好きですと言わないための練習会―― 余韻
※この作品は、
「好きです」と言わないための練習会の記録です。
会話と沈黙が中心になります。
その日は、集まる予定ではなかった。
誰かから連絡が来たわけでもない。
場所が決まっていたわけでもない。
ただ、気づいたら足がそちらに向いていた。
理由は思い浮かばない。
思い浮かばないまま、歩く。
建物の前まで来て、少し迷う。
扉は閉まっている。
鍵がかかっているかどうかは、確かめない。
中に入れないことよりも、
入らなくても問題が起きないことのほうが、
少しだけ引っかかる。
周囲は静かだ。
昼と夜の境目みたいな時間で、
音がどれも中途半端に届く。
遠くの車。
近くの足音。
風に動く何か。
以前なら、
こういうときに誰かを探した。
視線を上げて、
同じ場所に立っている人がいないか、
無意識に確認していた。
今日は、それをしない。
代わりに、
呼吸の速さを確かめる。
速くもない。
遅くもない。
ちょうど、何も起きていない速度。
建物の壁に触れる。
冷たい。
それだけで十分だと思う。
“好きです”という言葉は、
頭の中に浮かばない。
思い出そうともしないし、
遠ざけようともしない。
ただ、
使わないままの言葉として、
どこかにある気がする。
しばらく立ってから、
来た道を引き返す。
振り返らない。
振り返らない理由も、考えない。
帰り道で、
ふと気づく。
誰にも会わなかったのに、
誰かと一緒にいたような疲れが残っている。
不快ではない。
重くもない。
ただ、
少しだけ、静かだ。
その静かさを、
持ち帰っていいのかどうか、
判断はしない。
家に着いて、
靴を脱ぐ。
照明をつける前に、
しばらく暗いままで立つ。
この感じを、
名前にしないほうがいいと分かる。
分かる、というより、
そうしている。
練習会がどうなったのかは、
結局、分からない。
終わったのかもしれないし、
続いているのかもしれない。
どちらでも、
生活は問題なく進む。
ただ、
言葉を使わない時間が、
少しだけ増えただけだ。
それを、
良いとも悪いとも言わないまま、
夜が深くなる。
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