放蕩息子と名無しの王女
ロマンス頑張りました。
「なんて見窄らしいのかしら。ソレを早くどこかへやって」
王妃様が、扇で口元を隠し冷たく言い放った。
私のお母様は、外国からこの国へ嫁いできた。
でも、私を産んですぐに亡くなってしまったらしい。
その日、普段は閉じられた重苦しい扉が開いていた。
つい好奇心に駆られて、飛び出してしまったのだ。
「申し訳ございません!目を離した隙に、抜け出してしまったようです」
私付きのメイドが、王妃様の侍女に鞭打たれる。
その光景に震えが止まらなかった。
床に倒れ込み、痛みで震えるメイドの服は破け、鮮やかな血が滲んでいた。
「早く、その娘にも身の程を弁えさせなさい」
王妃様の言葉で、侍女が私に視線を向けて近づいてくる。
「ご、ごめんなさい……!もう、もう勝手には――」
まだメイドの血が滴る鞭が、私に向かってしなる。
――六歳の小さな王女は、それから一度も離宮を出なかった。
◇◇◇
「おい、知ってるか?王城の端に、古い離宮があるだろ?その壁の向こうから、女の歌声が夜な夜な聞こえてくるんだと」
新しく酒を注いでいると、友人の一人がいきなりおかしな話題を口にした。
前王妃が悲惨な死を迎えた場所として有名だ。
「へぇ……おっと」
適当に相づちを打つ。
そんな話よりも、テーブルにこぼれた酒をどうにかしなければ。
従業員を呼ぶ。
高級クラブらしく、ここには上位貴族やその子息が集まる。
しかし、俺がいつも付き合っているのは、いわゆる“放蕩者”と呼ばれている奴らだ。
「おい、エイリッヒ。お前、さっきの負けをチャラにしてやるからその幽霊を確かめてこいよ。もちろん一人でな」
「そりゃ、ありがたいけどな。お前、忘れてるだろ……。第一王女のこと」
そう、この国には公然の秘密がある。
名前も知られていない第一王女が存在している。
大方、その離宮に出るという幽霊の噂もその王女だろう。
「じゃ、条件を変えよう!その王女から“名前”を聞き出してこいよ。誰も知らないんだろ?」
「おいおい。どうやって夜中に王城まで入れって?そんな危ない橋は渡らないぞ」
捕まれば、いくら公爵子息の身分をひけらかしても二日は拘留されるんじゃないか?
父上に頼んで、小遣いを前借りした方がマシというものだ。
「それが、ここだけの話――俺の担当区域なんだわ!休暇を取りたいのに、代わりがいなくてさ。俺でも務まる場所なんだから、お前なら余裕だろ?」
「お前なぁ……。上司には許可取れるのか?」
「グレイベル公爵の名前を出したら一発だろ。お前だって昔は――」
友人の言葉を遮って、飲み干したグラスを置く。
「じゃ、“借金チャラ”と、ついでに貸し一つな」
こうして、名ばかりは立派な放蕩息子――エイリッヒと、血筋だけは最上の、名もなき姫。
二人の人生が重なることになる。
◇◇◇
夜は大好きだ。
出歩いて見咎められることもない。
こうやって、檻のような硬く高い壁に背を預けると、外の世界を強く感じる。
星空を見上げながら、自由に歌う。
「〜♫〜〜……」
曲はあまり知らないけれど、たまに王宮のホールから音楽が聴こえてくる。
その旋律を口ずさむ。
――今日はどうしようかな。
きょろきょろと周囲を見回し、一本の木に的を決めた。
足元に落ちている小石を拾い上げる。
少し遠いから力を入れて……。
下から投げた方がいいかな?
「えいっ……!」
思ったよりも高く飛び、上手く木の枝に当たった。
「――よし、やったぁ!」
しかし、ぶつけた拍子に石が跳ね返り、壁の向こうへ落ちていってしまった。
「痛っ!……なんだこりゃ!?石!?」
「……きゃ!人!?あ、あの、ごめんなさい……!」
運悪く――いいえ、私のせいで壁の向こうの人に当たってしまったらしい。
しかも男性!?
男性とは、数えるほどしか話したことがない……!
「……女の子?え、幽霊って噂の?……全然イメージ違うな」
その男性はぶつぶつと何か呟いている。
だけど、私はそれどころじゃない。
怒って怒鳴られたらどうしよう……。
いえ、壁があるから入ってこられない。
大丈夫、大丈夫よ――。
「あー、さっきのことは気にしないで。俺は……え~と、エリク。君の名前は?」
「あ……」
穏やかそうな声に、ほっと息をつく。
怖そうな人じゃなくて良かった。
――でも“名前”か。
「……“君”でいいわ。そう呼びかけたでしょう?」
「……うーん。君、変わってるね。どうしようかな……少し私と話でもしませんか?“レディー”」
砕けた口調から、いきなり気障なものに変わった。
それが可笑しくて、つい笑ってしまった。
人とこんなに話したのは久し振りだ。
「あなた……男性よね?」
「はい?女性の声に聞こえます??」
「いえ……。声の低い女性だったら失礼だから、念のため確認しなきゃと思って」
彼の裏返った声に、自分の発言が恥ずかしくなる。
呆れられたのかも――。
「じゃあ、今度から俺も一応聞いてみようかな?“お前、本当に男?”って!ははは、ぶん殴られるよ」
彼――エリクは、呆れるでもなく、軽い調子で答えてくれた。
「そうなの?男性はやっぱり“腕力”がある方が凄いの?だから――」
「待って待って。レディーが好奇心旺盛なのは分かったけどさ。このままだとキリがないから、一個ずつ質問し合おうよ」
「あ……。ごめんなさい、質問攻めにしちゃったわ。えっと、エリク」
私とちゃんと話をしてくれるらしい。
名前まで名乗ってくれた。
私は、さっきの質問をはぐらかしてしまったのに……。
「じゃあ、え~と……腕力?そりゃ凄いだろうけど、モテるのとはちょっと違う気がするな。筋肉ゴリラよりは俺の方がモテる――」
「まあ!ゴリラが近くにいるの!?異国にしかいないと書いてあったわ!……あ、また私ったら。……質問、どうぞ?」
気まずくなって尻すぼみになる私の声に、彼の楽しそうな笑い声が重なった。
こんなに楽しそうな笑い声を聞くのは初めてだった。
「ゴリラの方がモテたな。じゃ、質問。その本には動物がイラスト付きで載ってるの?」
「ええ。ゴリラはね、探検記で出てきたの。トラも出てきたわ……!そういう場面には挿絵があるの。ねぇ、みんなそんな冒険をしているの?貴方もしたことある?」
一瞬だけ沈黙が落ちた後、エリクの声が返ってきた。
「冒険はしたことないけど……家の方針で二年間、騎士団に入ってたよ。じゃ、質問。よく読む本はそれ?」
「一番好きな本は……。悪い魔女に姿を変えられてしまうお姫様の話かしら。……魔法のせいなら救いがあるわ。じゃあ、質問ね」
胸に刺さった棘が、またじくじくと痛みだしたのを無視して、無理やり声を出す。
せっかく話し相手になってくれている。
この楽しい時間を無駄にしたくない。
――でも口をついたのは、言ってはいけない言葉だった。
「え~と。エリクが……。エリクとは、もうこれきりかしら」
「え……」
思わず口を押さえる。
しまった。
それはあまりにも贅沢なことだ。
“名無し”の王女が口にしていいことじゃない――!
「いいよ。また話そう。質問、明日なんてどう?」
「ええ!もちろん……!」
◇◇◇
――エイリッヒ――
帰り道、ふと気づくと足取りが軽くなっていた。
ただの興味本位だったはずなのに。
――久しぶりに、楽しい時間を過ごせた。
話をしてすぐにわかった。
あの子は嘘がつけない。
そして、会話にも慣れていない。
あれは、世間知らずで済ませられるレベルじゃない。
誰も名前を知らない第一王女。
その真実は、案外すぐに見当がついた。
胸糞悪い。
懐から時計を取り出すと、もう交代の時間だった。
そのまま騎士団の詰め所へ向かい、退勤記録をつける。
「エイリッヒ!久しぶりだな!お前、放蕩も程々にしないと公爵に切られるぞ。――いや、まあ。お前の気持ちもわからんでもないが」
騎士団に所属していた頃の先輩だ。
口喧しくてお節介な、一番面倒な人に捕まった。
「まぁ……あれで男としてのプライドがポキっと折れて立ち直れないんですよねぇ。なにせ公然の場で婚約者に振られましたし。大目に見て欲しいですね」
「だよな〜、あれは酷い話だ。よりによって、お前の弟に靡こうなんてな……」
これだけ同情を引けば十分だろ。
毎回毎回、同じネタを振りやがって。
「ま、弟のほうが優秀ですから。じゃ、お先に失礼します」
挨拶をして、歩き出す。
自然といつものクラブへ向かおうとしたが――。
何故か気が乗らなかった。
言葉にできないもどかしさに、苛々して髪を掻き乱す。
「あ〜……くそ。せめて、あの子に本名くらい名乗っていれば――」
こんな気分にはならなかっただろうか。
わからない。
とにかく、彼女の楽しそうな声が耳に残って仕方がない。
次はもっと笑わせたくなった。
それには――。
「よし。父上に頭を下げて、家に入れてもらうか」
本邸の書架なら、前王妃のことも、彼女が興味を持ちそうな異国の本もあるだろう。
ああ、王女様。一つ、言い忘れた。
筋肉ゴリラはいるよ……俺の父上だ。
◇◇◇
昨日は眠れなかった。
そのせいで、昼も随分と寝過ごしてしまった。
夕食が用意され、いつものパンとスープを食べた。
そのまま食器が下げられるのを待つ。
そして、この離宮からすべての人が去っていく。
いつも通りだ。別に何が変わったわけでもない。
――あ、そうだ。
彼に質問されても困らないように、私の好きな本を何冊か持っていこう。
小さな書架から、三冊選んだ。
そして、いつものようにロケット型のネックレスを掛ける。
これは、私が“愛されていた”証だ。
「そういえば……!私、夜着で歩き回っているのよね……」
ショールを掛けているとはいえ、なんだか気恥ずかしいわ……!
いえ、この大きな壁があるもの。
エリクから、私の姿なんて見えない。
そう……。だからこそ安心なのよ。
いつもより早い時間に庭に出てしまった。
まだ一番星も見えていない。
でも、いいわ。この宵闇も好きだから。
幼い頃にいなくなった乳母が歌ってくれていた曲を思い出す。
夕焼けになったら、遊びの時間は終わり。
早く帰らないと、母親に叱られて夕食が減る。
そんな歌だった。
「〜〜♪〜〜♫〜……」
辺りが暗くなり、星が瞬き始めた。
ここは、こんなにも静かだったかしら。
いえ、ずっとそうだったわ。
たった一日で何が変わるというの……。
「馬鹿ね……。人は価値のあるものが好きなのよ。きっとエリクも――」
「レディー、こんばんは。今日は俺のために歌ってくれるの?」
その時、壁の向こうから男性の声がした。
本当に来てくれた……!
「……もう、来ないかと思った」
「なんで泣きそうなの?俺はレディーとの約束は一度も破ったことないよ」
「それは別の“レディー”のことね、もう!」
軽薄な言葉に笑おうとして失敗した。
明らかに揺れている声に、彼は気づかなかったみたいだ。
よかった。
「今日は、何を話そうか?レディーが好きそうな話題を必死で集めてきたよ。本を読むなんて数年ぶりだ。父上が目を丸くしていたよ」
「まあ。そうなの?どんな本を読んだの?お父様のことも聞きたいわ。ああ、どうしようかしら」
くすりと笑う気配がした。
「じゃあ、両方答えるね。読んだのはレディーが好きそうな異国のことが載っている本」
異国の本!
海の向こうかしら。それとも大きな砂の向こう?
「俺の父上は、それはもう頭が固くて頑固。そして身体がでかい。俺は母上に似てよかったよ。おかげで女性からは評判がいい。じゃ、何について話そうか?」
ふふふ。その自慢の容姿のことも知りたいわ。
やっぱり金髪なのかしら。
自分の髪を一房つまんだ。
「聞きたいことも、話したいこともいっぱいあるわ。私も、あなたの質問に答えられるようにお気に入りの本を持ってきたの。でも……」
「……でも?」
「貴方の話のほうが面白いわ。でも、それじゃ不公平ね」
こんなに気さくで話しやすい人だもの。
私の話は退屈なはずだわ。
「うーん。じゃあ、俺がたまに質問するっていうのは?すでに気になったことが一つあるんだ」
「ええ。貴方がそれでいいなら……」
「レディーは石を投げるのが得意なの?それとも歌うのが得意?」
思わぬ質問に目を見開いた。
それから、笑いが込み上げる。
本当に――楽しい時間だ。
◇◇◇
そうやって、エリクとは何度も会った。
会話を重ねていくうちに、彼が明るいだけではないことがわかった。
ある日、彼が弟について教えてくれた。
「俺の弟は優秀でさ。剣の腕も一流。おまけにアカデミー首席だ。うちの家は武家だからさ。幼い頃から剣を振ってた俺も、それなりだと思ってたんだけどね」
その声はいつもと違い、自嘲気味に聞こえた。
「へえ。剣を振る姿を見てみたいわ」
「……それだけ?」
「え?」
「もっとほら、もっとあるでしょ?弟の方が凄いんだよ?兄なのに情けない……とか思わない?」
彼が何かを伝えようと必死になっているのはわかるけれど……。
首を傾げるしかできない。
「……だって。私は弟さんと貴方の実力を知らないもの。ドングリの背比べだったら気まずいじゃない……」
「……ドングリ」
あぁぁ……。ドングリは失礼だわ……!
謝ろうとした瞬間、エリクが大声で笑い出した。
驚いて、思わず身体が跳ねた。
「あははは!そうだよな、レディーにとっては――。いや、俺たちを知らない人間には、こんなのドングリの悩みだ……!」
「ふふふ!もう!失礼なことを言ってごめんなさい。謝ろうとしたのに、貴方が笑うからつられちゃったわ!」
エリクの低い声が耳に心地良い。
……ずっと、こんな時間を過ごしたい。
いつの間にか、毎晩ベッドに入る前に祈るようになっていた。
「――ああ、いいな」
「エリク?」
「久しぶりに欲しいものができた」
でも、私の願いは簡単に叶わない。
そんなこと、幼い頃に思い知ったというのに。
このときの私は、すっかり浮かれてしまっていた。
そして多分、彼もまた同じだったみたいだ。
この秘密の逢瀬を見られていることにすら、気づかなかったのだから――。
「……あれは、グレイベル公爵子息と……第一王女?」
そっと呟いた女は、口元を歪めてゆっくりと後ずさっていく。
「第二王女――マリアンヌ殿下に伝えたら、きっと褒美が貰えるわ」
◇◇◇
――第二王女マリアンヌ――
王妃の私室で、私はお茶を出された。
しかし、お茶なんて飲んでいられる気分じゃなかった。
「私、不貞なんてしていないわ!殿下が狭量なのよ……!皆さん、外国から来た私を心配して、もてなしてくれただけなのに……!」
今や、国中に知られ渡ってしまった。
なんて酷い話なの……!
「まぁ……マリアンヌ。大丈夫、あの件は無事に収まったわ。結婚相手はこの国で探せばいいのよ。私はもともと、外国に嫁ぐことには反対だったもの」
お母様はゆっくりとお茶を飲みながら、私の話に頷いてくれる。
そうよ。もう隣国なんてどうでもいい。
この国で最高の男性を手に入れなければ。
「ねえ、お母様!そういえば、私の侍女から聞いたのよ。あの阿婆擦れ、グレイベル家の嫡男を籠絡しているらしいわ」
「……なんですって?」
私の言葉に、お母様が眉を不快げに顰めた。
「ねえ、また厳しく躾けてあげなきゃ駄目なんじゃないかしら?きっと自分の立場を忘れているんだわ」
一旦言葉を切り、お母様をさらに刺激する。
この話をすると、母は逆上しやすい。
「お母様もアレの母親に苦しめられたんでしょう?お父様の婚約者として、ずっとお側で支えていたのに……」
「ええ、そうよ……。幼い頃から陛下を慕っていたのに。外交のためだからと、私から正妃の椅子を奪った阿婆擦れよ」
お母様の声が低くなり、カップを持つ手も震えている。
でも、むしゃくしゃして何もかも壊して傷つけたい。
私だけこんな屈辱を受けるなんて耐えられないわ……。
「じゃあ、アレの幸せそうな顔は許せないわよね?アレが大人しくなれば、あの方だって私に目を向けるはずよ」
さあ。身の程を思い知りなさい。
“第一王女”。
「お母様。公爵夫人になるなら、私のほうが相応しいわよね?」
◇◇◇
――彼女たちの中には“政治”というものが存在していない。
いや、自分たちに都合よく解釈しているだけなのだろう。
第二王女の件をどうやって収めるのか。
その結果がこれだ。
公爵家をはじめとする高位貴族家から、嫡男を除く多くの子息の釣書が、隣国へ送られることになるのだった。
◇◇◇
――エイリッヒ――
「おい、エイリッヒ。そろそろ俺も仕事に戻るから、代役はもういいぞ。いやあ、いい思い出が出来たよ……はは」
「ああ……久しぶりだな。二週間ぶりか。婚約者との旅行はどうだった?」
これで、代役を口実に彼女の元へ通えるのも終わりだ。
早めに、父上に話を通さないと――。
「それがさ!今までの放蕩を謝って……一生大切にするって約束して、ようやく彼女の家族にも認めて貰えたんだ。それなのに――」
まぁ……しょせんは良家の子息の集団だ。
ちょっと羽目を外したくらいの“放蕩者”ごっこみたいなものだからな。
こいつも、根は真面目だ。
「先日の第二王女殿下の問題で、全部白紙になるかも!?俺は侯爵家の次男だ!絶対に釣書が隣国へ送られるーー!」
「……ああ。父上は反対しているが、公爵家にも弟を候補にと打診が来ている。うちが本命だろうな」
頭の痛い問題だな。
少し前までは、すべての権利を弟へ譲るつもりもあった。
そうすれば、隣国へ向かわせる必要もない。
しかし、今はもう……。
その選択肢を選べなくなってしまった。
――彼女を諦められない。
「血筋も人格も能力も問題ないもんなぁ……。でも、隣国も一枚岩じゃない。お前のところだと反対する派閥もあるらしい。だから!」
友人は机に突っ伏して拳を叩きつける。
「どう転ぶか、誰にも分からない!俺たち次男以下は振り回されて泣きそうだ!」
――ああ。
本当に王家には呆れる。
「なあ。もう少しだけ、俺のお遊びに付き合ってくれない?給与は今までの分も合わせて、全部お前に渡すからさ」
「おい、エイリッヒ。お前……」
「なんだよ」
「お前、ちょっと体格良くなってない?あれ、騎士服も自前のじゃん。それに、なんでクラブで本読んでるの?酒も飲んでないし、病気?」
人を指差すな。
と言いたいところだが、まあ、こちらが頼んでいる立場だしな。
「後継者教育を再開したからな。机にかじりついて、騎士団で揉まれてるよ。これは課題の本。まだ終わってないんだよ」
もう二年もサボっていたから、忘れていることも多い。
とはいえ、まぁ……。
俺もそれなりに優秀だったらしい。
ドングリは、自分のことすら見えていなかったみたいだ。
「大体、今だってお前が捕まらないから、ここで待ってたんだ。もう、クラブ通いはやめると父上に約束したしな」
「……お前、二週間で変わりすぎ……。まさか例の幽霊に惑わされて――でも、ここまでいい効果が出るならアリか。俺も声かけてみようかな」
こいつに恋人がいるのはわかっている。
悪いやつではないのも知っているが――。
「へぇ……。俺の“レディー”に粉かけるって?」
「えぇ!?冗談だよ……!てかお前、目が怖いって!」
少し本気で睨んでしまった。
だが、俺の前でそんな発言をするこいつが悪い。
◇◇◇
「レディー。もし、俺が……貴女をここから連れ出せると言ったら――」
「駄目よ!貴方まで罰せられるわ……!」
彼は今夜も来たけれど、第一声からこの調子だった。
いきなりのことで驚いたけれど、答えは一つしかない。
「私は、ここを出てはいけないのよ」
――エリクを危険に晒せない。
無理やり、そう自分に言い聞かせたのに……。
「……俺は貴女の、本当の気持ちが聞きたい」
切なげな声で、私の心を揺さぶってくる。
これ以上はやめて。
彼に頼ってしまいたくなる。
それに――。
「やっぱり駄目!私はものすごく醜いの!エリクに目を逸らされたくないもの……!」
「それはどういう意味で?どこか病気でも……」
彼の心配そうな声に気まずくなり、慌てて否定する。
「いいえ……。私は母に生き写しなんですって。王妃様や姫様みたいな綺麗な金髪でもないの。きっとがっかりさせる――」
「……ははは。貴女こそ、自分をドングリだと思い込んでいたタイプだ」
……ドングリ。
私が前に言った言葉だわ。
本当にそうだったらいいのに――。
「……なんで笑うの?ひどいわ。……銀髪だから?」
「いや。笑っちゃ駄目だった。でも世界は広いだろ?金髪じゃなくて、銀髪が好きな男も星の数ほどいるよ。……ここにも」
「……え」
銀髪は醜いんじゃないの……?
信じても、いいの?
「あのね、私。本当は、名前が――」
「……言いたくなかったら、無理には聞かないよ」
エリクの声が、優しく遮った。
「ううん、違うの。聞いてほしい。名前はあるはずなの。私が生まれた時にね。お母様が必死に書きつけてくれたの」
「……そっか。じゃあ、なんて名前なの?」
そっと胸元のロケットに触れる。
小さく折りたたんだ紙が、この中に入っている。
「お母様の母国語だから読めないの。でもね、ちゃんと名前を考えて、つけてくれたのよ」
「……その紙はまだ残ってる?」
「ええ。大切にいつも身につけているわ。ロケットの中に入れてるの。お守りみたいなものかしら」
一瞬の間があり、彼がぽつりと呟いた。
「……俺が、呼んであげたいな」
「……エリク」
「明日、またここで。いい返事を期待しているから。……諦めないけどね」
彼の足音が遠ざかっていく。
胸の鼓動が激しい。
なぜか今すぐ、エリクを呼び止めたくなってしまった。
駄目だ。きっと余計なことを口走ってしまうわ。
今日は、もうここまで――。
踵を返し、暗い離宮へ帰ろうとした。
――その時、場違いなほど艶やかな声が、周囲に響いた。
「あらあら。娘から聞いた時は耳を疑ったけれど、本当だったみたいね?阿婆擦れの娘は阿婆擦れなのかしら?夜にこそこそと男と逢瀬なんて……」
血の気が引いていく。
振り返る間もなく、両腕を兵士に掴まれ、膝をつかされた。
闇の中でもわかるくらい赤い唇が、目に焼きついた。
「王妃様……」
◇◇◇
――エイリッヒ――
俺はいつも通り壁の前に立ち、彼女に話しかけようと口を開きかけた。
――その瞬間、異変に気がついた。
人の気配が多い。
そして何より、かすかに鎧が擦れる音がする。
「あなた、公爵家の嫡男よね?」
案の定、“レディー”じゃない。
底知れない不安が胸を覆っていく。
「……そうだけど」
「やっぱり。私、あなたが話していた王女よ」
あからさまな嘘をつくものだ。
ここまで浅はかならば、隣国の王太子が愛想を尽かしたのもわかる。
「……あの人はどこですか?貴女は……第二王女殿下ですよね?」
「ああ……。まぁ、あの女のふりなんてできるわけないわね。あの人はうろちょろしていたから罰を受けて、今ごろ寝込んでるわ」
「……な!」
その言葉に、目の前が真っ赤になった。
怒りで我を忘れ、怒鳴りつけてしまいそうだ。
「そんなことより、あの人の立場は知っているでしょう?どんなつもりかは知らないけれど、貴方の後ろ盾にもならないわ」
――これは、我慢するべきなのか?
彼女を貶め、俺を馬鹿にし、公爵家まで虚仮にしている。
「多情で隣国の王子に捨てられたという話はどうやら本当みたいですね。国内ではもう、貴女のお相手を探すのは難しいでしょう。……隣国に睨まれる」
「無礼な!それでも穏便に収まったわ!」
穏便?どの口が言っているのか。
それを、まさか問題を起こした当人から聞く羽目になるとは思いもしなかった。
「穏便に収めたんですよ。王子の従姉妹姫のもとに、我が弟か他の子息が婿入りすることになる。王子はこの国の女性を娶る気はないようです」
「臣下だもの、そのくらい当然でしょう!?身の程を知りなさい!」
ヒステリックな声が耳障りだ。
しかし、言ってやらなければ気がすまなかった。
「ははは、父が聞いたら激怒しますね。だが今回の件で、王家には随分と貸しができた。王女殿下、身の程とは一体誰のことを仰っているのです?」
こんな理不尽な目に、ずっと遭っていたのか。
俺と会話していただけで、鞭打ちされるほど……?
王妃と第二王女には、殺意が湧いて自分でも止められない。
「さらにそこへ、今度は貴女を私に?」
「……何が言いたいの」
「いえ。随分と高価な返礼だと思いまして。こちらが支払う側のようですが」
この傲慢さに耐えられない。
自分が他人を踏みにじっていることさえ理解しない。
それを当然だと言うこの女を、許せそうもなかった。
「なっ!気分が悪いわ……!貴方なんてこちらから願い下げよ!」
壁の向こうで、ヒールの音が高らかに鳴り、立ち去る気配がする。
――早く。早く彼女をここから救い出さなければ。
傷の手当てもされているのか怪しい。
どうか、無事でいてくれ――!
◇◇◇
熱で朦朧としながら、ぼやけた視界で月の位置を確認する。
良かった……。
まだ高い位置にある。
これなら、昨日の約束を守れる。
そう思い、なんとかショールを掛けて外へ出た。
――いつからだっただろう。綺麗な星空と月が出ていると、歌いたくなった。
夜なら監視も緩いので、そこで歌うのが日課になった。
その時間だけは、まるで自分が広い世界の一部になれたような気分だった。
たまに通りがかる人を驚かせていたみたいだけれど。
そんなある日、ひとりの男性が声をかけてくれた。
『貴女のお名前は?』
答えられないけれど、すごく嬉しかった。
誰からも目をそらされる私が、人間として扱われた。
――行かなきゃ。明日もここでって、言ってくれたもの。
いつもの壁に向かう途中で、男女の話し声が聞こえてきた。
え……?
「あなた、公爵家の嫡男よね?」
「……そうだけど」
「やっぱり。私、あなたが話していた王女よ」
――公爵家?
子爵家か男爵家の嫡男じゃないの?
地面が揺れて立っていられない。
それが熱のせいなのか、それとも違う理由なのかもわからない。
一瞬だけ意識が飛んでいた。
まだ二人は話しているようだけれど……無理だわ。
これ以上は、聞いていられない。
「そんなことより、あの人の噂は知っているでしょう?どんなつもりかは知らないけれど貴方の後ろ盾にもならないわ」
ああ、そっか。
それを期待して、こんな王女にも優しくしてくれていたのかもしれないわ。
ひどい人ね。
私にそんな力はないのに……。
そのまま、ふらふらと離宮へ戻り、布団を被った。
身体を丸め、ぎゅっと縮こまる。
涙が止まらない。
声を殺しても、嗚咽が漏れてしまう。
いつしか諦めて声を出して泣いた。
どうせ、私の周りには誰もいない。
それなら、このくらいは許されるでしょう?
「……馬鹿。嫌い。ひどいわ。大嫌い。嘘つき」
散々悪口を言って、少しだけ気持ちが落ち着いた後。
最後にぽつりと、小さな声が口から溢れた。
「――好き、だったのにな」
◇◇◇
――エイリッヒ――
彼女が鞭打たれたと聞いた日から、壁を訪れても現れなくなった。
そんなに酷いのか……?
まさか、大怪我でも――?
心配で気が狂いそうになる。
「父上!お願いがあります。王への謁見を取り次いでください」
執務室へ押し入ると、先客がいた。
「……ルードヴィヒ」
「やあ、兄上。久しぶりだね」
「はあ……。お前たちはノックも知らんのか、まったく」
父の言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
なるほど。弟も同じように執務室へ入ってきたらしい。
そして弟は、道を空けるように横にずれた。
「僕の用は終わったから、お次にどうぞ。それと、僕に変な気を使わないように――って言おうと思ってたけど」
ルードヴィヒは一瞬だけ俺の目を見て、ふっと、微笑んだ。
「心配は要らなかったみたいだ」
「……ああ。お前も心配は要らなそうだな」
「もちろん。僕の人生だしね。勝手に譲られるよりは、こっちの方が気楽でいいよ」
そう言い残して、退出していった。
その背中を見送り、父に向き合う。
「……で、エイリッヒ。王に謁見したいとは大きく出たな?最近、報告が来ている“第一王女”のためか?」
「ええ。第二王女との縁談話が来ているんでしょう?ならば、こちらも――」
「エイリッヒ。誤魔化すな。お前は口が達者だが、すぐ言い訳に逃げる癖がある」
父に遮られ、わずかに身構える。
確かに、すぐにバレる言い訳では足元をすくわれる。
「王と交渉するなら強気でいけ。今回はこちらに分があるんだからな」
父の言葉に頷き、覚悟を決める。
「――第一王女に面会したい。そして、彼女に求婚する許可をください」
陛下との謁見はスムーズに進んだ。
父も随分と腹に据えかねていたようだ。
密かに各家から陳情書を集め、根回しを終わらせていたのだ。
『我々は臣下です。国益のため、必要ならば息子を差し出しましょう』
『ですが王族とは、臣下に犠牲を命じるだけの立場なのでしょうか』
『これは今回、婿入り候補を求められた各家からの陳情書です。全家が国命には従うと回答しております。その上で――第二王女殿下への責任追及を求めています』
国王は黙り込み、王妃は怒りで震えていたという。
何故俺が、こんな風に伝聞でしか知らないのかというと――。
父が謁見室に入った瞬間、俺は近くの衛兵を脅し――ではなく、説得して、離宮へ案内させたからだ。
暗い廊下の先。
さらに奥まった庭園を進んでいく。
手入れもされず、草木が生い茂る場所へ辿り着いた。
――離宮全体が、高い壁で覆われている……。
出入り口は重い鉄の扉が一つだけだった。
こんな所に彼女が……?
その扉を開いて、足を踏み入れる。
まだ昼間だというのに、人の気配がない。
離宮もひどく古びた造りで、数百年前のものではないかと思われる。
古い時代の建物は造りが複雑で、一人では回りきれない。
どこから探せばいいか……。
寝込んでいるなら、部屋を一つずつ確認していく必要が――。
そう思った時、庭の奥まった所から微かに歌声が聴こえてきた。
俺は、とっさに走り出していた。
「レディー!」
視線の先。
そびえ立つ壁のそばで、長い銀髪の小柄な背中が見えた。
彼女だ……!
彼女のもとへ駆け寄ろうと、思いきり地面を蹴った。
◇◇◇
「レディー!」
彼の声が聴こえた。
まさか……。
頭を振って幻聴だと笑おうとした時、力強い足音が近づいてきた。
驚いて振り返る。
なぜか金髪の男性が、こちらへ駆けてくる!?
え……!?
どうして!?
その声は、確かに彼のものだった。
おろおろと周囲を見回した。
どうしよう!?意味がわからないわ……!
彼は輝くような金髪で、確かに見目麗しい男性だった。
駄目だわ……。こんな見窄らしい私は見られたくない。
とっさに近くにあった木に抱きついて、しがみついた。
すぐ近くで、彼が止まった気配がした。
すかさず声を上げる。
「来ないで……!何しに来たの?ここにマリアンヌ殿下は居ないわ」
「……レディー?なんであの人の話を?君がずっと来てくれないから、心配したよ。……身体は大丈夫?」
一歩ずつ彼が近づいてくる。
「もう平気よ。だから――」
放っておいて。
そう言おうとしているのに、上手く言葉が出てこない。
「それならよかった。ねぇ、そうやって木にしがみつくのも好きなの?」
「そうなの。私の趣味よ」
「ははは!レディーは毎回、俺の想像を越えてくるよね」
また、笑ったわ。
そうやっていつもいつも――。
「本当の貴方は誰?公爵家の人が、なんで私に構うの?」
彼の動きが止まった。
そして、深く深く息をついた。
「俺は、エイリッヒ・グレイベル。グレイベル公爵家の人間だよ」
「……そう。私は、ご覧の通り見窄らしい第一王女よ」
「ねぇ、子猫みたいに怒ってないでこっちを向いて。……お願いだから」
子猫みたいに?
なんて、可愛らしい生き物に例えるのかしら。
「だって――」
「だって?こんなに綺麗な銀髪だ。それに、俺は壁の向こうの君を好きになったんだ」
すぐ後ろにエイリッヒの気配がする。
そっと手首に触れられた。
「……な!」
「ほら、そんなにしがみつくから手に跡がついてる。怪我をするよ」
「貴方はいつも狡いわ……エイリッヒ。最初からずっと、すんなりと私の心に入り込んできちゃうんだもの」
勇気を出して振り返る。
すると、彼の眩しいほどの笑顔が目に飛び込んできた。
「ほら、やっぱり美人だ」
「……嘘ばっかり。でも、やっぱり貴方は貴方なのね」
壁越しに想像していた以上だったけれど、声も話し方も同じ人だった。
「これが、話していたロケット?……お願いだ。少しだけ中を見せてほしい」
エイリッヒの声に、真剣な響きが混じる。
今さら秘密にする必要もないわ。
私は首から下げたロケットを外して、彼の手のひらに乗せた。
「……ええ、どうぞ」
エイリッヒが、慎重な手つきでロケットを開く。
そして、小さく折りたたまれた紙を取り出した。
彼の指が、そっと紙を開いていく。
そして、ぶつぶつと何かを呟きながら紙を見つめ始めた。
しばらくして、彼が首を傾げながら声を上げた。
「……エレストラ?」
「え……?」
「違う。星……“エストレラ”だ……。これが貴女の名前だ。エストレラ!」
私が驚く間もなく、エイリッヒがいきなり膝をついた。
まるで、物語の一節みたいだ。
「貴女をようやく迎えに来ました。エストレラ」
「……エイリッヒ?ふふふ!ドラゴンは居ないのに……迎えに来てくれる王子様はいたの?」
私の言葉に少しだけ苦笑して、エイリッヒは手を差し出した。
「ははは!俺は王子じゃないけれど、ここにいるよ。エストレラ、一緒に来てくれるかい?」
「――うん!行くわ、あなたと一緒に外へ出たい!」
嬉しすぎて、思わず膝をついた彼に抱きついた。
私を慌てて抱きとめて、バランスを崩しかけた彼が大笑いした。
「俺が迎えに来た君も、普通の姫君じゃないな」
「ふふふ!いいの!いいのよ、私はお姫様なんて飽き飽きだもの!」
鉄の扉をくぐる瞬間、僅かに身体が震えた。
そっと、エイリッヒが背中を押してくれる。
「一緒に出ようか。せーの――」
◇◇◇
グレイベル公爵家の告発で、王妃は静養という名の蟄居を命じられた。
第一王女への仕打ちはしばらく社交界を騒がせたが、それも時が経つにつれて話題に上らなくなった。
王妃は毎日鏡の前で、自慢の金髪を梳かしながら何かを呟いているという話だ。
そしてマリアンヌ王女は、各貴族家から連名で“国益のための婚姻”を迫られた。
王女は最後まで抵抗していたらしいが、結局、遠方の国の第四夫人に収まった。
二度と母国に戻ることはないだろう。
国王がどんなに隠蔽しようと噂は後を絶たず、その心労もあってか、ついには病に倒れた。
国王はそのまま退位し、今は、王弟殿下の戴冠式の準備中だ。
◇◇◇
二年後。
半年前に結婚式を挙げた俺たちは、ただ今、大海原で船に乗っている。
グレイベル家には、女の子がいなかった反動なのか。
父上と母上がエストレラを毎日毎日構い倒し、甘やかしている。
辛いことが続いた彼女にとっては、いい環境だと思う。
そして今回の旅行も、エストレラが『海を見たい』と言ったから叶ったのだ。
ありがたいことだ。
「見て見て!ねぇ、今の何!?何かがジャンプしたわ!しかも、たくさんいる!」
俺の袖を強く引いて海を指差している。
好奇心いっぱいに、青い瞳がきらきらと輝いている。
――なんてこった。
うちの妻が可愛すぎるんだが……。
「……多分、イルカかな。この辺りでは観光客に人気みたいだよ」
「えーー!!もう一回見たいわ!もっと近くに来ないかしら」
甲板から身を乗り出しそうなエストレラの腰を支え、耳元で囁いた。
「エストレラ。楽しい?」
「ええ!毎日がとっても楽しくて幸せだわ……!ありがとう、エイリッヒ!」
その笑顔があれば、帰ってから仕事が山積みでも頑張れる。
「どういたしまして、俺のお星さま」
ロマンス、頑張れていたでしょうか……。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!




