好きと言わないための練習会 ――誠実は、誰のものか
※この作品は、
「好きです」と言わないための練習会の記録です。
会話と沈黙が中心になります。
「前回の議題、少し引きずってる人が多いみたいですね」
彼女はそう言いながら、出席表に丸をつけていく。
全員揃っている。
誰も脱落していないのが、少し意外だった。
「今日は軽めにいきましょう」
そう言って、ホワイトボードに新しい文字を書く。
――誠実とは、誰のためのものか。
「自分のため」
即答があった。
「相手のため」
少し遅れて別の声。
「関係性のため、という意見もありますね」
彼女は頷く。
「では質問です。“好きです”と言わなかった人は、誰に対して誠実だったんでしょう」
沈黙。
「自分、じゃないですか」
誰かが言う。
「言って壊れるのが怖かったなら」
「それって悪いことですか?」
彼女は問い返す。
「……悪くはないです」
「じゃあ、正しい?」
誰も答えない。
「相手のため、って言う人もいますよね」
彼女はペンを走らせる。
「でも本当に“相手のため”なら、相手がどう感じるかを想像してます?」
「してます」
「結果は?」
「……わかりません」
小さく笑いが起きる。
この会では、「わからない」はだいたい免罪符だ。
「つまり」
彼女は言う。
「誠実って、かなり都合のいい言葉なんです」
「逃げにもなるし、言い訳にもなる」
僕は、なんとなく視線を逸らした。
昨日の夜、あの人の名前が頭に浮かんだから。
「じゃあ」
前の席の人が言った。
「誠実じゃないって自覚して言わないのは、どうなんですか」
彼女の手が止まる。
「それは」
少しだけ間があって、
「かなり高度です」
「褒めてます?」
「いいえ」
彼女は首を振る。
「多分、かなり不器用」
会議室の空気が、わずかに緩む。
「でも」
彼女は続けた。
「その不器用さを、“優しさ”って呼びたくなる気持ちは、わかります」
一瞬だけ、彼女の声が柔らかくなる。
気のせいかもしれない。
「本日の練習です」
そう言って、紙を配る。
――“言わなかった理由”を、正直に一文で。
ペンを握ったまま、僕は止まった。
守りたかった。
壊したくなかった。
失うのが怖かった。
どれも本当で、どれも言い訳だった。
「提出は任意です」
彼女は言う。
「自分に嘘を書いた人は、すぐわかるので」
提出箱に、紙が一枚、また一枚と落ちていく。
僕は、最後まで書けなかった。
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