好きですと言わないための練習会――引用
※この作品は、
「好きです」と言わないための練習会の記録です。
会話と沈黙が中心になります。
発言が、少しだけ増えた。
「原則に戻る、ですよね」
誰かが言う。
彼女は、すぐに肯定しない。
否定もしない。
「どう戻りましたか」
そう聞き返す。
「……言わないことにしました」
一瞬、間が空く。
「理由は?」
彼女が続ける。
「……探さない方がいいと思って」
誰かが、小さく頷く。
それ以上の評価はない。
別の参加者が言う。
「維持、って考えると楽です」
「成功じゃないなら、焦らなくていい」
「失敗でもないですしね」
小さな笑いが、少しだけ起きる。
久しぶりの、雑音。
「原則は」
彼女はまとめる。
「道具ではありません」
一拍。
「ただ」
続ける。
「参照することはできます」
参照、という言葉が残る。
ホワイトボードには、
誰かが書いた言葉がそのままになっている。
――言わない
――保つ
――探さない
消されないまま、
会は終わった。
問題は、特に起きていない。
⸻
【夜】
原則を、参照する。
昼に聞いた言葉を、
そのまま自分の中でなぞる。
これは、選んだ結果か。
これは、保った状態か。
余計な理由を、探していないか。
一つずつ、確かめる。
安心する。
うまくやれている気がする。
でも、
確かめ終わるたびに、
胸の奥が少しずつ硬くなる。
選んだ。
保った。
探していない。
どれも、間違っていない。
それなのに、
残っている感じだけが、
どこにも分類できない。
原則を使って、
自分を処理している気がする。
昼の誰かは、
「楽だ」と言っていた。
確かに楽だ。
考えなくていい。
決めなくていい。
ただ、
楽であることが、
理由になり始めている。
それが、
少し怖い。
スマホを見る。
連絡は来ていない。
送ってもいない。
問題はない。
原則に照らしても、
逸脱はない。
それでも、
確かめる行為が、終わらない。
眠る前、
昼の声が、少し形を変えて残る。
言わない。
保つ。
探さない。
そのどれにも当てはまらない何かが、
今日一日、
ずっと、内側に残っている。
それを、
例外と呼ぶほど、
まだ、はっきりしていない。
だから、
今夜も、問題は起きていない。
ただ、
原則が、
静かに、
深く入り込み始めている。




