僕は全ての力を振り絞ってリラの元に駆け寄った。

 間に合うだろうか。

 絶対防御がリラに移ってくれさえすれば――

 一瞬よぎったそんな思いを、僕は頭を振って否定する。

 無意識の現象に頼っちゃ駄目だ。僕がリラを守るって約束したじゃないか!

『――その心意気や良し。主に我が力を託そう――』

 そのときだった。

 視界も頭の中も真っ白になる。

 どこか聞き覚えのある声が、頭の中に響いた。

 そして次の瞬間。

 僕は、今まさにリラをかみ砕かんとした巨大なドラゴンを素手で弾き飛ばしていた。

「な、なんだ。これはっ?」

 そう。弾き飛ばしたのだ。自分の何十倍もあろうドラゴンを。

 あり得ない信じられない出来ごとに混乱しつつ、僕は自らの身体を確認する。

 絶対防御の何とものほほんとした暖かい感じとは違う。

 今は燃えるように熱い。闘志が身体の奥底からみなぎってくる。

「……まさか、これは僕に隠された力なのか……」

 力が溢れる拳を見つめ、僕は誰ともなく声を漏らす。

 そのとき、リラではない他の女性の叫び声が神殿内に響き渡った。

「愚か者っ。リラ姫様ではなく君が覚醒してどうするっ?」

「レオーネさんっ?」

「フハハ。魔女よ。貴様の作戦は失敗だったな。後は遠慮なくやらせてもらうぞ」

「――って親父もっ?」

 突然の乱入者に僕は戸惑い立ち尽くす。

 そんな僕の様子を気にも留めず、親父は起き上がったドラゴンにアッパーカットをかました。そして仰け反ったところを回し蹴り。さらにはしっぽを掴んでジャイアントスイング。部屋の隅っこに集まるようにして隠れていた反王国主義者の集団にドラゴンを放り投げる。

「フハハハハ」

 ドラゴンと男たちの阿鼻叫喚の中に親父が笑いながら突っ込んでいく。

 その様子を呆気にとられながら見つめてしまっている僕の横で、レオーネさんが呟いた。

「君のその力は、七勇者ロイドのものか。なるほど。なんとも分かり易い」

「え? どういうことですか」

「他の七勇者が各方面で活躍する中、君の祖先であるロイド様は、一兵士としてこの国を守った。かってレナ様に命を助けられた恩返しというのが一般的な説だが。一説によると、恋愛感情が合っとかないかとか」

 割と有名な俗説というやつだ。こうして僕がいると言うことは、結局は他の女性と結ばれたわけだけど、面白がって悲恋扱いする人も多い。

 つまり、惚れていたレナ様(の子孫であるリラ)を守るため、僕に力を貸してくれたということだろうか?

「でもそんなことが本当に起るんですか?」

「――君は『イヤボーン現象』というものを知っているかな?」

「イヤボーン?」

「昔話や小説でよく見るだろう。危機が迫ったとき隠された力が発動する現象だ。いやぁぁ、と叫び、力が爆発、という流れを」

「あ、はい。なんていうか、お約束ですよね。そういうの」

 まぁ「いやぁぁ」と叫んだわけじゃないけど、自分の身に起きたことだし。

「ロイド様云々はともかく、君の血の中に眠っていた力が呼び起こされたとしても不思議ではないはずだ。――まったく余計なことに」

 ふぅとため息ついてレオーネさんが続ける。

「一向に魔法を使える気配のないリラ姫様に、この現象を利用して、絶対防御のような力を発動させようと考えたのだ。しかしリラ姫様は特殊な能力のせいで自らの身に危機が迫っても問題ない」

 レオーネさんが意地悪い表情で僕の顔をちらりと見る。

「――だが、自分ではなく、親しい人に危機が降りかかったら? そうして選ばれたのが、君だったのだよ」

 つまり僕は、リラの護衛――ではなく覚醒させるための発火剤みたいなものだったのか。

「でもだったら、何年も会っていない僕じゃなくて他の人でも良かったんじゃ。例えばリラの家族とか……」

「王族にそのようなことはさせられない」

 そりゃそうですよねー。

「でも、リラ……姫様だって学校に行かれてるんだし、僕以外に親しい人だっているんじゃ……」

 するとレオーネさまが軽く顔をしかめた。

「姫様は、あまり学校ではうまくいっていないようだ」

「そう……なんですか?」

「まぁいじめとかそういうわけではないようだが、どこか距離を置いていらっしゃる感じだ」

 レオーネさんが視線を移す。親父とドラゴンの戦いは一方的に決着がついていた。

 ため息をついたレオーネさんが指をぱちんと鳴らした。するとぐったりと伸びていたドラゴンの姿がはじけるように霧散した。レオーネさんの召喚獣だったのだろう。

「――それに君のことは、近衛隊長の推薦もあったしね」

 親父を見ながら、レオーネさんが意地悪く告げた。

「それかっ!」

 思わず叫んでしまった。

 レオーネさんのせいだけでない。後を継ぐ気のない僕を覚醒させるために、親父が僕をこの場に引っ張りだしたんだ。やはりあいつが元凶だ!

「反乱分子たちに伝わるようわざと情報を流したのも彼だ。まぁ君が刺されたときは本気で心配していて、私が止めるのに苦労し……」

 レオーネさんの言葉を最後まで聞くことなく、僕の覚醒した身体は反射的に動いて、馬鹿笑いをする親父を弾き飛ばしていた。

「フハハハハ。やりおるな。愚息よ」

 手ごたえはあった。けれど平然と親父は立ち上がる。だが僕に恐れはない。

「侮るなよ。親父。覚醒して真の力を得た僕は無敵だ」

 この力! 今までいろいろ受けた仕打ち、倍にして返してやるぞ。ふはは。

「青二才が。その力、我が祖である七勇者ロイドのものか。勇者とはいえ所詮は過去の人間。その実力がどこまでのものか、楽しませてもらうぞっ!」

 狭い神殿内に拳と拳のぶつかる音がこだまする。

 僕の拳が親父の顔面をとらえれば、親父は蹴りで僕を壁まで吹き飛ばす。けれど多少の痛みは感じても、身体はぴんぴんしている。何の問題もない。

「ふっ。この程度か。ははは。効かないね。今の僕には」

 僕は身を起して高笑いをする。

 そんな僕のすぐ横で、ぽつりと取り残されたリラが、超展開にも動揺する様子もなくおっとりとした口調で言った。

「まぁシロトったら。その戦い方、やはりお父様のクロトそっくりですねぇ」

「……いま、何気にかなり傷つきました」

 急に我に返ってしまった。

 頭の中で、ご先祖様の姿がうっすらと消えてゆく。

 一気に身体全体を駆け巡っている力が抜けるのを感じた。

「フハハッハハッ!」

 気付いたときには、親父の巨体が目の前まで迫っていて――僕は強烈な一撃をくらってしまった。僕とすぐ近くにいたリラは巻き込まれるようにして、二人もろとも壁に叩きつけられた。

 とても痛かったので、リラはたぶん大丈夫だろうと思いながら、僕の意識は薄れていった。


  ◇ ◇ ◇ ◇


 小さな女の子が泣いていた。

 年が一緒の遊び友達だった。けれど、僕が学校に上がる年齢に近づいてくると、自然と引き離されるようになってきた。

 彼女には若いお姉さんが付きっ切りで英才教育が始まった。けれど一向に魔法が使えるようにならないせいか、教育は徐々にスパルタになっていく。それでも少女は耐えた。たまに僕と会うときは、いつも笑顔だった。けれど僕は見てしまったんだ。

 夕暮れの部屋で一人泣いている彼女を。

「リラ……辛いの?」

 僕が尋ねると、彼女はぶんぶんと首を横に振った。

「……レオーネさんにきつく言われたの?」

 一瞬、彼女の表情が固まった。けれどまた同じように首を横に振った。

 幼い僕にでも、それが嘘であることは分かった。

「大丈夫だよ。魔法が使えなくてもリラは僕が守るから」

「……本当?」

「もちろん。ピンチのときや嫌なことがあったときは、ヒーローみたいに飛んでくるから」

「……うんっ」

 幼い頃の夢だった。多少現実とは異なっていたかもしれないけれど、王室のことを避けているうちに自然と忘れてしまった思い出。

 そうか。だから今日だけでも守るって言ったときリラは嬉しそうだったんだ。

 なのに僕は……


  ◇ ◇ ◇ ◇


 どこかよい香りがする。

 後頭部に当たる柔らかな感触に訝りながら、僕は瞳を開けた。

 柔らかそうな二つの膨らみが目に入った。何気なく手を伸ばす。膨らみの先にリラの顔が見えた。彼女の吐息がかかるほど近くて――

「……って、うぁわぁっ」

 僕は慌てて手を引っ込めて、上半身を起こした。

「残念。起きてしまいました」

 リラが優しい微笑を浮かべながら、おっとりとこぼした。

 僕はおそれ多くもリラに膝枕してもらっていた。

 天井が抜けた神殿の壁が橙色に染まっていた。見上げる空は薄暗く、外は夕日が出ているのだろう。

「……あの、残念って……?」

「この後、公務の予定が詰まっています。ですので、こうしていられるのはシロトが目覚めるまでだと、レオーネに言われていましたので」

 そう囁くリラは、どこか寂しげな顔をしていた。

 僕が起き上がったのを見たのか、レオーネさんが軽くあくびしながら、こちらに歩いてきた。

「どれどれ……」

 レオーネさんが僕の体に触れる。一瞬、魔力を感じた。

 びりっ。

「痛っ――!」

 全身に電撃が走って、僕はまた大の字に倒れて動けなくなってしまった。

「うーむ。まだ回復していないようだね。怪我の方は魔法で完治しているはずだけれど」

「レオーネ……」

「というわけですので、リラ姫様。もうしばらく待った方がよろしいでしょう」

 そう言って、レオーネさんは僕たちから離れていった。

「レオーネ……ありがとう」

 リラが小さくつぶやいた。電撃の魔法を受けた僕の立場は? と突っ込みを入れたいけれど、リラの微笑みを目にして、やめた。

 リラは僕の顔を覗き込んで、少しいたずらっぽく笑って言った。

「シロト、もう一度、膝枕しましょうか?」

「いっ、いえ。結構ですっ。大丈夫です!」

「そうですか。ちょっと残念です」

 リラがにっこり微笑んだ。

 僕は石畳の上に大の字になって黒くなりかけている空を見上げながら、リラに話しかけた。吹き抜けの天井から入ってくる夕暮れの風が心地よい。

「あの男たちはどうなったの? それに親父は……」

「彼らはクロトをはじめとする近衛隊の皆さんが連行していきました。神殿の外にも彼らの仲間がいたそうですが、皆捕まえたそうです」

 やっぱり姫様の外出だから近衛隊がこっそりとついてきていたんだなと、ぼんやり思った。それとは別に、今この瞬間を親父に見られていないことに、少しほっとした。

「ごめんなさい。私のわがままでシロトに大変な迷惑をかけてしまいました」

「いや。僕を巻き込んだのはレオーネさんや親父で……」

「いえ」

 リラが言った。

「私が是非とお願いしたのです」

「え? でも親父もレオーネさんも……」

「それでも私が無理を言ったのです」

「どうして……」

 僕がつぶやくと、リラは少しすねた表情をみせた。

「それを私に言わせるのですか。――シロトに会いたかったから、それだけです」

「あっ――」

 リラの顔が染まっているは夕日のせいだけじゃなかったと思う。

「だってシロト、お城を出てからずっと会いにきてくれないですから」

「それは……」

 リラはお姫様で、僕は普通の人。本来なら会いに行けるはずがない。

 親父を通してレオーネさんと連絡を取れば、いくらでも会うことは可能だったはず。けれどそれは家柄の特権を使っているみたいで嫌だった。学校の友人たちの目を気にしていた。そんな僕の意地のせいで、彼女を寂しがらせてしまった。幼いころ、守るなんて言ったくせに。

「学校にも友達はいますが、みな私を『王女』として接します。シロトだけは違いました。ずっと、シロトに会いたいと思っていました」

「リラ……」

 あまりに畏れ多くて詳しい気持ちは聞けなかったけれど、リラのそれは、まるで恋している少女のようだった。

「……もしかして、僕と会ってがっかりした?」

 そう言いながら僕の胸には、ずきりとした痛みが走っていた。王女として接しなかったのは、僕があまりにも幼かったからだ。現に今日は……

「はい。少し」

 リラがくすりと笑った。

「でもシロトといてすごく楽しかったです。シロトを見ていると、もしかすると『王女』として接していたのは『ご学友』ではなく、私自身だったのかもしれません」

「リラは……普通の女の子になりたかったの?」

「そうですね。王女だから、レナ様の子孫だからと、魔法を無理やり覚えさせられるのは、正直好きではありませんでした」

 その言葉を聞いて、もしかしてリラが魔法を使えないのは、そういった深層心理の影響なのかもしれないと思った。それとも魔法が使えなければ僕が助けに来てくれるかもしれないと思っていたのだろうか。ってさすがにそれは都合よすぎか。

「でも魔法をいつまでも覚えられないと、レオーネさんにも迷惑かかるんじゃないの?」

「私は私です。レオーネのためにするわけではないですから」

 リラはぷくーと頬を膨らました。

 彼女だって自由になりたいのだろう。分かる。けど単純にそういうわけにはいかない。

「気持ちは分かるよ。けどリラは王女様なんだし……」

 授業をサボってまでリラのことを追っかけるクラスメイトの顔を思い出す。レナ様の再来と期待しているのだって、レオーネさんだけじゃないだろう。

 ――と生意気な言葉を口にしながら、僕は唐突に気づいた。

 同じじゃないか。

 王室を守る一族に生まれ、そんな人生は嫌だと、親父に反発している自分と。

「――そうですね。がんばります」

 リラが軽く微笑んだ。それは、僕に言われるまでもなく、もうすでに決意していたような表情だった。

「シロトが刺されたとき思いました。魔法が使えないと大切な人が守れない、と」

「あ、ははは……」

 立場が逆転しているけれど。

「シロト。そこで見ていてください」

 リラはすくっと立ち上がると、僕に背を向けて歩き出した。

 いつの間にか動けるようになっていた僕は身を起こして、祭壇へと続く階段をゆっくりと上がるリラを見つめた。

 リラが祭壇に飾られた旅立ちの儀の目的である勇者の証を手に取った。淡く黄金色に光るネックレスだった。それを首に掛けたリラは、振り返って僕を見て軽く微笑んだ。

「どうです? 似合いますか」

 その微笑は一国のお姫様としてではなく、一人の女の子として、見惚れてしまうほどだった。

 もったいなかったな、と思った。

 今のリラが僕のことをどう思っているかは分からない。もう少し早く僕がこの気持ちになっていれば、一瞬だけでも両想いになれたのに。


  ◇ ◇ ◇ ◇


「あの、レオーネさん……」

 儀式が終わり、近づいてきたレオーネさんに向け、僕は小さく尋ねた。

「……もしかして、旅立ちの儀ってのは、嘘だったんじゃないですか」

「どうかな?」

 レオーネさんは軽く笑っただけで答えなかった。

 公式行事であるはずなのに、他の王族が姿を見せなかった。リラのファンであるクラスメイトもその存在を知らなかった。これも公務であるはずなのに、このあと公務の予定が詰まっているとリラが言っていた。

 リラを覚醒させるため僕を使ったレオーネさん。

 僕を覚醒させつつ、反乱分子をおびき出して始末しようとした親父。

 そして、僕と二人きりになりたかったリラ。

 三者の思惑が見事に一致して、この舞台が作られたのではないだろうか。それに僕はまんまと踊らされたわけで……ま、いいけどね。

 真相は分からない。けれど例え嘘でも本当でも、構わなかった。

「結局リラ姫様を覚醒させられなかったが、絶対防御を君に移したのはある意味魔法の一つと言えるかもしれないな。無意識の産物というのは惜しいが。ところで、どうかねシロト。リラ姫様と一緒に心中してみる気はないか? どういう結果になるか興味があるのだよ」

「いやいやっ、それにリラ――姫様だって、その、やる気になったようですよ」

「はい。レオーネ。これからもよろしくお願いします」

「……ほう」

 レオーネさんが驚いた様子でリラを見た。

 これであっさりと使えるようになるほど、魔法も甘いものではないけれど、きっとリラなら大丈夫のはず。

 そんな思いを抱きながら、僕はリラが遠くに行ってしまう気がした。

 けれどいつかきっと……

「シロト」

 リラが僕の元にやってきた。手を伸ばせば触れてしまうほどの近い距離に。

 そして、少々意地の悪い笑みを浮かべて、こっそりと僕に言った。

「ところで――私はこれから『お姫様』としてがんばりますが、シロトはどうなさるのですか?」

 唐突に、まだチャンスはあるかもしれない、と思った。

 けどそんな不純な動機だけじゃない。僕だってもう決めていたんだ。

「夏期休暇もまだ始まったばかりですから……」

 僕はぽりぽりと頬をかいて、照れくさかったけれど、はっきりと言った。

「――親父に稽古でもつけてもらおうかと思います」

 僕の言葉をかみ締めるように、リラが瞳を閉じた。

 たぶんレオーネさん以上にスパルタになるだろう。

 絶対防御やご先祖様の力がなければ、筋肉痛どころじゃ済まないだろう。

 けれど、目の前で僕に向けられたリラの微笑みを思い浮かべれば、そんなの余裕だった。


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