好きと言わないための練習会 ――議題が機能しなくなる日
※この作品は、
「好きです」と言わないための練習会の記録です。
会話と沈黙が中心になります。
「今日は、議題を出しません」
彼女のその一言で、会議室がざわついた。
「え、自由討論ですか?」
誰かが聞く。
「いいえ」
彼女は首を振る。
「今日は、“話したくなったことだけ話す”日にします」
「それ、危なくないですか」
「危ないですね」
即答だった。
「でも、だいたいこのあたりで一度、壊れます」
壊れる、という言葉が軽く置かれる。
この会では、軽い言葉ほど刺さる。
数分、誰も話さなかった。
いつもなら、誰かが理屈を投げる。
誰かが冗談で逃げる。
今日は、どちらも起きない。
「……じゃあ」
ようやく一人が口を開いた。
「“好きです”って言わないで、後悔した人います?」
数人が視線を逸らす。
「後悔、というより」
別の声。
「今も続いてる感じです」
「何が?」
「未送信のままのメッセージ」
空気が、少しだけ重くなる。
「それって」
誰かが言いかけて、止まる。
「続けてください」
彼女が促す。
「それって、もう“練習”じゃなくないですか」
彼女は、少し考える。
「そうかもしれません」
そう言ってから、
「でも、練習じゃなくなった瞬間が、一番大事だったりします」
「なんでです?」
「理屈が役に立たなくなるから」
沈黙。
また沈黙。
「あなたは」
突然、彼女が僕を見る。
「後悔してます?」
不意打ちだった。
「……してないです」
少し間を置いて、
「多分」
「“多分”が付く理由は?」
喉が乾く。
「言わなかったからです」
会議室が静まり返る。
誰も笑わない。
「じゃあ」
彼女は静かに言う。
「それは後悔じゃないですね」
「え?」
「未処理です」
淡々と。
「後悔は、終わった感情ですから」
誰かが小さく息を吸う音がした。
「今日の会は、ここまでにしましょう」
彼女はそう言って、資料を片付け始める。
「結論は?」
誰かが聞いた。
彼女は一瞬だけ手を止めて、言った。
「今日は、結論を出さないことに失敗しました」
その言い方が、妙に引っかかった。
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