好きですと言わないための練習会――確認事項(軽微)
※この作品は、
「好きです」と言わないための練習会の記録です。
会話と沈黙が中心になります。
【昼】
開始時間ちょうどに、全員が揃っていた。
「珍しいですね」
彼女は名簿を見て、そう言った。
褒めているのかどうかは分からない。
「今日は軽めにいきます」
そう前置きしてから、
ホワイトボードに何も書かない。
「最近、何かありましたか」
いつもの質問。
でも、言い方が少しだけ雑だった。
「特に問題ありません」
誰かが言う。
「ですよね」
彼女は即座に頷く。
確認は、それで終わった。
「では、いつもの注意事項だけ」
そう言って、指を折る。
「言わない自由があること」
「言わなかった結果を、ここで評価しないこと」
「会の外に持ち出さないこと」
全員が知っている。
もう暗唱できるくらい。
「質問、ありますか」
間が空く。
でも、この沈黙は軽い。
「じゃあ、なしで」
誰も安堵しない。
誰も緊張しない。
それが、少しだけおかしい。
「今日は雑談してもいいです」
彼女は言う。
「“好き”に近づかなければ」
笑いが起きる。
本当に、少しだけ。
天気の話。
仕事の愚痴。
どうでもいい近況。
誰も踏み込まない。
誰も止めない。
記録者は、端に座っている。
ノートは開いているが、
ページは最初から最後まで白いまま。
「問題は、特にありませんでした」
彼女がまとめる。
全会一致。
それが冗談みたいに聞こえて、
誰も訂正しなかった。
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【夜】
帰り道、息が合わなかった。
速く歩いているわけじゃない。
急いでもいない。
ただ、吸うときと吐くときが、少しだけずれる。
会のことは、思い出さないようにしていた。
というより、
思い出すほどの出来事がなかった。
問題はなかった。
本当に。
なのに、
横断歩道で信号を待っているとき、
胸の奥が、妙に忙しい。
吸って。
吐いて。
吐くほうが、遅れる。
理由は分かっている。
でも、言葉にしない。
練習会の成果、とは思わなかった。
こんな形で出るものじゃない。
コンビニに入る。
何を買うか決められない。
それも、いつものことだ。
レジで「袋、いりますか」と聞かれて、
一瞬、答えが遅れる。
「……いりません」
声は普通。
店員も普通。
なのに、少しだけ息が苦しい。
言わなかった。
それだけ。
誰にも何も起きていない。
それも、分かっている。
家に着いて、
靴を脱ぐ前に立ち止まる。
ここで深呼吸をすれば、
多分、整う。
でも、
整えていいのか分からない。
吸って。
吐いて。
吐くほうが、やっぱり遅れる。
今日、
“好き”は一度も口にしていない。
それなのに、
身体だけが、
何かを言い損ねたみたいな顔をしている。
理由は、探さない。
意味も、つけない。
ただ、
明日も同じ呼吸になる気がして、
それだけが、少し怖かった。
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